第6話 桃源郷ふらりお散歩旅(2)

 あれから半月。張景は何度か天明のカウンセリングをした。カウンセリングといっても、空き時間に二人きりで十分程度話すだけだ。しかも天明はあの性格なので、ほとんど張景が一方的に質問するだけ──かと思っていたが。

「スイさんって、定期的に里に呼ばれてるんですね。何かお手伝いをしているんですか?」

「子供に、勉強を教えている」

「なにを教えているんですか?」

「読み書き。計算。歴史。音楽」

「へえ、色々やってるんですね」

「……スイは、懐かれてる。遊び相手もする。……俺には、できない」

 スイの話題をすると、結構喋ることに張景は早々に気付いた。と言うより、自分自身のことや、自分が感じていることなどを聞くと、口を閉ざしたり漠然としたことしか言わないので、二人の話題は専らスイが中心になった結果だったが。

 好きや嫌い、そういった言葉は知識として持ってはいるものの、それを自分の気持ちと結びつけられない。そういう特質なのだろうと張景は感じた。

 一方スイの方はというと、先の事件のこともあったのかとても協力的だ。

 天明のことは、資料以上の情報は聞き出せなかったが、天明と仲良くできる人間と認識されたのか、何が好きそうだとか、何が苦手だとかを細かく教えてくれた。

 むしろ天明にようやく親しい友人ができるかもしれないという期待の眼差しで見られることもあり、張景は内心複雑だった。実際、他の職員に天明について聞こうとすると「あいつそんなに喋るのか!?」と逆に質問攻めに遭うこともしばしばで。

 スイに関しては一見何の変哲もないように見えたが、張景は気付いたことがあった。それは事件の後に改めて見直した報告書がきっかけであった。

「スイさん、なんで保護されたときに脱走したんですか?」

「……へ?」

 ある日の夕方、張景は大型妖獣用の浴室を清掃していたときにスイに聞いてみた。スイは突拍子もない質問にきょとんと目を丸くしていた。

 報告書の保護記録。その二行目には『保護日の深夜に脱走、五キロほど離れた森で捕獲』と記されていたのだ。

「……ああ、あれか。ははは、恥ずかしい話だけど、パニック状態だったんだ。で、『まさか保護されて初日に逃げないだろう』って思われているうちに逃げようと思ってさ。土地勘ないからすぐ捕まったけど。恥ずかしいからこの話はナシな!」

「わ、わかりました」

 そう言ってスイはにししと笑いながら作業に戻って行ったが、張景にはどうも引っかかるものがあった。上手いことはぐらかされているような違和感。その後自分なりに考えて導き出したのは、ひとつの推測だった。

(スイさん……兄さんは、自分の事を知られたくない?)

 普段の明るい口調がうまく誤魔化しているが、やんわりとした拒絶。過去を詮索されるのを嫌い、他者を拒んでいるように張景は感じた。証拠は無いが、張景の直感が告げていた。それ以上は、考えようとしてもうまく考えがまとまらなかった。

 しかしそれ以上は進展はなく、調査も足踏み状態だった。張景は深々とため息をついた。


・・・・


「こーらー、景クン。いちおう上司の前なんだから、もっとこう〜背筋を正して」

「す、すみません雲中子様!」

「気持ちはわからないでもないけどネ〜」

 張景はしゃんと背筋を伸ばして、椅子に座り直した。

 雲中子はウンウンと頷くと、今しがた読み終えたばかりの、張景の書いた報告書を引き出しにしまった。

 例の任務を言い渡されて以降ぶりの、所長室。室内は変わらず雑然としており、というよりも前回来た時よりも物が散乱している。

 張景の座っている入口側は比較的片付いているが、卓越しに向き合う雲中子側は、明らかに積み上げられた段ボール箱の数が増えていたし、衝立に白衣が何着か掛けられている。机に至っては、本を積みまくって雲中子の口元がちょくちょく見えなくなる始末だ。

「……あの、雲中子様」

「おおっと、本題本題!うぉっほん!うぉっっほん!!」

 部屋を見回す張景の目線に気付いたようで、雲中子はわざとらしく咳払いをして、手元の資料をトントン立てて揃えた。そして揃えた資料を隅に追いやると、別の位置にある紙を一枚手に取った。

「任務は進展なし、了解。まあ、そんなすぐわかったら苦労しないからネ。ゆっくりやっていこう」

「はい……」

「……最近、元気がないみたいだけど、もし負担になっていたら遠慮なく言ってネ」

「い、いえ、大丈夫です!」

 張景はドキリとして、首を横に振った。

 任務が全く負担になっていないと言えば嘘になる。しかし、いまの張景にとってはそれよりも、先日スイに告げられた言葉とその嘘が、どうしても気になって仕方なかったのだ。

「それならいいんだけどさぁ。景クンって、このところちょっとボヤっとしてるみたいだし。二棟は大人しい妖獣が多いケド、油断したら腕ごと持っていかれる妖獣もいるんだから、体調が優れなかったらすぐ言うこと!」

「わ、わかりました!すぐ言います!」

「よろしい!」

 少し怯える張景に、雲中子はよしよしと頷いた。雲中子の言う通り、天明や刑天のように意思疎通のできる者もいるが、収容されている大半は言葉もわからぬケモノだ。下手をしたら大怪我する可能性も十分ある。

 張景は一度大きく呼吸をして気を引き締めた。

「で、次ね。天明とスイの謹慎の件だけど、天明は引き続き施設内で観察。スイだけ限定的に解除を決定しました」

「限定的?もしかして時間のことですか?」

「お、ちゃんと過去の報告書は読んできたんだね」

 はい、と張景は頷いた。

 前に虹玉から『壁ぶち破り事件』を聞き、張景自身もあのあと報告書を何度も読んだ。過去に二人を離して収容した際に、六時間後に天明が壁を破壊し脱走したそうだ。

「スイ自体は害もないし、怪我も完治したし、何より里からの手伝い要請がちょこちょこ来るからね〜。今回は、五時間以内に帰還することを条件に限定解除!しました!エッヘン!」

「なるほど、時間を短縮して……って、もうしたんですか!?」

「こういう仕事はやれるうちにやっとかないと、後回しになっちゃうからね!」

「と、とりあえず僕にも資料見せてくださいよ」

「ほいほーい」

 なぜか得意げな態度に、張景は頭痛を覚えながらも、雲中子から渡された全一ページの資料にじっくりと目を通した。

「前提として、監視役が最低一人同行することが条件である……」

 張景が思ったよりも、内容は簡潔だった。

 監視役の同行が最低条件に加え、スイ個人の希望での外出は許可されない。これは元々より決められていたことだが。

 位置情報のわかる装具の着用必須。活動範囲も、施設や里周辺のみに制限されており、先日のような山や海方面などへは侵入禁止。

 勿論、張景の住む仙郷方面は最初から侵入禁止とされている。移動時間も考えると、活動できる時間は限られてくるだろうと考えられる。

「これ、里に行ってもやれる事あります?」

 張景は思ったことを素直に口に出した。雲中子も想定していたようで、こくりと頷いた。

「通勤用に貸し出してる乗り物がいくつか余ってるから、多少は時間短縮になると思うよ〜。それを踏まえてだから、子供に勉強教えたり、図書館の蔵書検閲の手伝いぐらいならできるんじゃあないかなぁ?」

「なるほど……って、乗り物?通勤用?あるんですか!?」

「えっ」

 張景は、ばっと顔を上げて雲中子を凝視した。意外なところに食いつかれたようで、雲中子はびくりと驚き、反動で若干椅子が後ろに下がった。

「い、一応あるよ?でもみんな土遁や水遁の術とか、自前の乗り物とかで来るから……」

「……徒歩なんですが、今まで」

「えっ」

「洞府から、ここまで、徒歩」

「えっ」

「いま、ほぼ仙術が使えないので。あああ、知っていれば毎朝三十分は余裕ができて、師匠の朝食の準備ができるからそうなると夜にアレとアレの仕込みをする必要がなくなって勉強の時間が幾分か……」

「なんかゴメン……」

 雲中子は頭を抱えながらブツブツとなにやら計算している張景を宥めて、別途張景に乗り物を貸し与えることを約束した。

「と、ともかくね!制限時間内に済ませられる仕事なら、貸出オッケーにしたから。今日は募集だけ。基本的な監視役は景クンだけど、スケジュールに合わせてあてがうから、明日からよろしくね!」

「わかりましたけど……。そういえば依頼ってどう来るんですか?」

「里のすぐ近くに仙郷方面……仙界府に行くための関所があるでしょ?そこに窓口があるから、そこから依頼されたものが、ある程度選別されてウチに来て、僕が内容やスケジュールを確認して許可を出すってところかな。例外もあるけど、このタブレット型端末に……あ」

 雲中子はタブレット型の端末を懐から取り出し、張景に見せようと画面を表示させようとしたところで動きを止めた。張景からはほんの一瞬しか見えなかったが、どうやら通知が届いているようだった。

「早速貸し出し依頼が来てる。はっやいなぁ。ええと、内容は……は?観光案内?」

 と、雲中子が素っ頓狂な声を上げた。それもそのはずで、桃源郷は神仙以外は迷い込むことでしか訪れることはほぼできない。一部の神仙を除いて仙界府に所属している者がほとんどだから、わざわざ案内が必要な者もましてや観光する者がいないのが当然なのだ。

「誰だ?そんなふざけた申請した……のは……」

 雲中子のメッセージをスクロールする手が止まった。端末を机の上に置くと、やれやれといった様子で、こめかみを押さえた。

 張景はもしやと、ある人物が脳裏に浮かんだが、張景が口を開くより早く雲中子が一際大きなため息をついた。

「……太公望、姜子牙」

「……だろうと、思いました」

「どうしよう景クン、びっくりするほど胡散臭いのに、依頼に不備が一切ない。断りたいのに断れない」

「なんとか粗を探してください……」

 そうして二人して、特大のため息をそれはもう長くついた。

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