第6話 桃源郷ふらりお散歩旅(4)
「はい、ということで。本日はご乗車まことにありがとうございます。運転手とガイドをつとめます、呉水と申します。よろしくお願いしますアル」
「なんですか、その取ってつけたようなエセ中国人スタイルは……」
スイのわざとらしい棒読みに、張景は小声でツッコんだ。
張景達を乗せたリクシャーは、時速四十キロにも満たない速度で未舗装の道をガタゴト進んでいた。
先程スピーカーから流れていたエンジン音はあの後スイが音量調節つまみを見つけ、会話を遮らない程度の音で走行している。
子牙が言うには、石油を使わないエコカーだが、歩行者が気付きやすいよう追加でエンジン音が出るようにしたという。動力源は教えてくれなかったが。
「張景、ノリが悪いぞ。ノリが悪いとこの先うまくやってられんぞ?」
隣でからかう子牙は、雲中子が見えなくなった途端に先日以上にくだけた態度で接してくる。張景はどうしたらいいものかと困惑しながら、膝に乗せた帝江をとりあえず撫でた。最初ははしゃいで車内をうろついていた帝江だったが、今は大人しく寝息を立てている。
「いいか張景。ノリを合わせるというのは人と合わせるということだ。人とは時代とも取れる。つまり俺のように、常に古きを重んじ新しきを取り入れてだな」
「スイさーん!この人異様に絡んでくるんですが!?」
「諦めろ景くん。こいつは紀元前生まれの大ジジイだ。ジジイってのは、若者と話したがる生き物だからな。こういうのは、適当に会話を合わせるだけでいいんだ。ちょっと砕けた感じで話すのがコツだ」
「おーいお二人とも、丸聞こえなんじゃけどー?」
「聞こえるように言ってるからなー!ラジカセのせいでうるさいしー!」
内心、二百歳は超えている自分たちを『若者』の括りに入れるスイに苦笑しながら、張景はふとあることに気付き、子牙に顔を向けた。
「あれ?子牙様、なんていうか……。よく見たら以前お会いしたときと微妙にお顔が違うような?」
あの時は色々と慌ただしかったため、まじまじと見たわけではないが。少なくとも張景が初めて会った、尸解仙としての姜子牙と、どこか雰囲気が違うように感じた。
「……指摘されては仕方ない。恥ずかしい話だが、此れはいわゆるキャラ付けという奴だ」
「キャラ付け、ですか?」
「うむ、『俺』も古い神なのは自覚している。現代に至るまで信仰が完全に絶えなかったのは俺の偉業の為せる業だ。だが、いつまでもそれに縋ってもいけない。進歩を止めたものは廃れるのが世の常だ。時代を経る毎に俺もアップデートせねばならん」
「……つまり、ご新規さんを増やすために、外見からテコ入れをしているってことですか?」
「うむ。まだ模索中だがな」
前方で、スイがたまらず笑い出す。
「その年になって若作りとは、高名な仙人サマも苦労が絶えませんなぁ」
「ふっふっふ、そう悪いことでもないぞ?あの謎の土製ゆえに体型の融通が効くからな。スイは大変だなー、身長が伸びなくて」
「お、お前……どこでそれを……!?」
スイの減らず口をあしらいながら、子牙は子供を見るような目で笑う。
張景は少し肩透かしを食らったような、安堵したような微妙な顔をした。
「なんだ、ボケていたわけじゃないんですね」
「相変わらず口が悪いなぁこの子は」
やれやれとした様子で、子牙がシートの上であぐらをかいた。
と、なにかに気付いたようで、前方の一点を指差した。
「呉水。あれはなんだ?」
子牙の指した先には、三十から四十メートルはあろう巨石が、道から少し離れたところに地面に突き刺さっていた。珠を半分に割ったような形状をしており、丸い部分が影になるような角度で土にめり込んでいる。
「ああ、百尺岩か」
「百尺岩?」
興味深そうに言葉を返す子牙に対して、スイは訝しげに目を細めた。
「あんなデカいのに、いままで気付かなかったのか?保護センターに行くなら、だいたいは遠くからでも気づくものじゃないのか?」
「まだこの体が完全に馴染まないんですぅー。視力も聴力も不安定なんですぅー。ジジイじゃないですぅー」
「そこまで言ってない……。いや、ジジイは言ったけど」
ため息をつきながら、スイは百尺岩の近くまで車を走らせると、道の脇に停車した。ちょうど岩が太陽を遮り、大きな影ができている場所だった。
「これは百尺岩。見ての通り、百尺はあるんじゃないかってぐらいデカいから、百尺岩。実際はそれ以上でかいらしいけれど」
スイの説明を聞きながら、子牙はリクシャーから少し身を乗り出して百尺岩を見上げた。張景はごく一瞬見えた横顔が険しい表情のように見えたが、子牙はすぐに席に戻ると運転席に身を乗り出した。
「なるほど単純な名称だ。で?これはどういう謂われがあるんだ?」
「……」
「……?」
子牙の問いかけに、スイはちらっと子牙の方を見やると、わざとらしく顔を反対側に逸した。
「……さあ、どうだったかな?この仕事も専門でやってるワケじゃないからな〜?」
あからさまなスイの態度に、子牙はすぐにはっと目を見開いた。
「こいつ、チップをせがんできてる……!!」
「ス、スイさん!?」
「これは施設への正式な依頼だぞ!?恥ずかしくないのか!!」
子牙が席越しにスイの肩を掴んで揺らしたが、スイは動じるどころかむしろ堂々と胸を張りだした。
「うっせえ!どこからの依頼だろうと、オレには小銭一枚も入ってこないんだ!というか保護センター宛の依頼は基本的に無償だし!!こうでもしないと、まんじゅう一個だって買えないんだぞオレは!!」
「ええい、開き直るな!!……まったく、保護者からもなんとか言ってやってくれ」
と、子牙がスイから手を離して張景の方を振り返った。
しかし張景は、なんだか我が兄ながらスイの姿が哀れに思えてきたようで、どうしたらいいのかと困ったような目で、逆に子牙の顔を見た。
子牙は子牙でうぐ、と言葉を詰まらせた。そして数秒程度の沈黙したのち、長いため息とともに、懐から二つ折りの黒財布を取り出した。
「……まだ両替してないから、米ドルとユーロとドラクマ紙幣しかないんだが」
「なんで廃止されたドラクマ札をまだ持ってるんだよ……要らねえよ」
渋々と子牙がシワだらけの米ドル札を数枚渡すと、スイはいそいそと懐にしまい、ひとつ咳をついた。
「話を戻すぞ?百尺岩。伝承の聞きかじり程度なんだが、古代に桃源郷で起きた争いのなごりらしい。ただ、この争いっていうのが人によって伝わり方が違うんだよな」
「伝わり方、とは具体的には?」
「神様同士の大ゲンカなんだが、なんの神様かははっきりとはわからない。兄弟神とも、夫婦神とも、同じ神様の陰と陽とも聞くし」
張景も子牙も、その話を興味深く聞いていた。特に張景は、ここ最近まで仙郷の外へあまり出入りすることもなかったので、里や周辺の話はかなり疎い。こういう話は新鮮であった。
「そのあたりは民間信仰にありがちだな。で、呉水。それはどんな話なんだ?」
「確か……」
スイは少し考え、言葉を選びながら次のような話を語った。
遥か昔、桃源郷に仲のよい二人の男女神がいた。
このとき桃源郷にはまだ生命がおらず、どのような生命を住まわすのか相談した。
男神は外界で住めなくなった魂を住まわせようとし、女神は二人だけで桃源郷を統べようとしたため、口論となり、しだいに争いになった。
争いは三日三晩続いたが、最終的には男神が岩山を割いて投げて争いは決着したという。
「ただ、最後は岩は当たらず女神が改心して終わったり、直撃して女神が地面に封印されて終わったりもするな。もっと他にバリエーションがあるかもしれないが、オレはこれ以上は知らん」
「ふむ、なるほど。これが……」
子牙はもう一度百尺岩を見上げた。目を凝らしてみても、少々珍しい形の巨石であること以外は何の変哲もないただの岩だ。しかし子牙は、しばらく百尺岩をまるで睨みつけるように目を細めて観察すると、姿勢を正してスイと張景に笑顔を向けた。
「しっかり堪能した。時間が惜しい。次に行ってくれ」
「りょうかーい」
スイはエンジンをかけ直すと、道の穴ぼこにはまらないように気をつけながら、ゆっくりとリクシャーを走らせた。子牙は顔を少しだけ外に出し、徐々に小さくなる百尺岩を一度振り返った。それを張景は隣でなんとなく見ていたが、子牙の表情までは伺えなかった。
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