第5話 疑問、疑問、拒絶(6)

 二棟と三棟は構造はほとんど同じ、地上二階地下一階で建築されている。妖獣のほとんどは一階の収容部屋と、二階の一部を使って収容・管理されており、地下は日光が苦手な妖獣が収容されている。とは言っても、そういった妖獣は多くなく、他の部屋は倉庫や貯蔵室として使われている。

 三棟地下、冷凍室。その名の通り、妖獣の餌から職員の非常食までを冷凍・貯蔵している部屋だ。基本的に職員なら出入り自由な場所でもある。

「さ、さぶぶぶぶぶぶぶ」

 重く分厚い扉を体重をかけて開くと、ぶわりと体の熱が一気に持っていかれるほどの冷気に襲われる。張景は歯をガチガチと震わせながら、室内に入り扉をしめた。入口前の設定パネルは、マイナス三十八度を指している。

 出入口はひらけているが、数歩先には木や金属製などの様々な素材でできた空箱がいくつか積み上げられている。その向こうには張景の背より高い棚が立ち並んでいた。

 使用頻度の高い二棟の冷凍室と違い、三棟の冷凍室は研究用といったところで、妖獣や妖獣に関する装備のの耐冷実験が主な用途だという。食料などがない代わりに、器具や箱などが霜を被ったままの状態で放置されていた。

 寒い高山での瞑想は慣れたものだが、自然と人為的に作られた場所では、寒さの質が違う。少なくとも、張景はもう今すぐにでも飛び出したかったが、ぐっと堪えて口を開いた。

「天明さん、いますよね」

 返事はない。しかし確信はあった。

「いますよね。この部屋、スイさんの部屋から一番遠いんですから」

 息を深く吸わないように気をつけながら、歩みを進める。ジャリジャリと床の霜を踏む感触が正直痛かったが、張景は構わなかった。

「天明さん、スイさんのいる場所がわかるんですよね。そう聞きました。だからスイさんは見つけられなかったんです。だって、スイさんは天明さんといつも一緒だったから……」

 突如、少し空気が暖かくなった気がした。それは奥に進めば進むほどに感じられ、更なる確信になった。

「……避けられてるなんて、思いもしなかったんです。あの人は」

 部屋の隅にあたる場所、そこに天明が膝を抱えながら小さくなって座っていた。

 天明の足元は霜が完全に溶け、床の色がはっきり見える。周囲は冷凍室と思えない程にほんのりと暖かく、張景はこれが、先日見た異常発熱と同じような原理で天明の温度が上がっているのだとすぐに気付いた。

「……」

「……」

 天明と目が合う。いつものように別段何かを言うでもなく、表情をぴくりとも動かさずに、その燃えるような色をした目で、膝を抱えたままただ張景を見ているだけだ。

 自分より長身の美男子が、冷凍室の隅で膝を抱えてこっちを見ている。あまりにも意味のわからない光景に、張景はなんだかひどく脱力してしまい、深く息を吐いた。

「……隣、座りますね」

 本人の許可を取るより先に、張景は天明の隣に腰掛けた。本人が特に動かないので、合意したと解釈しつつ、張景は同じように膝を立てて、顔を突っ伏した。近くに来ると更にぽかぽかと暖かく、天井からの冷気も気にならない程だった。

 天明は視線を宙へと移した。視線の先は天井を伝う配管があるだけだ。

「なんで、避けてたんですか」

「……」

 返事はない。わかっていたことだが。

「昨日、目が覚めて帰ってくるまで、なにもなかったじゃないですか。なにかあったんですか?」

「……」

 返事はない。うん、まあ、想定内だと張景は自分に言い聞かせた。

「もしかして、昨日の後遺症が残っていて、危険だから離れていた、とか?今も発熱しているみたいですし……」

「……」

 返事はない。流石に張景も少し心が凹んだ。

 会話をすることもままならず、数十秒と時間が流れる。天井の霜が溶けて、床に落ちる音だけが聞こえた。やがて張景が、呟くような声でぽつりぽつりと語りだした。

「……悩んでるんです。スイさん……兄さんに、自分の事を打ち明けるのか」

「……」

 天明は無言のまま、顔を張景の方へ向けた。

「兄さんと会えたのは嬉しいんです。一緒に居るのも。でも、怖いんです。僕は、図体ばかりは大きくなったけど、何もできない。頑張ってできるようになったことも、なぜか、できないし。無知で、役に立てなくて……。自信がないんです。こんな僕の事を知って、困らせたらどうしようって、不安なんです。もう、困らせたくないんです。あのとき……みたいに……」

 いつの間にか、声が震えていた。床に落ちた涙を見るまで、張景は自分が涙を流していることに気づかなかった。

「……あのとき、僕は、洞哮は、兄さん、に、兄さん……を……」

 言葉を紡ごうとしたが、言葉が出てこない。張景は喉の奥にあるはずの、言わねばならない言葉を必死になって探したが、口から出てきたのは嗚咽混じりの意味のない音ばかりだった。

「僕、は、僕は……」

「……ひとりでいるのは、駄目だそうだ」

「……え?」

 あまりにも急な話の変えように、張景は思わず顔を上げた。天明は相変わらず表情は動かさないものの、何か言いたげな様子であることは見てとれた。

「……続けてください」

 張景の言葉に天明は小さく頷くと、ゆっくりと続けた。

「昔、スイに教わった。……約束した。ひとつは、ひとりでいないこと。ふたつめは……生き物を、殺そうとしないこと」

 珍しくよく喋る天明に内心驚きつつも、その表情がほんの少しだけ柔らかい気がして、張景は思わずどきりとした。

「……でも、アレは、よくないモノだ……だった。スイを喰おうとした。俺は……」

 そこまで言って、天明は唇を噤んだ。張景はしばらく待ってみたが、天明は黙ったまま視線を泳がせていた。

「つまり昨日の暴走は、スイさんを傷つけられて怒ったってこと、ですか?」

「わからない」

 そう言って、天明は膝に顎を乗せた。

「……ヒトは、難しい」

(あなたも大概なんですけど……)

 そう言いたいのを堪えつつ、張景は言葉の意味を、理由を考えた。少し考えればすぐにわかった。

 これは、彼なりの返答であり、懺悔なのだと。胸の内を吐露したかったのは、張景だけではなかった。まるで小さな悪事を働いてしまった子供のように、スイと顔を合わせるのは恐らくバツが悪いのだ。

 そもそも、彼は人間ではないし、なんなら性別もないのだから、『彼』と呼ぶのも相応しくない。人と動物の間でコミュニケーションの齟齬が発生するように、天明もまた、人との認識のズレがあるのだろう。

「もしかして天明さんって、自分の気持ちを他人に伝えるの、苦手なんですか?」

 張景がずばりと聞いてみると、天明は一呼吸ほどの間を置いて、「うん」と小さく頷いた。

「……ふ、ふふふ、く」

 その返答が、なぜだかとても安心して、張景は肩を震わせながら含み笑いをした。しかしそれもすぐに、緊張が一気にとけたように口を開けて笑い出した。

「はははは!な、なんだ、僕と一緒じゃないですか!」

「いっしょ」

「はい、ま……全く一緒じゃないけれど、同じです。僕も、自分がどうしたいかとか、どう在りたいとか、まだよくわからないから。きっと天明さんとおんなじなんです」

 張景は一度息を整えて、改めて天明を見た。心なしかきょとんとした顔をしているように見えた。

「ごめんなさい。ただ、なんて言うのかな、……そう、すごく安心したんです。天明さんって、なに考えているかわからないことが多いから、正直ちょっと怖いなとも思っていたんです。……苦手なのに、伝えようとしてくれて、ありがとうございます」

「……これで良いのか?」

「はい」

「……わかった」

 本当にわかったのかわからないような返答をしながら、天明はこくりと頷いた。

(もしかして、兄さんから話を聞き出すより、天明さんと打ち解けて直接聞いたほうがいいのかもしれない……?)

 張景は、なんだか少しだけ、目の前が明るくなったように感じた。

 雲中子から頼まれていたことは、よくよく考えたらスイを介さずとも解決できるかもしれないのだ。少なくとも、スパイじみたことをするよりはずっと気が楽だ。

(天明さんには、何度か助けてもらっているし、そうだ、天明さんの制限解除のために頑張ろう!と、思うことにしよう!)

 と、張景が心の中で意気込んでいると、突如天明が立ち上がると、スタスタと出口へと歩き出した。退いた場所にはすぐさま寒気が立ち込め、張景は一気に体を震わせた。

「え、ど、どうしたんですかッ?」

 張景は慌てて立ち上がると天明の後を追った。天明はちらりと張景のほうへ振り返ると、出口を指さした。

「……」

「……え、ええと、天明さん?」

「戻る」

「あ、ああ。スイさんのところですか。僕も行きます」

「わかった」

 そう言うなり、天明は扉を片手で引いて先に出てしまった。

「……打ち解けられる、のかなぁ……?」

 先程とはまた違う不安に駆られながらも、張景は寒さから逃げるように、天明の後を追った。

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