第5話 疑問、疑問、拒絶(7)
「……スイさん、なにしてるんですか?」
「!!」
背後から急に声がかかったことに驚き、スイの肩がびくりと跳ねた。張景らはちょうど部屋に戻る道中、ふらふらと部屋を出ていくスイを目撃し、声をかけたのだ。
「……べ、便所……」
「反対方向ですよ」
「うううう、ゴメンナサイぃ……」
冷ややかな視線を送る張景だったが、やれやれとため息をついてスイの元へ歩み寄った。
「天明さん、見つけましたよ」
「天明!?」
スイがばっと振り返る。片足の不自由さで少しよろけてしまったが、背後の天明と顔が合う。顔は合ったが、天明の視線はスイからわずかに逸れていた。
「……天明」
「……」
天明は少しの間その場で静止していたが、やがてツカツカとスイの前まで歩を進めると、じっとスイを見つめた。それに負けじと、スイもじっと天明を見上げ、赤い瞳をじっと見つめた。
「……スイ」
「おう」
「ゴメンナサイ」
「うん」
「オヤスミナサイ」
「お、おう……え、なんで?」
天明はスイに一度頭を下げると、さっさと部屋に入っていった。呆気に取られたスイと張景が一拍遅れて部屋を覗くと、奥のベッドでうつ伏せかつ直立不動で倒れていた。寝息も何も聞こえなかったが、僅かに肩が動いているので、とりあえず生きているのを確認してやれやれとスイが息を吐いた。
「珍しい。天明が寝た」
「え、眠らないんですか?あの人」
「月に一度、眠るか眠らないかかな。寝ても一時間後には起きる。よっぽど疲れたんだろうな、色々と」
そう言うスイの表情は、とても穏やかだった。まるで寝る子供を見守るような、慈しむ目をしていた。
スイは張景に向き直ると、今できる限界まで頭を下げた。
「景くん、ありがとう。そして迷惑をかけてすまない。本来なら叩頭で拝礼すべきだと思うが、無礼を承知だがこれで許してほしい」
「い、いいんですよ?顔を上げてくださいよ、僕は僕の仕事をしたまでですから」
「というか、今まで道士さま相手に馴れ馴れしかったのでは?オレ」
「今更すぎないですか!?」
「それよりもゴメン、頭傾けすぎて倒れそう」
「もー!」
張景はバランスを崩しかかったスイの体を元に戻した。思ったよりも体重が軽いことに少し驚いた。
「……あいつ、どっかでしょぼくれてたんだろ」
「わかるんですか?」
「そりゃあな。二百年一緒にいるんだから、顔を見ればわかるさ」
「顔、ですか」
「それと、あいつは行動と感情がワンテンポ以上に遅いから。今になって『スイを困らせた……』みたいな理由でいじけてたんだろうなーってのは、なんとなく気付いてた」
そう語るスイの表情を見て、張景はなんだか胸が痛くなった。それは、まるで。
「……まるで、兄弟みたいですね」
と、張景は思わず口走ったことに驚き、わずかに身体を強張らせた。以前二人を家族のようだと喩えたが、今の言葉は自らの羨望が込められていたと、自分でわかってしまった。
自分の幼さに気付き、張景は内心恥ずかしさでいっぱいだったが、スイは知ってか知らずか、困ったように笑いながら続けた。
「まあ、半分そんなものかもな。下界にいた頃は、間違えられることもあったよ。全く似てないのにな」
スイの笑いに、張景もつられて笑ってみせたが、口元が若干引きつっていた。
(言う、べきなのかな)
言って何になるのか。何が変わるのか。張景には、まだ結論は出ていない。頭の中で問答していると、ふとスイがなにか思い出したように「あ」と声を上げた。
「そうだ景くん。この礼は後日改めてすることにして。少し頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」
「は、はい?なんでしょうかッ?」
若干声色が裏返りながら張景が返事をすると、スイは申し訳なさそうな表情で口を開いた。
「前に、オレの弟の話をしただろう」
どくん、と張景の心臓がはねた。
「あれさ、忘れてくれないかな」
「…………え」
それは張景にとって、意外な言葉だった。
死ぬかもしれない間際の言葉、夜に語ってくれた話、それ全てを忘れろと言うのだ。それが本人は知らずとも、実の弟に。
「なんで、ですか」
声が震えそうになるのを悟られないように、ゆっくりと聞き返す。
「あのあと色々考えたんだ。弟を探してれるって言っていたけど、オレの家庭事情に無関係な景くんを関わらせるのも迷惑だろうし」
無関係。今の張景には重く刺さる言葉だった。確かに、スイから見たらそうだろう。でも、張景にとっては違う。
しかし、張景の口からうまく言葉が出ない。先程、天明といた時の口籠もりとは違う、喉がカラカラに乾いたような感覚。目の前が真っ白になりそうな衝撃。
「それに、弟達も小さかったから、オレのこと覚えてるわけないだろうしさ」
そんなことはない。
そんなことはないと張景は言いたかった。しかし間髪入れずスイは続ける。
「それに、兄貴がこんな、檻みたいなところに入れられてるの知ったらガッカリするだろ?だから、もういいんだ」
「あ……」
張景の口から漏れた音を同意と取ったのか、スイはにこりと微笑むと、松葉杖をついて部屋の方へ歩いていった。
「変なこと言ってごめんな。今日は、本当にありがとう。よかったら、今後も天明と仲良くしてやってくれ」
そう言い残して、カーテンを開けて部屋に入っていった。後には張景だけが取り残され、ぽかんと立ち尽くしていた。
(それって、干渉するなってこと?)
先程の言葉を、何度も脳内で繰り返す。
一見無関係な張景を気遣うような言い回しだったが、それは遠回しに拒絶するのも同義だ。それらしい理屈を述べて、他者からの干渉を避けているのだ。
それを決定づける証拠はないが、張景には確信があった。それは、もはや勘でしかないが、張景はそうに違いないと思えた。
(兄さん、嘘ついてた)
幼い頃、最後に聞いた兄の言葉と、先程の言葉が重なっているように思えた。どこが嘘なのかはわからなかったが、嘘をつかれたという事実だけは間違いなかった。
(兄さんが、わからない)
張景は、しばらくスイの言葉が頭から離れなかった。
5話 終
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