第4話 神を名乗る男(7)

 さらさらと足元を流れる清流を眺めながら、張景は大きくため息をついた。靴の上を沢蟹が登ってきたが、それすら気付かず天を仰ぐ。

 自称神を名乗る男の言い分は、こうである。

「下界をうろついていたらの、ちょーーっと他所の神様と派手にケンカしてしまってな。あ、和解はちゃんとしたぞ?だがのぅ、それなりに霊力を削がれてしもうて、ここにある霊脈で養生してたという訳だ。ただ、何年もじっとしてはいられなくてな。魂魄を分けて行動できる仮の肉体が欲しい。いわば親機と子機みたいなものか。ということで、肉体の材料を持ってきてくれ。ちなみに俺は動けないから、そこんとこヨロシク☆」

 思い返して、もう一つため息が出た。

「絶対怪しいんだよなぁ……」

 言葉の節々に頻発する不穏な単語。未だ正体がわからない男。

 張景はあのあと解呪を試みたが、解こうとすれば余計に絡まる糸のようなまじないに、解呪を挫折していた。どうやら術の腕はあちらの方が上手らしい。

 渋々と材料集めをすることになったのだが、一体何を集めたらいいのかヒントすらない。気がかりと自信の喪失で落ち込んでいた。

 男への不信感も気がかりではあったが、それ以上にもう一つ、張景には気になることがあった。その直後に男がこちらの名を問うたときである。

「そうだ。お前達はどう呼べば良い?」

 そう男が聞いた時、スイはこう名乗った。

「……呉水。スイでいい」

 呉。その姓に張景は聞き覚えがなかった。少なくとも、自ら名乗った事はない。

 そして男は「呉……呉……」と呟きながら、まじまじとスイを見ると、合点がいったようにぽんと手を叩いた。

「もしや、呉蒙(ごもう)の?」

 呉蒙という名に、スイはひどく驚いたようで目を見開いていた。張景には覚えの無い名だ。うろたえる張景をよそに、スイが男に詰め寄ろうとしたが、男はすぅっと跳ねるように巨大な岩へと戻ると胡座をかいてスイを見下ろした。

「なぜ、その名を知っている」

「知りたいか?そうだな、材料探しが終わったら聞かせてやるよ」

 その問答の後は、男は横になったまま岩から降りて来ず、スイはどこか不機嫌だ。さっさと終わらせて帰ろうと笑ってはいたものの、向こうで草むらをかき分けている背中からはなんとなくそんなオーラが見てとれた。

「……っと、いけないいけない。まずは目の前の事をしないと!」

 更にため息が出る前に、張景は雑念を振り払うようにぶるぶると顔を横に振り、立ち上がった。

 男が言うには、まじないは男からある程度離れると男の元に戻ってきてしまう類のものであるという。

 術の追跡をしなくても、最終的には男の元へ辿り着くようになっていたらしいが、無駄に迷って時間を消費しなくて済んだためか、日暮れまでの時間はまだある。

 大事になる前に早く解決しないと、と張景は喝を入れるように自分の両頬をぺちんと叩くと、スイの元へと駆け寄った。

 足音にスイが気づき、振り返る。その表情は打って変わって穏やかに見えた。

「景くん、顔色が良くなさそうだったけど、大丈夫なのか?」

「はい、少し休んじゃいましたけど、この通りです。何を探していたんですか?」

「ちょっとな。正解かどうかはわからないんだけど。天明、あったか?」

 スイが声をかけると、少し離れた背の高い草むらから天明がにゅっと顔を出して、首を横に振った。そのままがさがさと草を掻き分け、スイのところに戻って来た。頭や服に所々草のかけらが乗ったままだが、本人は気にしていない様子だ。

「やっぱそう都合よく無いよな。動物の死骸」

「しっ……!?」

 意外な単語に、張景の表情が強張る。その様子に苦笑しつつ、天明の服についた葉っぱを払いながらスイは続けた。

「魂魄を入れるものを用意しろっつったって、こんな山の中じゃ用意できるものも限られるだろう?だったら手っ取り早く、動物の死骸でもあれば仮の肉体としては十分だと思って探してたんだよ」

「なるほど……。僵尸(チャンシー)を作る要領に似ていますね。でもスイさん」

「なに?」

「あの、見るからにプライドが高そうな人が、動物の死体に素直に入ると思います?」

「大丈夫、無理矢理押し込める」

 スイはにやぁと、恨みつらみが籠ったねちっこい笑顔を浮かべながら、ぐっと手を握りしめてみせた。張景の勘は正しく、かなり怒っているようだ。

「……とは言っても、モノがないと話にならないからな。仕方ない、ちょうどいい獲物がいないか探してくるしかないか」

「獲物って……、もしかして狩りをするつもりですか?」

「ああ、一応本来の目的だしな。ただ……」

 スイは脇に置いていた弓を拾い上げると、ワイヤーの張りや留め具に異常が無いことを確認しながら、軽くワイヤーを弾いてみせた。

「狩りっていうのは、基本的には罠猟がほとんどだ。この弓だって、強化はしてあるがほぼ護身用で、殺傷能力は銃より低い。鳥型ならともかく、熊や虎を仕留めるのは無理だ」

「じゃあ、狙うのは鳥になるんですか?」

「いや、違う」

 弓を背負い直す。矢の残量や装備に異常がないか再確認しながら、張景に向き直った。

 一瞬、張景にはその表情が冷ややかなものに見え、不意にドキリとした。

「人型だ。人型の妖怪を狙う」

 発せられた言葉と反してその声色はいたっていつものスイで、張景は得体のしれない違和感を覚えた。

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