第5話 疑問、疑問、拒絶(5)
自分が探すとは言ったものの、張景には天明の行くあてなど皆目検討がつかず、早速頭を抱えていた。せめてどこを探したか聞けばよかったと少し後悔をしながら、近くにいた道士の何人かに声をかけてみたが、みな首を傾げるばかりだった。
「……そういえば、お腹空いたなぁ……」
移動中に空腹に気付き、立ち止まった。思い出すと、昨日の夜から何も食べていない。
張景は、休憩室に行けば、誰かしらが饅頭や干した果物を差し入れに置いているかもしれないと考え、ひとまず腹ごしらえのため休憩室に向かった。
施設内には休憩できる部屋がいくつかあるが、職員が休憩室と呼ぶ部屋は、事務室から通路を挟んで反対にある二十畳ほどの部屋だ。床や壁は他の部屋と変わらず白が基調で、中央には木製の大きな机と、それを囲むように椅子が何脚か置かれている。年季の入った茶器と茶棚もあれば、温度を設定してお湯を沸かせる電気ケトル、窓際には天板を外すと雀卓になる机など、古今公私問わず置かれている。
張景が休憩室に入ると、ちょうど二人の道士がお茶をしているところに出くわした。
「あら、張君。おつかれさま!」
「張殿おおお、お疲れ様」
「お疲れ様です。蘇紅玉(こうぎょく)様、李根(こん)様」
張景は拱手で二人に挨拶すると、空いている席に腰掛けた。
蘇紅玉と呼ばれた仙女は、十代半ばほどの少女のような容姿で、身長も百五十センチ程度と小柄だ。ふたつに結われた黒い髪も、ほんのり朱を入れた儚げな化粧も少女のそれだが、危険妖獣区画の担当リーダーを務めている。そのためか、勤務中はほぼ動きやすい作業着を着ている。
ただし、いまここにいる三人の中では最年長であるらしく、年齢を尋ねるのは禁忌だという。スイ談だが。
もう一人の李根と呼ばれた青年も同じ職員で、百九十センチ近くある長身と若干青みがかった黒色の長髪を、後ろで緩く結ってはいるものの、分厚い眼鏡のせいか全体的に野暮ったい空気を纏っている。
慣れると親切ないい人だが、慣れるまでは挙動不審気味な言動と、目元の深い隈が少々不気味な印象を持つ。実際に張景が李根とまともに会話できるようになったのは、つい最近である。
「張君はもう上がりだったよね?どうしたの?なにか忘れ物?」
「ははは……、ちょっと用事ができまして」
と、言いかけて張景の腹が鳴った。張景は照れ隠しに小さく咳き込んだが、全てを察した二人は机の上にある四角いアルミの箱を指さした。
「げ、月餅。時期外れかもしれない、けど、よかったら」
「李根様、ありがとうございます。お隣、失礼しますね」
張景は李根の隣の席に腰を下ろすと、アルミ箱の月餅をひとつ摘んで口に運んだ。月餅としては少々珍しい、小豆餡と胡麻が入っただけのシンプルな中身であったが、疲れた体を癒やしてくれる優しい味だった。
「張君、お茶いる?」
「お気遣いありがとうございます。でも、今は大丈夫です」
「ま、ま、まだあるから食べて、ね。たく、さん貰った、けど、ワタクシ、甘いのが、苦手で」
「私もー、ひとつだけならとにかく、こんなに糖分が高いものはちょっとねー……」
と、言いかけて、蘇紅玉ははっと思い出したような表情で張景を見た。
「そうだ張君、このあとスイ君の部屋に行く?あの子なんでも食べるから、寄るならいくつか包もうと思うんだけど」
「ああ、たしか先日怪我をしたとかで……い゛っ!!?」
突如、李根が悲鳴を上げて硬直した。何事かと思った張景だが、机の隙間から、蘇紅玉が李根の足の甲を踏みつけているのが僅かに見えた。いつも踵のある靴を履いている蘇紅玉だから、それ相応の痛みはあるだろう。
張景はその様を見て、蘇紅玉なりの気遣いだとすぐに気付いた。怪我をしたスイが施設内をずっとうろついていたのだ。すぐ情報は行き渡るだろうし、一応の担当者である張景は、担当初日に怪我を負わせてしまったことに気落ちしているだろうと思ったのだろう。
その心遣いに心の中で感謝しつつも、身を丸めて歯を食いしばり苦悶の表情を浮かべる李根のために、張景は慌てて話題を変えた。
「そ、そうだ!天明さんを見ませんでしたか?スイさんが、朝から姿が見えないって探していまして!」
「天明様が?」
張景の言葉に、蘇紅玉がしゃっと姿勢を正したのと同時に、李根がばたんと机に突っ伏した。どうやら踏みつけからは解放されたらしい。
「うーん、残念だけど私は見てないわ。今日はずっと四棟にいたし。少なくとも、四棟はパスがないと入れないから、天明様は来てないはずよ」
四棟とは、いわゆる隔離棟である。
いま張景達がいる休憩室や所長室があるのは一棟と呼ばれる場所で、正面玄関でもあり主要な設備が揃っている。
それに増設するように設置されているニ棟と三棟は妖獣の収容をメインとしている棟で、この三つの棟は連絡通路と中央の中庭(一部の妖獣の収容スペースも兼ねている)で繋がっているが、四棟のみそこから少し離れた場所に建っている。危険な妖獣を収容しているため、許可された職員しか入れないように結界が張られている。
ちなみに、スイと天明は二棟の二階空き倉庫を部屋として使っているが、以前破壊された扉はまだ直っていない。
「どこか心当たりはありませんか?」
「うーーーーーん」
蘇紅玉はしばらく首を傾けて考える素振りをしたが、やがてふるふると首を横に振った。彼女も単独行動する天明が珍しいらしく、見当もつかないらしい。
「わ、わ、ワタクシ、見ましたよ。何度か」
「本当ですか!?」
ようやく痛みが引いてきたのか、李根がよたよたと顔を上げた。瓶底のような眼鏡が微妙にずれていたが、本人は気付いていないようだ。
「いつ、どこで見ましたか?」
「さい、最初に見かけたのは、三棟で。夜明けごろ、に、目が覚めたので中庭を散歩をしていたら、三棟を歩く天明氏を見かけました」
「……根ちゃん、今日は夜勤じゃなかったよね?なんでいたの?」
「はっはっは。退勤前、に、中庭で横になっていたところ、気付いたら朝に」
「李根様、なぜ中庭で……」
二人の冷ややかな視線を知ってか知らずか、李根は構わず続けた。
曰く、その後にニ棟でスイに会い、天明の行方を尋ねられたので自分の見たことを伝えた。それから少しして、同じく二棟で天明を見かけたので、スイに会えたかと尋ねたが無視されたとのことだった。いずれも午前中の出来事だが、数十分前に、ニ棟から一棟のこの部屋に移動するとき、三棟の方へ足早に歩いていく後ろ姿を目撃したという。
「そう、そうだ。いずれも一人で行動していたはずです。実に、珍しい」
「あの天明様がそんなに長い間、お一人で行動するのなんてちょっと信じられないかも。明日は雪でも降るのかしら」
「あのー……。確かに僕も珍しいとは思いますけど、そこまでなんですか?」
珍しいを連呼しながら茶をすする二人に、張景はおずおずと尋ねてみた。すると二人は口を揃えて、「そこまで!」と答えた。
「張くんは、スイがなんで歳をとっていないか知っている?」
「え、ええ。確か天明さんの血を飲んだとか、聞きました」
「そう、天明様はスイを眷属にしたのよ。まるで吸血鬼が仲間を作るようにね」
吸血鬼、という単語に張景の背中に悪寒が走った。外の世界に疎い張景であったが、その話は聞いたことがある。しかし蘇紅玉は、緊張を和らげるように、にこりと笑いかけて続けた。
「そんな顔しなくても大丈夫。吸血鬼を例に出したけど、あれって伝承と創作の寄せ集めみたいなもので、天明様とは似ても似つかないのよ。ごめんね、怖がらせちゃって」
「い、いえ、そんな」
張景は、緊張が顔に出ていたのが恥ずかしくなり、誤魔化すように視線を少し逸らした。
「わたしが言いたかったのは、あの方は吸血鬼とは真逆ってこと。自らの血肉を与えて眷属を作る怪奇は数あれど、あの方は眷属を使役するどころか、使役されてるのよね」
「は、側から見たら、でかい犬と飼い主、のようですよ」
そこは完全に同意するしかないため、張景はうんうんと頷いた。
「主従が逆なのよね。なぜか。まるで猟犬のよう。命令がない限りはスイから離れないの。収容した日に長時間離しすぎたら、壁をぶち破ってスイの元に向かおうおとした事だってあるんだから」
「前にもぶち壊したことあるんですか……」
張景は、はじめて二人に会った日の、アツユに襲われそうになった瞬間のことを思い出した。あのときも、大胆にも天井を己の拳ひとつで突き破り、窮地を救ったのだ。狙いもやたら正確に。
「……ん?」
猟犬のような性質、あの日の記憶、いままで見てきたこと。張景は、胸にいくつか何かが引っ掛かったような感覚を覚えた。胸の内で拾い上げ、反芻させ、いくつかの引っ掛かりを言語化して繋げていった。
「もしかして、天明さんって……」
繋げた言葉を、疑問を二人に問いかけると、二人は顔を見合わせたあと、一回頷いた。
張景はそれを見るなり立ち上がると、二人に礼を言い、休憩室を後にした。
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