第6話 桃源郷ふらりお散歩旅(10)
ことの顛末は概ねスイが予想した通りで、迷い込んだ子カイチをあの場所で見つけた子供達が見つけて内緒で飼おうとしたとの事だった。
最初は弱って大人しかったカイチだったが、体力が戻りはじめ、徐々に保護に飽きた一部の子供が興味本位で背中に乗ってみようなどとした結果、暴れて手がつけられなくなったようだった。
「カイチというのは、嘘を見抜く妖獣だ。成獣になると立派な一角獣になり、自分の問いに嘘をつく者をその角で串刺しにする。お前も近付いたときに変な声が聞こえただろう?」
「はあ……。やっぱりアレはカイチの声だったんですね」
「カイチの性質だな。あの声に嘘をついたり、答えられなかった結果暴れ回ってあんなところに逃げたのだろう。理由なく害するような妖獣じゃあないからな」
リクシャーに揺られながら、張景は子牙の解説を横でぼんやりと聞いていた。ふと外の景色に視線を移すと、斜陽が草原を赤く染めはじめていた。
(後処理に時間を食って、結局帰るのがギリギリになりそうだ……)
あれから、復帰した子牙の手を借りて里長であるウーの元へ子供達を引き渡して事情を説明した後に、ウーの家から玄武門に連絡してカイチを一旦引き取ってもらった。流石にリクシャーに乗らなかったことと、一応保護生物であるスイや帝江の安全のためでもある。
帝江はいつの間にか萎んで元の大きさに戻っており、今は張景の膝の上でぷうぷうと寝息をたてている。どこから寝息が出ているかは張景はもう考えないことにした。
「どんな声がしたんだ?」
運転席からスイが声をかけてきた。いつも通りの人懐っこそうな話し方だ。
「ええと、確か……お前の罪はなんだ、とか、そういう感じでした」
「ああー……そりゃ子供はビビるわな。オレもいきなり言われたら引く」
「……その、スイさん。子供達のことは……」
張景はウーに子供達を引き渡したときの事を思い出した。何人かの子供は俯き、年少者は泣き腫らしながら許しを乞うていた。その中には泣き喚きながら『みんな嫌いだ』と叫ぶ子供もいた。
子供だから、一時的な感情を勢いのまま表に出すのはよくあることだ、と張景は知ってはいたが、実際に目にするのは初めてだった。正直、初対面の子供とはいえかなり精神にくる。顔見知りのスイならなおさらだろうと、気になっていたのだ。
「……まあ、慣れてるよ。そりゃあ、胸が痛まないって言ったら嘘になるけど。でもな、オレの気持ちなんてどうでもいいんだよ」
「どうでもって……」
「桃源郷は、鎖された世界だ。戦いや迫害で国を追われた人や、近代化で地上に住めなくなった仙人達の最後の砦だ。この狭い世界でなるべく平穏に生きるために、掟には厳しい」
ゆっくりとリクシャーの速度が落ちる。やがて完全に動きが止まると、スイは席に座ったまま、遠くを見ながら大きく息を吐いた。
「景くん、桃源郷で一番重い刑はなんだか知ってるか?」
「重い……?……死刑、ですか?」
張景の回答に、スイはゆっくりと首を横に振った。張景はちら、と隣に座る子牙に視線を移すと、子牙は重々しく口を開いた。
「追放刑だ。桃源郷での記憶を消され、下界に放り投げられる。しかも記憶なんて曖昧なものを無理矢理消すもんだから、住んでいた場所どころか、家族の顔も、言葉も、自分の名前だって忘れる場合すらある。落ちる場所も定まっていなくてな、運が悪いと紛争地帯や汚染地域に迷い込んで死んでしまうこともあるだろう」
「……──。」
絶句するしかなかった。死刑よりも惨いのではないかと張景は思った。何も持たされず、知らない地を、なぜ自分がこんなところにいるのか、そもそも自分が誰かなのさえ分からず彷徨わせるのだ。もし自分がそうなってしまったらと想像するだけで身震いしてしまいそうになった。
「今回のことは、大人達にこっ酷く叱られてしばらく自宅謹慎で終わると思うぞ?流石にそこまで掟は厳しくないよ。……ただ、子供だったからとか、知らなかったからとかで罪の意識がないまま大人になって欲しくないんだ」
「取り返しのつかないことをしないように?」
「……子供がさ、その身一つで放浪させられるのは辛いものだよ。それを防ぐためならいくらでも憎まれ役をやってやるさ。だから、このくらいはどうでもいいんだよ」
「……そうですか。スイさんは……」
スイは、人間ではあるが保護センター預かりの保護生物だ。里に住んでいるわけでもないし、ましてや里に身内がいる訳でもない。それでも、部外者なりに子供達を心配し、子供達が健やかに成長することを願っている。
(兄さんは、里の子にとっても『兄さん』なんだな)
張景の胸が、チクリと痛んだ。張景は一瞬訝しげに顔をしかめた。
これは、以前天明に感じたようなそれではなく。
(なんだろう、この、違和感は……?)
「……ところで呉水よ。なんで車を止めたんだ?門限まであまり時間がないだろうに」
話を遮るように子牙がスイに問いかけた。スイはハッとした顔をすると、少し言いにくそうに口をモゴモゴさせた。
「その、昼から休憩なしだったし、この車揺れるしで」
「はあ〜〜〜ッ、ほれ向こうに茂み!あっちに小川!俺の車なんだからばっちい手で触らんようにしろよ阿呆!ハンカチ持っとるかガキンチョ!」
「うっせえ解ってるわバーカ!なんなら紙せっけんも持っとるわジジイ!」
売り言葉に買い言葉なやり取りをしながら、スイはさっさと降りて駆けていった。
「あの、スイさんは一応ああ見えても」
「わかっとる。でも俺から見たら大体ガキンチョだ」
ニヤ、と子牙は笑ってみせた。子牙は紀元前生まれの仙人だ。子牙に言わせたら、スイや張景も赤子同然なのだろう。
「そうだ、すっかり忘れていたんだが、願い事は見つかったか?借りを作ったままにしておくのも気持ち悪いから、早よ決めて欲しいんだが」
「……そういえばそんなこと言ってましたね」
張景自身もほとんど忘れていたが、子牙と保護センターで再会した際に『なんでも一つ願い事を叶える』と言われていたことを思い出した。『自分を知らないと解決はできない』とも。
「あの言葉、どういう意味なんですか」
「そのままの意味だが?」
子牙は肘を太腿に当てつつ頬杖をつきながら、張景の顔を覗き込むように見てきた。それがどこか内面を見透かされているようで、張景はほんの少し不快に思った。
「張景。お前は迷っている目をしているな。迷いといっても、進むか退くか、右か左かのような単純な迷いではない。五里霧中という奴だな。行くべき方向が定まっていないうちは相談にも乗れやしないぞって事だ」
「行くべき方向、僕が、定めること……」
子牙の言う通り、張景は自分がどうしたいのか気持ちの整理がついていない。見抜かれた事が悔しいのか恥ずかしいのか自分でもわからず、俯いてしまった。
(僕がしたいことってなんだ?修行はまだうまくいってない。瞑想も呪符作りもできない。兄さんには再会できたけど、僕のことを打ち明けて何になる?いや、僕のことばっかりじゃないか。いきなりこんな事言われて、兄さんはどう思う?兄弟のこと、忘れてくれって言ってたじゃないか。僕はどうなりたいんだ?そもそも……)
──いつもは、そこで『忘れる』はずだった。何を考えていたか忘れて、思い出せなくなる。それがいつものこと。わからなかったが、わかっていた。それ以上考えるのは、思い出すのはとても辛いことだったのを直感的に理解していたから。
しかし、あのカイチの言葉が脳裏に蘇る。忘れようとする張景と、逃さまいとする声がせめぎ合う。
「ぼ、く、は……、なんで、ここに……」
全身から血の気が引いた。徐々に動悸が激しくなり、胸が苦しい。呼吸は乱れ、唇が震え、目眩すら覚える。
「……おい!張景!しっかりしろ!張景!」
子牙が異変を察知し、張景の体を揺さぶりながら声をかけてきた。膝で寝ていた帝江が、心配そうに見上げてきたのも見えたが、張景はそれすらもどこか他人事のような感覚に陥りそうになっていた。
突如、子牙が張景の胸に手を押し当てると、小声でなにかまじないの言葉を唱えた。張景はそれを理解できるほどの状態ではなかったが、その声を聞いているうちに、不思議と呼吸が落ち着いていった。
「……よし、深呼吸だ。まずは吐いて、それから吸って、もう一度吐く。よし、もう俺が手を離してもそれが続けられるぞ」
子牙がゆっくりと手を離す。その言葉通りに、張景は深呼吸を何度かして、そのまま座席に倒れ込むようにもたれかかった。
「……大丈夫だな。今日は慣れないことをして疲れたんだろう。張景、このまま休め。着いたら起こす」
「……はい。……ごめんなさい」
その言葉を言い終えるや否や、張景は目を閉じると、そのまま寝息を立て始めた。子牙はそっと張景の額にしばらく手を当てると、やれやれとため息をついて手を離した。
「謝るのはこっちの方だよ、張景。お前が、あの時の子だとはな……」
子牙の表情が僅かにかげった。しかしそれも束の間の事で、スイの気配を察知するや否や、顔を上げてスイに向かって人差し指を立てた。
スイは不思議そうな顔をして歩いて来たが、すぐに張景が眠っていることに気付くと心配そうに小声で子牙に話しかけた。
「景くん、具合でも悪いのか?」
「疲れと、軽い乗り物酔いだ。時間はあまりないが、あまり揺らさんよう運転してくれよ」
「わかった」
スイは頷くと、すぐに運転席に戻りリクシャーを発進させた。先程より慎重に、凹凸のある場所をなるべく慎重に避けながら。
「……そうだ呉水よ」
子牙はいつもの張りのある声のトーンを何段階か落として、スイに語りかけた。
「この前話した、願いの件なのだが……」
第6話 終
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