第6話 桃源郷ふらりお散歩旅(3)

 その後、雨天祈願をした張景の祈りも虚しく、依頼当日はすっきりとした青空が広がっていた。依頼内容を聞いたスイも、気が乗らないようだったが「仕方ないか」とあっさり気持ちを切り替えたようだった。

 約束の時間、正午になる少し前。張景は雲中子とスイと共に、正面入口前で子牙を待っていた。

「なにかあったらちゃんと連絡が入るようにしているから、だから大人しく待ってるんだぞ?みんなの言うことをちゃんと聞いてろよ?壁とか扉とか、壊すなよ?約束だからな?」

 スイは見送りに来た(と解釈していいものなのかは不明だが)天明に、留守中の約束事を何度も言い聞かせていた。側から見たら小柄な少年が一回りは大きい青年に、まるで親かなにかのように言い聞かせているのだから、張景はなんだおかしいような気がして、少し笑った。

 ぷしゅん、と張景の右肩に乗っていた生き物がくしゃみをした。

 やや桃色がかった白く短い体毛をした、子猫ぐらいの大きさの生き物である。丸いフォルムに、桃を三つ繋げたような割れ目があり、六本の短い足に四枚の小さい翼を持ち、顔と思わしき部分はつるんとしており、目や口がない。

 この妖獣は帝江といい、張景が初めてここに来たときに、アツユから逃げて怯えていた生物と同個体である。今朝になって事情を知った李根から、ついでに散歩をするよう頼まれたのだ。

 帝江の体には専用のハーネスが取り付けられており、張景の右手首に巻かれた紐と繋がっている。そして張景の左手には、お散歩用グッズが入った小振りのトートバッグが握られていた。これを渡されたときの張景は、「犬の散歩かな?」と内心ツッコんでいた。

「……雲中子様、この子って口がないのにどうやってくしゃみしたんですか?」

「さあ……。その子、地味に天明と並んでわけわからない生物だから」

 張景は近くで周囲を見回していた雲中子に声をかけてみたが、なんとも歯切れの悪い答えが返ってきた。

「まあ、大人しくて賢いし、適度な給水とウンコの始末と拾い食いにだけ気をつけたら大丈夫だからね〜」

「あの、肛門すら見当たらないんですがそれは」

「……あっ!来たよアイツ!」

 張景の言葉を強引に遮るように、雲中子が大声を上げながらある方角を指さした。

 指した方角をよく目を凝らして見ると、何やら一台の乗り物がこちらに向かって走ってきているようだ。こちらに近付くごとに、徐々にその姿を鮮明に捉えることができた、が。

「……なんですか、アレ」

 近付くほどに嫌でも目に入る、黄色をベースに鮮やかな緑色でペイントされたボディ。両側面のドアなしの開放的なフレーム。銀色の屋根の全面にはなぜか『TAXI』と書かれたプレートが、エンブレム風に取り付けられている。ドゥルンドゥルンとわざとらしくなるエンジン音が鳴っているが、よくよく聞いてみると内蔵スピーカーから流れているようで、動きと一致していない。

 前列は中央に運転席がひとつのみのようで、その運転席から、白い中華襟のシャツを着たやたら姿勢のよい黒髪の青年が営業スマイルをこちらへ向けているのが見えた。本名を呂尚、字を姜子牙、古代周王朝の大軍師・太公望その人である。

「なんで、リクシャー?」

 別れを済ませたのか、スイが張景の元へ歩み寄りながら、呆れたようにぼそりと呟いた。

「リクシャーって、なんですか?」

「三輪自動車の一種。国によってはテンプーとかトゥクトゥクとか呼ぶんだけど。インドとか、タイあたりでよく見る安価に乗れるタクシー……なんだけど」

 運転席からにこやかな笑みを浮かべて手を振る青年と目が合うと、スイは「げ」と小さく呻きながら、眉間にシワを寄せた。

「どうも、保護センターのみなさん。大変お待たせしたようで、申し訳ない。出迎えありがとうございます」

「ドーモ、太公望サン。なんともユーモア溢れる登場ですコトねー」

「あっはっは、今回は三人で移動しますからね。乗れるものがあったら効率的でしょう!」

 雲中子のわざとらしい笑みと嫌味に、子牙はわざとらしくはつらつとした笑みで返した。

「土遁で移動してもいいのですが、雲中子殿にご心配をかけまいと考慮した結果です」

「ふーーん、ほーーお、一応うちの職員と保護対象を危険に晒したことは反省しているわけねぇ〜〜?」

「当然ですとも。先日の来訪の折に正式に謝罪しました通りです。それに、張さんと呉さんは弱った私を助けてくれた命の恩人とも言える存在。傷ひとつ付けずにお返しすることを誓いましょう」

「……スイぃ!やっぱ政治やってたヤツなんて嫌いだーー!!喋り方が気に食わーーん!!」

「言い返せなくなったからってこっちに振るな」

「はっはっは。雲中子殿は政治家の類はお嫌いですか。昔からお変わりないようでなにより、なにより」

 子牙は朗らかに笑い声を上げながら、その猫のようなつり目で張景に視線を移した。張景は目が合った瞬間、なぜかぎくりと身体が強張った。肩に乗せた帝江も、つられてびくりと体を震わせた。

「張景さん。今回はご同行ありがとうございます。私の我が儘に付き合って頂くような形で恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします」

「……キャラ違くないですか?」

「はっはっは。なんのことやら」

 そう笑いながら、子牙は手を差し出した。張景は躊躇いながらもその手を握った。土からできたとは思えない程、人の手のような肉付きをしていたが、人の手とは思えないぐらい冷たかった。

「……おい、時間がないからとっとと行くぞ」

 張景の背後から、スイが半目でじとりと子牙を見ながら、不機嫌そうな声で話しかけてきた。子牙は「それもそうか」とぱっと手を離した。

「それじゃあ、早速だけれどお願いしましょうか。ガイドさん、頼みますよ」

 そう言うなり子牙は、さっさとリクシャーへ戻ったかも思うと、後部座席の片側へ腰を下ろした。

「は?アンタが運転するんじゃないのか?」

 スイの当然の疑問に、子牙はわざとらしくきょとんとした顔をした。

「客に運転させるガイドなんておかしいでしょう?運転、できるよね?張景さんは私の隣へどうぞ」

「……はあぁぁぁ。雲中子、天明のことは任せた。行ってくる」

「おう、行ってらっしゃい。そんでなんかいい感じに川にでも突き落としてきな」

「頑張る」

「頑張らないでください」

 そんなやり取りをしながら、張景とスイは言われた通りの座席に各々座りベルトを締め、雲中子の見送る中リクシャーを走らせた。

 ほんの一瞬、張景はいつの間にか二階へ移動していた天明が、窓越しにこちらをガン見している事に気付き少し気まずくなった。

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