第5話 疑問、疑問、拒絶(4)

 雲中子から頼まれた仕事は、ふたつだ。

 ひとつ、天明の観察と必要に応じてのケア。

 ふたつ、天明についてスイが隠している事の調査。

 なお、通常の業務については通常通り行いながらとなる。

「……はあ、なんでこんなことに」

 トボトボと通路を歩きながら、張景は大きくため息をついた。断ろうとも考えたが、雲中子曰く『ここ最近行動を共にしてかつ、勤務期間が一番浅い景クンなら、スイも油断するはず。ああ見えても警戒心がかなり強い子だからネ!』と畳みかけられて、首を横に振れなかったのだ。

 とは言っても張景は、どうも隠し事は苦手な性分だった。それは自分でも理解しているし、今回のようにうまく言いくるめられると流されやすい。

 ので、現在進行形で落ち込んでいた。

「……せめて、弟だって打ち明けたら良いのかな……」

 ぽつりと呟いてみる。今まで言うか言うまいか悩み、結局言い出せずに張景の胸に秘めたままだ。

 悩みの種は減らせるものなら減らしたい。しかし、張景には気がかりなことがひとつあった。

(スイ……兄さんからして、特にこの話題を持ち出したことが特にないのは、なんでだ?)

 最後に話題を持ち出したのは夜勤をした日で、切り出したのは張景からだ。それ以降もスイ自身から特に話題が出ることもない。

(はじめて会った日、死ぬかもしれない時に言伝るぐらいだから、気がかりなのは間違いないはず。……気がかりだけど、もしかして、会いたくない?僕たちを置いて行ったことが気がかりで?そもそも、なんで兄さんは……)

 と、あれこれ考えながら歩いていると、床をコツコツと叩くような不規則な音と共に、通路の角から間伸びした声が聞こえた。

「おーい、天明。てーんーみょーおー。どこだー?」

 ひょこ、ひょこ、とぎこちない歩調で出てきたのは、紛れもなくスイ本人だった。左脚にギプスがはめられており、両手で松葉杖を動かしながら、ゆっくり前進していた。

「スイさん!?どうしたんですか、その足は……」

「あ、景くん。いやあ、はははは」

 張景が慌てて近づくも、当のスイはなんとも呑気に笑ってみせながら、方向転換した。

「実は左脚の骨にちょっとヒビが入ってるみたいでさ」

「大丈夫なんですか、それ」

「服脱ぐまで気づかなかったぐらいだし、平気だよ」

 朗らかに話すスイとは対照的に、張景の表情はみるみる青くなった。この怪我には、覚えがあるからだ。

「……あのとき、僕を庇ったからですか?」

 張景の言葉に、一瞬スイの表情が固くなったが、すぐさまぱっと明るく笑ってみせた。

「景くんのせいじゃない。気にするな……とはいかないかもしれないけど、大丈夫。こんなのすぐ治るから!」

すぐ治る、という言葉は嘘ではない。以前スイが倒れた際に、雲中子から聞いた話によると、スイ体の治りが常人と比べて異常に早いのだ。倒れたときも、一週間は安静にと言われていたのに三日も経てば力仕事もテキパキこなすし、どうやらかなり昔に骨折したこともあったそうだが、全治三ヶ月を言い渡された際には二週間で完治していたらしい。

 ただし、痛覚に対して本人は鈍感な傾向にあるという。いずれも天明が関係していると推察されているが、はっきりとした原因は不明のままだ。

(僕の、せいだ。僕が役に立たないばかりに)

 それでも、自分が原因であることに変わりはないと、張景は自責の念に駆られていた。それを察知してか、スイは少し困ったように目を細めた。

「オレ自身が気にしてないからいいんだよ!はいこの話はおしまい!!で、景くん、天明を見なかったか?」

「天明さん、ですか?昼前に仮眠室で会ってから見てないですけど……」

「昼、昼前か。そっか……」

 考え事をするように、スイは少し俯いた。張景は、なんとなく気になることがあって、スイに問いかけてみた。

「いつ頃から見かけてないんですか?」

「……朝から」

「朝から!?」

 張景は思わず声を上げた。現在の時刻は午後二時過ぎ。二人が短時間離れることがあっても、こんなに長い間別行動を取っているのは、少なくとも張景は見たことがなかった。特に天明はスイの金魚の糞と言えるレベルであとを付いて回っていたので、自ら離れるとはにわかに考えにくい。

「景くんは、今日はこれから仕事?」

「い、いえ。今日はもう上がりになりました」

「そっか。もし途中で天明を見かけたら、部屋に戻るよう伝えておいて。オレはもう少し探してみるよ」

 そう言い終えるや否や、スイは慣れない動きで張景の横を通り抜けようと、松葉杖をつき始めた。

「いやいや、スイさん怪我してるじゃないですか。スイさんこそ、部屋に戻るべきですよ!」

「いや、でも、今までこんな事無かったから、心配なんだ。それに……」

「それに?」

「あいつ意外と鈍臭いし、溝とかにハマって出られなくなってたらいけないし」

「猫かなんかですか」

 張景はやれやれとため息をついた。ここしばらくスイと時間を共にしたが、言い出したら聞かない人間であることは理解していた。おそらく、放っておいたらこの足で一日中、施設中をうろつくのは明白だった。

「僕が探しますから、スイさんは部屋に戻ってください」

「いいって!もう帰るんだろ?」

「天明さんもスイさんも、一応は僕が担当です。スイさんを歩き回らせて怪我の治りが悪くなったら、僕の責任になります」

 ぐうの音も出ない正論に、スイは押し黙るしかなかったが、それでも何か言いたげな目で張景をじっと見てきた。

「行き違いになっただけかもしれないでしょう?そのうち一人で戻ってくるかもしれませんし」

「……でも、これはオレが好きでやってるようなものだし」

「そこまで言うなら、僕が脇に抱えて部屋まで連れて行きますけど」

「ッ!?わ、わかった。わかったからそれはやめてくれ!戻るから!」

 張景の言葉を聞くなり、スイはぎくりと表情を強張らせると、回れ右して急足気味に自室へ戻って行った。と、数歩進むと途中で張景の方を振り返り、

「……ごめん」

 と、呟くように言うと、また松葉杖をつきながら廊下の角へ消えた。

「……それは僕の言葉だよ、兄さん」

 誰も居なくなった廊下で、張景は人知れず呟くと、深い深いため息をついた。

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