第4話 神を名乗る男(5)

「よ、よし景くん。移動しながら妖獣観察をしよう。施設にいない妖獣もここにはたくさんいるぞ!」

 次のポイントに向かう途中、突然スイが提案してきた。

「どうしたんですか?急に」

「……ふふ、スイ君は役に立つところを張様に見せたいのですね」

「うるせいやい」

 照れ隠しなのか、スイが唇をむっと尖らせるのを、娜はくすくすと笑った。その姿は年相応の子供のようで、張景も釣られて笑みが溢れた。

「そうですね、じゃあ解説お願いします」

「おうよ、任せとけ!」

 張景の言葉に、スイは目を輝かせると自信たっぷりに笑って見せた。早速辺りを見回すと、ぴしゃりと前方を指差した。

「ほら向こうの茂み。黄色い花が咲いているところに羽のついた犬っぽいのが見えるだろ?」

「え?ええと……」

 指差した先へ張景が目を凝らすと、確かに黒い犬の頭のようなものが見えた。よくよく見ると言われた通り、翼のような何かが生えているようにも見える。スイの視力の良さに張景は少し感心した。

「……なんとか見えます」

「あれは天馬って言って、あいつも鳴き声が「テンマー」って鳴いているように聞こえるからそう呼ばれてるんだ。とっても大人しい妖獣だから、人間を見ると」

 と、天馬と呼ばれた妖獣はこちらに気付いたらしく、「テンマァー!」と叫んだかと思うと、翼を翻してあっという間にどこかへ飛んでいった。

「あんな風にすぐ逃げる」

「この距離で逃げるのかー……」

「おかげで捕まえた試しがないそうだ」

 少し唖然としながらも、罠の見回りを続ける。その合間合間にスイは妖獣を見つけては嬉しそうに張景に教えた。

(昔もこういうことがあったような)

 スイの解説を聞きながら、張景は過去の記憶を辿っていた。

 小さかった為ほとんどうろ覚えだが、兄にあれは何か、これは何だと道行く先の花や鳥の名前を指差し聞いていた記憶だ。あまりにも知りたがる自分に、「操は知りたがりだなぁ」と笑いながらも、手を引きながら教えてくれた。

 兄は小さかった三男・洞哮を背負い、舗装のない道を歩いた、と思う。思ったのだが、張景の頭にふと疑問が生まれた。

(これは、『どこ』の記憶だ……?)

 記憶がはっきりしない。どう手繰ろうとしても、なにかに引っかかるような、引き止められるような感覚に襲われ、何も思い出せなかった。

「……景くん、止まって。天明も」

 突如、スイが立ち止まると、張景を遮るように右腕を横に伸ばした。張景は驚きながらも、指示通り立ち止まる。

「ど、どうしたんですか突然……」

「ウーさんと娜さんがいない」

「え、そんなまさか……あれ?」

 張景は後方を確認したが、確かに先程までいたウーがいない。よく見ると歩いていたはずの獣道すらなく、茂みの所々に自分達の歩いた跡がわずかに残っているだけであった。

「はぐれた……んですか?僕らだけ?」

「いや、普通に考えてありえない。最後尾のウーさんだけならまだしも、オレ達は列の真ん中にいたんだ。ましてやオレと景くんはよく喋っていたから、はぐれたら嫌でも気付くだろう」

 張景は、その言葉にぞくりと悪寒が走った。

 明らかに不自然な分断。まるで意図されたような状況だ。

「……天明、一応聞いておくけど、二人とはぐれた時間はわかるか?」

 スイと張景は天明の方を見たが、天明は少し考えたように視線を逸らすと、小さく首を横に振った。

「……わからない。ここは、気配が多い」

「そっか。仕方ない。もう少し開けた場所前で救難信号を……」

「待ってください!……多分、無意味です」

 道具袋に手をかけようとしたスイを遮るように、張景は声を張り上げた。それに驚いたのか、スイはびくりと肩を上げると、目をぱちぱちさせながら張景の方へ振り返った。

「な、なにか知ってるのか、景くん」

「……何者かに仙術をかけられています」

 スイの表情が強張る。張景は自分を落ち着かせるように、ゆっくり続けた。

「呪術や妖術とも言いますが、ニュアンスの違いというだけで、ほぼ同じもの……だそうです。さすがに、直接術をかけられそうになったら僕でも気付きますが、誰一人気づかないとなると、あらかじめ張られていた、罠のようなものにかかった可能性があります」

「解除はできないのか?」

「術式がわからないので、時間がかかります……。仮にいま、ウーさん達と合流しても、すぐにまたはぐれるか、巻き込んでしまいます。少なくとも、まだ合流しない方が良いかと。とりあえず、術の大元の追跡をしてみます」

 張景は、懐から手帳ほどの大きさの木箱を取り出した。蓋を開けると赤や白色の護符が数枚と、霊薬などがいくつか薬包紙に入った状態で収められている。

 そのうちの一包を広げると、中には青色のざらりとした半固形状の薬が入っていた。張景がスランプ前に調合した薬である。鉱物の粉末に妖獣の角を煎じたものなどを練り合わせている。

 それを靴の裏に何箇所か塗り、まじないを唱えながら何歩か歩いた。禹歩(うほ)と呼ばれる、特殊な歩法である。左足から踏み出し、二歩目で足を揃え、次は右から踏み出し、また二歩目で足を揃える。それを何度か繰り返すと、張景の足元にうっすらと青白い光が浮き上がった。その光は徐々に点々とした線になり、茂みの先へと伸びていった。

「お待たせしました。術の発生源は、ここからそこまで離れていないようです……って、どうしたんですか?」

 振り返ると、スイがぽかんとした表情で張景を見ていた。

「いや、そのー、景くんって道士さまだったんだなーって」

「最初からそうですよ!?」

「ごめんごめん。で、これってその大元には行けそうなのか?」

「それは……行ってみない事には。先程も言いましたけど、術式がわからないので、どこかに誘導したいのか、単に迷わせたいだけなのかわからないんです。ただ……」

「ただ?」

「解析が思ったより簡単でした。まるで、『こっちにおいで』ってされているような」

 ふむ、とスイは少し考え込むと、弓に矢を番え直した。

「……行ってみるか。どのみち、このままって訳にはいかないし」

「わかりました。案内しますので、お二人は周囲の警戒をお願いします」

 光の筋を頼りに、三人は道なき道を進んだ。張景は始終緊張気味ではあったが、時折スイが気づいて時折体調を気遣った。天明がいるせいか、妖獣の気配はするものの寄ってくることはない。一時間近く経った頃だろうか。急に視界が開けた。

「……水の音?」

 緩やかな斜面を降りると、そこは流れの緩やかな沢だった。沢というよりも川に近い大きさだが、所々水面が浅いのか、底がよく見える。足元は苔の生えた石がごろごろ転がっており、気をつけないとすぐに転びそうだ。

 張景はつまづかないよう服の裾を少し上げつつ、時折スイの腕を支えにしながら、青い光を追った。

 沢に出てから、光は明るい場所でも見失わないほどに濃くはっきりと見える。

「……スイ、あそこ」

 不意に天明が口を開き、まっすぐ一点を指差した。二人がはっとその方向を見やると、数十メートル先にある大きな岩の上で、何者かが座っていた。よく見ると、釣りをしているのか、竿を持って水面を見ているようだった。

 しかしすぐにこちらに気付いたようで、手慣れた様子で釣り糸を手繰りしまうと立ち上がった。

「やあやあ、ようやく来たか。待ち侘びたぞ!」

 こちらを見てにやりと笑ったその人影は、山中にいるにしてはやたらと派手な道服に身を包んだ、黒髪の青年であった。

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