小話2 昔、山中にて(2)
再び降りはじめた雪が、冷え切った頬に当たる。うっすら開けた目にも雪が入るが、全身を襲う痛みと比べれば、些細なことであった。
「う、うう、ぁ……」
声が、思うように出ない。舌を少し切ったらしく、口の中が鉄臭い。
少年は体をなんとか起こそうとしたが、体を動かそうとするだけで内臓を圧迫するような痛みが襲った。声にならない悲鳴を上げつつも、少年は不思議と冷静だった。
(あばらと、右脚が折れてる。右肩も外れてる。首が折れてないのは運がいいのか、悪いのか。あとは……)
少年が体の損傷を確かめていると、左目にどろりとした何かが入った。骨折や打撲による痛みですぐには気付かなかったが、それは紛れもない少年の血だった。額がざっくりと切れている。
(足……、全く動かない。痛い。痛い。オレは、死ぬのか?こんなところで?)
自身の損傷を自覚した途端、激痛が全身を駆け抜ける。あち
少年は空を見上げた。木々の間から覗く曇り空と、容赦なく降り続ける雪。時折吹く突風が、容赦なく少年の体温を奪う。
(……あの日も、雪の日だったっけ。やっぱ、慣れない人間が雪山に行くものじゃない、か)
などと過去を振り返りながらも、少年はなんとか体を起こせないかと左腕を動かすが、思うように力は入らず、体力ばかりが無駄に消耗される。
(あいつは、あいつは大丈夫なのか?あいつは……!)
その時、遠くから足音が聞こえてきた。ざく、ざく、と二本の足で雪を踏みしめる音。紛れもなく、人間かそれに類するものの音に、少年はわずかに安堵した。
「て、ん……みょ……」
絞り出すような声で少年が呼ぶと、足音は少年の頭上でぴたりと止み、すぐにその主が少年の顔を覗き込んだ。青みかかった銀の髪の青年である。
「……ぶじ、か」
「……」
青年は答えない。その朱色の目で淡々と少年を見つめるだけだ。はじめて出会ってから一年以上経つが、未だに感情が読めない。しかし少年は、青年の健在がわかると、安心したように少し口元を緩ませた。
ほんのしばらく前、この青年が地面ではない場所に積もった雪を踏んでしまい、崖下へ落ちそうになったのだ。少年は咄嗟に青年を助けようとしたが間に合わず、二人とも落下してしまった。
「……死ぬのか?」
唐突に、青年が淡々とした口調で尋ねてきて、少年は驚いた。少なくとも彼が何かを問うことは一度たりともなかったからだ。
その言葉に、少年は途端に己の死を自覚して怖くなったが、今できる限りいっぱいに笑ってみせた。
「……だ、大丈夫。こんな、ところ、で、死ねるか」
ここで死んでたまるか。そう踏ん張ろうとしたが、力が足りずすぐに滑ってしまう。頭に血が足りなくなってきて、視界がぼやける。
「まだ、死ねない……」
青年は無感情とも言えるような目を少年に向けながら、言葉を続けた。
「なぜ」
「なぜ、って」
少年は一瞬、目を見開いて、それからすぐに笑いかけた。それは、少年の本心のひとつだった。
「……だって、お前が、ひとりきりに、なるだろ」
「ひとり、きり」
「お前は、一人で、いちゃ、ダメだ」
「…………わかった」
青年は、しばらく少年をじっと見つめると、少年の腰にかけていたナイフを手探りで抜いた。体に思い切り手が当たったせいで、少年は短い悲鳴を上げたが、青年はお構いなしに鞘からナイフを取り出すと、自分の手の甲を力任せに突いた。
「……!!!」
顔から血の気が引いている少年をよそに、青年の表情は微塵も変化はない。ナイフが刺さったまま、己の手から流れる血を他人事のような目で少しだけ見つめると、指の先にまで滴らせ、それを少年の口の中へねじ込んだ。
「ガッ……!?ア、ぐ……」
抵抗する力もなく、少年はそれを受け入れることしかできなかった。
他人の血が自分の体に入る嫌悪感、自分の血と混ざる不快感、それは確かにあった。しかしそれ以上に、
(あ、あ……つい。熱い……!)
口の中が、内臓が、燃えるように熱い。肺が焼け落ち、脳天が溶けそうなほどに、その血が熱い。その血が体に行き渡るのが、熱い。
耐えられぬほどの熱さに灼かれ、体力の限界を迎えた少年は、程なくして意識を手放した。
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