第4話 神を名乗る男(9)
「……やめろ、天明」
震える声を絞り出するように発したのは、スイだった。
「頼む、頼むから」
しかし、嘆願するスイの声は届いていないのか、天明はこちらに見向きもしない。張景の知り得る限りでは、普段は大人しくスイの後ろをついて来るだけで、スイの言葉を無視するような人物ではない。
その異様な光景に、張景の額には汗が滲み出た。しかしすぐに、その汗が緊張で出たものではないと気付いた。
「……焦げ臭い……?」
鼻をつく異臭に、張景は思わず呟いた。
先程から天明の周りに漂う熱気は温度を増し、離れているはずの張景でも感じ取れるほどに暑い。鍛錬を積んでいない者なら、熱にあてられ倒れてもおかしくはないだろう。
間違いなく熱気は天明から発せられている。それどころか、天明の服の袖が、燃えている。煙を上げながらみるみるうちに黒焦げになり、パラパラと地面へと焼け落ちていった。
そこから現れた天明の腕は、熱を帯びた鉄のような橙色の光を帯びていた。腕がとてつもなく高温になっているのだと、張景はすぐ気付いた。
「ヴヴヴヴ……!!」
馬腹もこの異変に気付き、天明へと向き直ると毛を逆立て威嚇をした。
その直後、天明が大きく一歩踏み出したかと思うと、目にも止まらぬ速さで馬腹の側まで跳躍し、右の拳を力いっぱい馬腹にめがけ振り下ろした。
「ギャア゛ァァア゛!!」
馬腹の叫び声と同時に、周囲に焦げ臭いが広がる。見ると、馬腹の左前足肩関節が抉れている。毛も周囲が燃えて散り散りとなり、抉れた肉が露わになっていた。
どうやら直撃はしなかったようだが、おそらく触れただけでもそうなってしまったのだろう。張景はぞっとした。
「天明!もういい!やめろ!!」
スイが叫ぶが、天明は馬腹を見据えたまま振り返りもしない。馬腹も目の前の脅威に対峙し、もうスイと張景は眼中にないようだった。
また同じように、天明が踏み込み、馬腹を殴る。しかしその構えは素人そのものであり、力任せにしている事は一目瞭然だった。馬腹は寸前のところで躱したようだが、体毛がチリチリと焼けていた。
「……景くん!早く逃げろ!!」
「に、逃げるって言っても、なんなんですかこれ!天明さんは、どうなったんですか!?」
「……前に、天明は神様かもしれないって話したよな?」
いつになく神妙なスイの声に、張景は息を呑んで頷いた。
「専門家の雲中子も、長く過ごしたオレですら、あいつの正体を知らない。逆に言えば『何があってもおかしくない』んだ。奇跡を起こす事も、何かを破壊し尽くす事だって。少なくとも、今は山火事になる可能性がある。景くんはあの男の所まで戻れ。さすがに呪いを解いて下山できるだろう。オレは、最後までここに残る」
そう言い追えると、スイは天明の元へ一歩踏み出した。周囲の熱さは留まることを知らず、足元の草木は徐々に枯れている。張景は、辛抱たまらず叫んだ。
「なんで……なんでいつも自分一人で決めるんですか!!」
「……景くん」
「初めて会った時も!この前も!勝手に決めて!自滅しかけて!僕だって、一応これでも道士なんです!少しは頼ってくださいよ!もう、もう……」
もう、置いていかないで。そう言いかけて、張景は言葉を飲み込んだ。
「とにかく、アレはどうしたら止まるんですか!?」
張景の声に、スイは観念したようにわずかに口元を緩ませ、それからすぐにキッと引き締めた。
「……まずは馬腹の討伐。アレは、多分オレを馬腹が攻撃したからああなってる。天明が殺す前にこっちが必ず仕留める必要がある」
天明が殺す前に。張景は理由を問いたかったが、なるべく冷静に言葉を選んだ。
「天明さんはどうするんですか?」
「うう、そこなんだよなぁ。大量の水でもあれば、驚いて正気に戻るかもしれないけど……」
「大量の水……」
張景は何度か繰り返し呟くと、突如地面に膝をつけ、掌を当てた。
「ここ、水脈があるかもしれません!少し時間がかかりますが、川からそう離れていないし、あるいは……」
「そうか!って、水脈があってもどう掘ればいいんだ!?」
「え、ええとそれは……」
張景は言葉に詰まりかけたが、直後、聞き馴染みのある声が響いた。
「それなら私に任せよ!!!」
とうっと言う掛け声と共に、背後の木の上からずどんと、何か大きなものが降りてきた。筋肉に纏われた巨大な身体、はつらつとして響く声、そして特徴的な髭。
「ウ、ウーさん!?なんでここに!?」
「私もいますよ、お二方!」
張景が目を丸くしていると、少し遅れて背後から娜が茂みから出てきて駆け寄ってきた。
「ウム、事情はともかく事態は理解した!水脈掘りは私が手伝おう!娜はスイ君と共に馬腹を!」
「はっ!スイ君、これを!」
「わ!りょ、了解!」
娜は呼びの小弓をスイに投げつけると、駆け出した。スイは慌ててそれを受け取ると、持っていた矢を番えて後を追った。
「娜さん!オレは天明を抑えるから馬腹を!」
「……頼みましたよ!」
スイはほんの一瞬ためらいの表情を浮かべたが、すぐさま弦を引き、天明めがけて矢を穿った。矢は真っ直ぐ天明のふくらさぎ辺りまで飛んだが、矢柄は到達するまでに熱で発火し、矢尻はまるで滑るように弾き返され、刺さることはなかった。しかし、天明の動きが少しの間止まったのは明らかだった。
「ス、スイさん!?な、なにを……」
スイの行動に張景は目を丸くしたが、直後ウーに背中を叩かれはっとした。
「張さん!できるか?」
「や、やってみます!」
張景はその場にしゃがみ込むと、両手を地面に当てた。先程のまじないの元凶探しと違い、地脈の流れを読むことは、張景にとってそこまで難しいことではない。古来よりそこにあるものを読み取り、流れを知ることは、日々の瞑想で体に染み込んでいる。少なくとも、今までは。
(あ、あれ……?わからない……?)
緊張、焦り、不安。修行とは異なる状況。早くなるばかりの鼓動に支配され、うまく集中ができない。
(もし水脈がなかったら?い、いや、やるしかないんだ。やる、しか……)
熱に当てられ、ふらつきそうな頭をフル回転させながら、張景は指先に力を込めたが、何も感じとることができない。
張景が汗だくの顔を上げると、娜は馬腹に威嚇するように矢を放っていた。馬腹も新たな敵に怯んではいたが、なかなか逃げようとはせず立ち向かってくるものだから、苦戦しているようだ。
スイも、弓矢で足止めをしたり、時には天明の前に出てきて動きを止めている。しかしそう長くは持たなさそうだと張景は感じた。
「張さん、そう焦っていては何も見えんよ」
ウーの声に、張景はぎくりと体を強張らせた。しかしウーは今の状況とは裏腹に、穏やかな声色で続けた。
「馬腹は、水の気がある場所にしか住まん。どんなに弱くても、ここには必ず水の気はある。在る流れを見るだけだよ、張さん。それさえ見つかれば後は私がどうにかする!否、どうにかできる!」
張景はその言葉で、不思議と気持ちが楽になった気がした。この人の言う事は間違いはない。自信と貫禄に満ち溢れた彼を、信じてみようという気持ちになった。
すう、と一度深呼吸をして、張景は地面に手を当て直した。指先に気を集中させ、土の中から水の気を探す。さながら指の触覚を遠くに飛ばし、離れた物の形を触り当てるような感覚で。
大丈夫だ、絶対ある。
たった数秒、長く思えるような数秒ののち、張景はばっと顔を上げると素早く一点を指差した。
「見つけました!距離は……馬腹の足元!で、でもかなり弱い……」
「構わん!道さえわかれば拓くのは容易い!!」
そう言い終える前に、ウーは人間とは思えぬほど高く跳躍すると、右肘をぐっと上げて突きの構えを取った。
「ウーさん!!」
スイが叫ぶ。張景がぱっと視線を向けると、天明がスイの制止を振り切り、馬腹に殴りかかろうと地面を蹴った瞬間だった。
このままではウーが天明と衝突してしまう。しかしどうあがいても張景では間に合わない。
目を瞑りそうになったその時だった。
「……龍!?」
突如ウーの姿が光ったかと思うと、一瞬にして一匹の白い龍と化した。龍はそのまま猛スピードで張景の指した場所へ向かい、突き刺さるように地中へと潜っていった。
直後、一瞬地鳴りがしたかと思うと、龍が潜った穴から大量の水が噴き出した。連鎖するかのように辺りから次々と水が噴き出し、瞬く間に張景達の視界を遮り、覆い尽くして──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます