第5話 疑問、疑問、拒絶(1)
兄は、自分にとって何よりも一番身近で頼もしい存在だった。
忙しい××の代わりに面倒を見てくれた。なんでも教えてくれた。嘘はつかなかった。どこについて行っても疎ましがらなかった。
確か、歳は八つ差だっただろうか。幼い頃の自分には、ずっと大人に見えた。一緒に居るのが当たり前と疑わなかった。
だから、××があったときも、兄がずっと側にいてくれると思っていた。
「……う、うう、……さん……、置いて、いかないで……」
小さな呻き声と共に、布団が擦れる音が室内に響く。窓からさす光が、寝返りを打ったことで顔に当たる。その眩しさに、張景の意識はゆっくりと覚醒した。
「……あれ、ここは……うおっ」
視界に最初に入ってきたものに、思わず声が裏返った。
整った顔立ちに陽の光でキラキラ輝く銀色の髪の美青年が、夜明けの太陽のような赤い目で、無言のままこちらを覗き込んでいたからだ。
「……」
「……え、と、……て、天明さん?」
「…………オハヨウゴザイマス」
「え、あ、はい。お、おはようございます……?」
天明はそう小さな声で、言い終えるなり、ゆっくり立ち上がって張景をじっと見つめた。張景も戸惑いながら身体を起こし、辺りを見回した。
妖獣保護センターの、仮眠室。素材もデザインもバラバラな仕切りで区切られたスペースに、ベッドがふたつと、レジャー用の折りたたみベッドがひとつ。それと壁には姿見鏡と、静かに時を刻む壁掛け時計だけ。まさしく眠るだけに特化したような部屋だ
(そうだ、ここに戻ったあと、ひどく疲れていたから少し休ませて貰ってたんだった)
眠気の残る頭で、記憶を遡る。帰る頃には日も暮れ、体も冷えていたので雲中子が気を遣って休ませてくれた……と、いうところまでは辿れた。その後この部屋で、倒れるように眠り今に至る。
「天明……さん、大丈夫なんですか……?身体の状態は……」
張景は、恐る恐る天明に尋ねた。張景が見た様子だと、普段通りの天明ではある。しかし昨日の暴走を見た身としては、天明には申し訳ないが、警戒するに越したことはなかった。
「……」
「……あの」
「……うん」
と、天明が小さく頷いた。張景に意図はよくわからなかったが、微妙にズレた返答に、脱力してしまった。とりあえず、本人が言うなら大丈夫なのだろう、と張景は自分を納得させた。
「……いま、何時ですか?」
ふと時間が気になり、張景は天明に聞いてみた。時計を見上げれば済む話だが、窓から差し込む日の高さに気付き、なんとなく見るのが怖かった。
「午前、十一時三分」
「あああ〜〜……完全に寝坊した……。しかも半日近く寝てた……」
張景は両手で顔を覆うと、深いため息をついた。しかしこうしてもいられないと、すぐさま顔を上げてベッドから降りた。
シーツを整える背後で、何をするでもなくこちらを見続ける天明の視線に少々やりづらさを感じながらも、張景はふと手を止めて振り返った。
「もしかして、起こしにきてくれたんですか?」
天明は言葉を反芻するように何拍か時間を開けたあと、ゆっくり口を開いた。
「雲中子が、様子を見て来てと」
「ああ、だから見てたんですか……」
言葉をそのまま捉えてしまったのか。と、張景は変に納得してしまった。共に過ごした時間はそう多くないが、何故だかそんな奇妙な行動を取ってもおかしくはない男だと思えてしまう。厳密には男ではないが。
「ありがとうございます。じゃあ僕は、雲中子様のところに行ってきます」
「……わかった」
「天明さんも、一緒に行きます?」
「戻る。スイのところ」
「そ、そうですか」
そこだけは珍しくはっきりと答えられて、張景は少したじろいだ。そんな様子を気にすることもなく、天明はさっさと部屋を出ようとしたが、何かを思い出したかのようにぴたりと立ち止まり、振り返った。
「……人は、寝るといつもそうなるのか?」
「え、それはどういう……はっ!?」
と、言いかけて気付き、張景はすぐさま姿見鏡の元へ走った。案の定、髪は寝癖だらけであらぬ方向を向き、目も疲れで腫れぼったくなっていた。
「……ごめん、天明さん。帰る前に雲中子様に、顔を洗ってから行きますって伝えておいてください」
「……?わかった」
天明は不思議なものを見るように、少し首を傾げたが、張景がそれに気付くことはなかった。
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