第6話 桃源郷ふらりお散歩旅(9)

 何秒、何分気を失っていただろうか。

「……くん、しっか……ろ、……景くん!」

「う、うう、う……」

 張景は呼ばれる声に反応するように、ゆっくりと目を開けた。するとすぐ目の前には、こちらの様子を心配そうに伺うスイと目が合った。どうやら仰向けの状態で倒れているようだ、と張景はまるで他人事のように考えた。

「景くん!……自分の名前はわかるか?話せる?言語機能に異常は?聞こえに違和感はないか?これ、指何本に見える?」

「そ、そんないっぺんに言われても……」

「……よし、ひとまず意識ははっきりしてるな」

 スイが目の前から退いたので、張景も起きあがろうとした。まだ頭はぼうっとするが、背中に若干の痛みがあること以外は体に異常はない。

「……背中?背中……」

 張景は違和感を覚えそのまま数秒ほど考え込むと、はっと顔を上げた。

「帝江がいない!?」

 崖上りをしていたときには背中にしがみついていた帝江がいない。もしかして落下のときに潰してしまったのではないかと、張景の顔は真っ青になった。しかしその様子を見てスイは苦笑いを浮かべた。

「ああ、そのことだけど景くん、まずはここから降りようか」

「ここって、え?そういえば妙に柔らかいですね、地面……え?」

 張景は起きあがろうと片手を地面につけたが、なぜだかふかふかとした感触がした。あまりに柔らかかったため、少しバランスを崩しそうになった。スイが手を差し伸べてくれたため、張景はそれに甘えて支えられながら立ち上がると、巨大な岩のように大きく急な斜面を慎重に降りていった。

 スイは張景が土の感触のする地面へと降りたことを確認すると、張景の背後を指さした。張景は不思議そうにスイの指したほうへ振り返った。

「……え、ええええええ!!??」

 そこには、一階建の家ほどの大きさにもなった帝江がどしんと横になっていた。帝江は張景に気付くと、限りなく短い尻尾をプリプリと振ってみせた。

「あの、スイさん、色々と聞きたいことがありすぎて、その」

「よし景くん落ち着いて。わかる。順に説明しよう」

 見てわかるほどに困惑する張景の肩を、スイは宥めるように優しく叩いた。

「景くんが崖から落ちたとき、子牙が術を使って助けようとしたんだけど、急に帝江が巨大化して景くんのクッションになったんだよ。カイチも捕まえて柵んとこに繋いでる。で、アレが」

 スイがすっと三尺ばかり先を指さした。その先には、地面に伏せてプルプル震える子牙がいた。

「時間差でツボに入って息ができないぐらい笑い転げてる子牙」

「いや、それはどうでもいいんですけど。……帝江って大きくなるものなんですか?」

「少なくともオレは聞いたことないなぁ。要報告だな。帰りはどうやって連れて行くかは後で考えるとして、だ」

 スイは視線を移すと、離れたところで様子を見ていた子供たちを見つめた。その視線にある子供はびくりと肩を震わせ、ある子供は逃げようともしたが、豪がそれを掴んで止めさせると、一歩前に出た。

 スイは豪の前まで進むと、視線を合わせるように少し屈んだ。

「……お前達は、自分が何をしたのかわかっているか?」

 その声色に、張景はびくっと肩が跳ねそうになった。決して感情的に怒鳴るようなものではなく、むしろ子供を諭すような声色だ。それでも張景は、スイが怒っているのをすぐに理解した。

「……ごめんなさい」

「オレに謝ってどうする」

「……お兄さん、ごめんなさい!」

 豪は張景に向き直ると、今にも泣きそうな目で謝った。張景はどうしたらいいものかと困惑しながらスイの背中をちらりと見た。

「もう一つあるだろ?カイチの、妖獣の無許可飼育は違法だ。わかってやっていたのか?」

「それは……」

「ちょ、ちょっと待ってくださいスイさん。飼ってたんですか?カイチを?」

 張景が遮るように声を上げると、スイは振り返って頷いた。その表情はいつになく真剣だった。

「さっき窰洞を覗いたとき、子供の足跡と動物が暴れた跡、それと食べ物のカスが落ちてた。おおよそ、迷い込んだ子カイチを見つけてここで飼おうとか言い出したんだろうな」

 スイの言葉に子供達の何人かが一人の少年に視線を向けた。豪の次に背丈の高く、日焼けで肌が黒い見るからに活発そうな少年だ。少年は視線に気付いたのか、バツが悪そうに顔を逸らした。

 スイは大きくため息をついた。

「あのな。オレはお前ら全員に言っているんだ。誰が言い出したかは関係ない。中には『大人には黙ってろ』とか言われて、怖くて言えなかった奴もいるかもしれない。でも、カイチのことを大人に相談しなかった時点で全員共犯だ。今回は奇跡的に怪我人はいなかったが、幸運が重なっただけだ。……この事は里長に報告する。お前達もついてくるんだ」

「え!?そ、それはやめて!スイ兄ちゃん!」

「知らなかったの!あぶなかったらしなかったもん!」

「ごめんなさい!ごめんなさい!もう絶対にしないから!」

 子供達はスイの発言に驚きわらわらと縋るように近付いたが、スイはいいやと首を振った。

「駄目だ。もうごめんなさいで終われる範囲を越えている。それに、オレにはお前達を許す権限も罰する権限もない」

 スイが頑なに子供達の嘆願を拒否するものだから、張景は子供達がなんだか可哀想に見えてきた。

「……スイさん、カイチの飼育は別として、僕の方は怪我もないし……」

 そう言いかけたとき、スイは張景の方を振り返った。まるで少し困ったようでいて、苦痛に耐えているかのようなしかめた表情に、張景は言葉を失ってしまった。

「桃源郷には桃源郷の掟があるんだよ、景くん。たとえ子供でも……罪は、償わなければいけないんだ」

 まるで自分に言い聞かせるようにゆっくりと、それでいてしっかりとした声でスイは言い放った。張景は、もう何も言うことはできなかった。

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