第4話 神を名乗る男(10)

 あれから数十分後。張景とスイは、男の元へ結果を報告しに戻っていた。

「……なんで二人ともズブ濡れなんじゃ?」

「色々とありまして」

 怪訝そうな顔で問う男に、苦々しい表情で張景が答えた。

「ふむ。で、あの銀髪の男は?」

「……少し離れたところで休ませてる」

 警戒するような目でスイが返す。ただ、全身ビショ濡れのせいか凄みが全くなく、男は野良猫を見るような目でじとりとスイを見た。男は「ま、いいか」と小さく呟くと、適当な岩に腰掛けた。

 あの後、大量の水を浴びた天明は気絶し、馬腹はどこかに流れてしまった。おそらく生きてはいないだろう。張景達は下手すれば溺れ死ぬかと思いきや、水を思いっきり被っただけで不思議と無事だった。

 張景はウーにまつわる不思議な現象に心当たりがあり、スイにこっそりウーの正体を尋ねたが、「知らない方がいい事もあるぞ」と拒否されてしまった。

 とりあえず、ウーと娜に事情を説明をした上で倒れた天明を任せ、二人は男の元へ戻ってきた。手ぶらで。

「で。俺の体になるものは見つかったか?」

 男は足を組みながら、にこりと笑った。笑っているが、その目は品定めをする商人のようで、感情が読めない。

「それなんだけど……景くん。さっき言ってたアレ、お願いできる?」

「は、はい!」

 張景は懐から道具箱を取り出すと、その中にある赤色の符を一枚つまみ、平たい岩の上に置いた。描かれた紋様をなぞりながら気を流すと、僅かに符が光る。

 張景が手を離すと、符から粘土のようなものが、ところてんのように細長くニュルニュルと出てきた。

「えっ気持ち悪っ。なにこれキモッ」

 男の言葉に既視感を覚えながら、張景は大きくため息をついた。

「……台所の火除け霊符の、失敗作です。なぜかソレが出るんですよ。一応、霊力は込められているので使えるかもしれないです」

「えー……」

 男は心底嫌そうな表情で粘土?に触れた。肉体の無い身のため直に触れたわけではないが、指を粘土?に突っ込むと、しばらくして引き抜いた。

「……うわ、本当だ。キモいけど、確かに霊力がある。少し時間は要るが、使えないことはないか。ふむ、まあいいだろう。まじないは解いてやるから安心しろ」

「……それだけじゃないだろ」

 スイは男をギロリと睨んだ。男はなにやら面白い物を見つけたかのように、すぅっと目を細めて笑った。

「お前は、誰だ。なんで爺先生の事を知っている」

「まあ急かすな。日暮れが迫ってるし、手短に話してやろう」

 苛立ちを露わにするスイとは対照に、男はのんびりとした歩調で少し高い岩の上に飛び乗った。

「呉蒙とは知り合いでな。あいつもかつては仙道だった。下仙して、地上で隠遁生活をしていたが、養子を取ったことは知っていたよ。お前の名前でピンと来た」

「ちょ、ちょっと待ってください。呉って姓は別に珍しいわけじゃありませんよね?」

「話を遮るな。……まあ良い。今回のまじないだが、ある条件がある。『俺と関わりのあるものが引き寄せられる』というものだ」

 男は一瞬だけ機嫌が悪そうに口を閉ざしたが、すぐに元の表情に戻ると、すっとスイの腰を指した。

「呉水。お前の持っている短剣には霊力が込められている。大方、呉蒙が護りのまじないでも掛けておったんだろ。その縁を俺のまじないが引き寄せたんだろうな」

「天明と景くんは?なぜ二人は関係ないだろう」

「お前と縁が近いからじゃないか?血縁者とか師弟だとか」

 血縁者、という単語に張景は顔を強張らせた。スイは少し考えると、張景の方を向き、申し訳なさそうに笑った。

「……今日からとはいえ、保護者だから?」

「た、多分」

「ごめんな、巻き込んで」

「い、いえ。お気になさらず」

 張景は胸を撫で下ろすと、男の方へ向き直った。

「なぜ、そんな術を?助けを求めるなら、そんなまどろっこしい方法を取らなくてもいいのに」

「なにせ俺は、大昔から生きとるからな。敵も多少はおる。見つかると色々と面倒だからの」

「……あなたは一体」

「ふむ。流石にここまで来て名乗らないのも失礼か」

 と男は口角を上げると、ひょいっと跳躍し再び大岩の上へ乗った。

 誇らしげに腕を組み、これでもかというぐらいに偉そうに仁王立ちしてみせると、よく響く声を張り上げた。

「特別に教えてやろう!光栄に思え!姓は姜、字は子牙!古代周王朝の軍事長官にして斉王!道士でもあり、尸解仙でもありながら商いの神でもある!軍神・太公望とは俺のことだ!!」

「……え、え、えええええ!!!???」

 ぽかんとするだけのスイの隣で、子牙と名乗る男より何倍も大きく、張景の声が山にこだまする。

 姜子牙。またの名を呂尚。現代においても神と崇められる存在。

 その笑みの意味に、黒い瞳の奥の真意に、張景はまだ、気付くことはない。

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