第6話 桃源郷ふらりお散歩旅(1)

 早朝に降っていた雨で、ぬかるんでいた地面が乾き出した昼下がり。二棟裏の搬入口から、四棟へ続く道の脇にある空き地で二体の生き物が対峙していた。

 片方は、薄く青みのかかった銀髪と太陽のような赤い眼の一見すると美青年。盖天明祇。通称・天明が、手ぶらで特に身構えることなく棒立ちしている。

 もう片方は、二メートルはゆうに超える背丈の筋肉隆々の半裸の男である。が、頭が無い。もっと正確に言うならば、首とその上にあたる部分がついておらず、代わりにマネキンの頭がガムテープで無理やり胴体にくっつけられている。

「おい!ガイテンミョージ!!いいか、よく聞け!!よく聞けよお前!!」

 そのマネキン頭の男は、胴体の腹の部分にある口を大きく開けながら、持っていた木刀でびしりと天明を指した。体が傾いたせいで、マネキンをとめていたガムテープが一枚剥がれる。

 マネキン頭の男は、本来なら乳首が存在する場所にある目をくわっと見開いた。

「お前な!お前だ!!そこいらの獣と取っ組み合いして、仕留められんかったそうだな!!情けないぞ!!情けない!!儂はな!儂は!もちいと見込みのある奴と!思っていたぞ!!だから!!だから儂は!!心身ともに!!お前を鍛える!!鍛えるからな!!覚悟しとけよお前!!」

 男が熱血コーチばりの声で叫ぶたびに、頭のマネキンがぐらぐら揺れる。しかし天明は全く関心を見せない素振りで、離れたところにあるベンチに座るスイをじっと凝視していた。

「あの人……人?もしかして、刑天様ですか?」

 スイの隣に座っていた張景が、目を細めながら尋ねてきた。スイはどこからかくすねて来た桃をナイフで剥きながら、「あー、うん」とやる気なさげに頷いた。

 刑天は、はるか昔に黄帝と神の最高位である天帝の座をかけて争ったという、非常に強い武神である。争いには負けて首を斬られたが、強い怒りと執念で体に目や口を生やして蘇ったとか、なんとか。

「ここに住んでるんだよ。三棟にいつもいるから、普段はあまり会わないけど」

「確か、すごく強い神様ですよね。なんでこんなところにお住まいなんですか?」

「仙界府は美男美女が多くて肩身狭いし、里だと子供に泣かれるからだって」

「あー……」

 張景は特に言い返せなかったので、一旦黙った。スイは桃を適当に切り分けると、一番大きなものをフォークに刺して張景に差し出した。張景は、小さく礼を言いながら受け取り、頬張る。瑞々しくて、美味しい。

「てーんみょー!ほら、こっちじゃなくて刑天さんを見ろ!刑天さんが稽古つけてくれるって言ってるんだから……あーダメだありゃ。やる気以前の問題だ」

 スイが立ち上がり、大声を上げて声をかけてみたが、微動だにしない天明を見てすぐに諦めて座り直した。遠目から見ても、天明は刑天の話を聞いていないどころか、顔を向けようともしない。

 桃を一切れ食べると、もう一度立ち上がった。

「景くん、ちょっと行ってくるわ」

「あ、はい。お気をつけ……あ」

 張景がいい終える前に、刑天が雄叫びを上げながら天明めがけて木刀を振り下ろした。が、天明は攻撃をぬるりとかわし、地面に思い切り叩きつけられた木刀は粉々に砕け散った。そしてその破片の一部が、思いっきり天明の頭にゴツンと当たった。

「天明!?」

「……」

 天明はしばらくその場で立ち止まり、ゆっくり破片がぶつかった箇所を触り、スイに視線を戻した。

「……?」

「『なにか当たった?』みたいな顔するな!!おーい、刑天さんすみませーん!!中断!中断してください!!」

 バタバタと慌ただしく駆けていくスイの背中を見送りながら、張景は誰にも聞こえずため息を漏らした。

(変わり、ないんだな)

 あれから数日、スイの態度は特に変わった素振りもなく、何事もなかったように日常は流れ続けている。張景も、通常の業務をこなしながら、二人の観察を続けていた。

(あの人は、兄さんは、僕達に会いたくないのか?でもそうなると、死に際になんであんな事言ったんだ?)

 日常の傍ら、張景は同じことをグルグル考えていた。

 先日の『弟の話を忘れてくれ』。スイの言い分はもっともだったが、張景は自分の正体は置いておいても、どうもあの言葉にひっかかるものがあった。

「景くーん。ちょっと来てくれー」

「あ……、はーい、なんですか?」

 スイに呼ばれて立ち上がる。張景は食べかけの桃を一気に口に入れると、駆け足で走っていった。

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