第5話 疑問、疑問、拒絶(3)

「うん、オッケ〜。スイの報告と擦り合わせても、矛盾はないね」

「ううう、ご心配をおかけしました……」

 深々と頭を下げる張景の姿に、雲中子は手元のタブレット(正確には、タブレット端末を模した高情報処理端末)をしまいながら笑みを浮かべた。

 所長室は他の部屋と同様に、下界の病院や研究施設を思わせるような材質の床と壁、長方形のシンプルな作りをしている。しかし雲中子があれやこれやと家具や書物を持ち込んでいて、室内はごちゃごちゃとしていた。

 二人が対面している木製の机も、部屋に合わない年季の入ったものだ。その上に報告書だの資料だの、間に漫画本が挟まっているだので非常に散らかっている。張景としては非常に片付けたくて仕方なかったので、あまり視界に入れないようにしていた。

「反省は多々あれど、とにかく被害もなく全員無事でよかったよ〜。お茶いる?パックのやつだけど」

「いえ、僕が淹れますよ。仙人様にさせる訳には……」

「いいのいいの。自分のついでだから」

 雲中子は席を立つと、木製の戸棚から二つ分の茶器とアルミ製の箱を取り出した。箱にはパックの茶葉が種類問わず雑に詰まっており、雲中子は適当なパックを取り出すと、部屋の隅にあるヤカンでお湯を注いだ。

「そうだ!その姜子牙…様、さっきそこの廊下で会ったんです!」

「ああ、ボクも会ったよ。ていうか、この部屋に来た」

 どうぞ、と差し出されたお茶を受け取りながら、張景はごくりと息を飲んだ。

「そういえばあの人、何しに来てたんですか?」

「妖獣の貸出申請書を取りに来てた」

「妖獣の、ですか」

 一口、お茶を飲む。張景の思っていたよりだいび温く、味も出ていなかった。

「景クンも知ってると思うけど、ウチって妖獣の保護や研究以外にも、一部の妖獣の貸し出しもしてるんだよね。里の人の仕事を手伝わせたり、非常時には人命救助もする。昨日のスイと天明もその一貫ね。あの二人は基本的に二人一組行動だから」

「そ、そうなんですか?」

「あー……、昨日の今日だから資料を全部見てない?」

「……すみません」

 張景は申し訳なさそうに少し俯いた。雲中子は少し苦笑すると、自分の席に戻った。

「このあと読んでおいてね。で、基本的に申請理由と貸出記録、あと貸し出す妖獣の危険度も考慮して、不備や不審がなければだいたい申請が通るんだよ。ここ……桃源郷って、外部の出入りが難しいからほぼほぼ仙道か地元民だから、そーゆーところゆるゆる。正直どうかと思うケド」

 はあ、と 雲中子はため息をつきながら自分のお茶を飲んだ。

「あの人は……何がしたいんでしょうか」

「さあね。……そもそも、本当に姜子牙なんだろうか、アイツ」

「……え?」

 張景が聞き返そうと口を開きかけた瞬間、雲中子は突如はっとした表情で、ダンッと茶飲みを机に置いた。その音に張景の肩がびくっと跳ねた。

「そうだ!あんな奴の話じゃなくて本題!天明の話をしないと!」

「あ……そ、そうですね。すみません」

 雲中子はエフンと大きく咳払いすると、報告書を手に取りつつ背もたれにもたれ掛けた。

「……エー、実は天明の異常な発熱ね。あれだけ高温での発熱は初めてなんだよ」

「そうなんですか?」

「発熱自体は珍しいことじゃないんだよ。あの子は熱を操る力がある。ボクも何度も目にした。体の温度を自在に変えられる。あのヤカンも、さっき持ってもらって沸かしてもらったし」

「いいんですか、そんなことに使って……」

「使ってもいいように、ボクが許可だしてるから。で、今後なんだけど、初めての現象ということもあるので、天明はしばらく外出と貸し出しは禁止にするよ。安全性が確認できないからね」

 なるほど、と張景は頷いた。気の毒と思う気持ちもあったが、いざという時に制御する方法が確立されていないのであれば、納得するしかない。

「スイの方は……検討中かな。言い方悪いケド、あのこ元々は天明のおまけで保護されてるんだよね。実際は天明がスイの金魚のフンなんだけど。しばらく離れると天明が精神不安定になるんだよね。なぜか」

 その言葉に、張景は以前シャワー室の前で天明と会った事を思い出した。

 今朝のように簡単な頼まれごとをする以外は、基本的にスイと共にいる。べったりと言っても良いぐらいだ。改めて考えると、その理由は張景も知らなかった。

 雲中子は報告書をめくりながら、小さく息を吐いた。

「これはスイにも言ったけど、天明には先生をつけようと思うんだ」

「先生……ですか?なんの?」

 予想外の言葉に、張景は思わず聞き返してしまった。

「う〜ん、景クンには師匠と言った方がわかりやすいかな?暴走の理由はまだわからないケド、あの子には自分の能力と自我をコントロールできるようにする必要があると、判断した」

「……スイさんは納得されました?」

「渋々ね」

 と、雲中子は苦笑しながら改めて張景に向き直った。表情こそは柔らかいが、目は真剣……なように、張景は感じた。

「先生探しはこっちでやるから、景クンはスイと協力して天明の観察とケアをして欲しい。少しでも気になるところがあったら報告するように!」

「は、はい!」

「……で、ここからはスイに言ってないこと」

 突如、雲中子が声の調子を下げたことに張景はびくりと肩を強張らせた。しかし雲中子はお構いなしに、ちょいちょいと指先で手招きすると、張景の身体は引っ張られるように前のめりになった。

 息を潜めるように、雲中子は張景に耳打ちした。

「スイはね、たぶん、異常発熱のことを知ってる。知ってて今まで黙っている」

「……え?」

 一瞬、張景には雲中子の言っていることがわからなかった。

「な、なにを根拠に、そんな」

「伊達にあの子達を見てきたわけじゃないよ。ボクだって、疑いたくないさ。きっとスイも全てを知ってるってわけじゃないだろうけども。だからね」

 少しの間だけ、沈黙が流れる。張景からは雲中子の顔は見えなかったが、なんとなく、少し困ったように笑った気がした。

「スイが隠してること、調べてきてくれないか?」

「……ええ、えええ……?」

 脳の処理が追いついていない状態からの怒涛のコンボに、張景はとても小声で、とりあえずうろたえることしか出来なかった。他人に打ち明けられない問題をまたひとつ増やしたような気持ちになり、キリリと胃が痛んだような気がした。

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