第3話 はじめての夜勤(3)
夜勤当日。
張景はひとしきりの説明を雲中子から受けた後、施設内の見回りをしていた。時刻は深夜の一時を回っており、通路は足元をぼんやり照らす程度の明かりがついている。
「夜勤は昼間ほど忙しくはないよ〜。夜行性の子にご飯をあげて、見回りするぐらいだからね」
そう説明していた雲中子の言葉通り、妖獣達の多くは一部の夜行性動物以外は大人しく、昼間よりは仕事が少ない。夜勤担当も張景以外に何人かいるため、むしろ暇なぐらいだった。
「ふああぁぁ……。い、いけない、気が弛んできた。しっかりしろ僕……」
うっかり出てしまった欠伸を振り切るように、張景は顔を左右に振った。
桃源郷の仙道は、人間とは異なる時間の間隔を生きている。彼等は睡眠の質、量をある程度コントロールでき、少ない睡眠で長く活動することも容易だ。張景は昼間に仮眠を取ってはいたが、こうもやる事が少ないと飽きがきてしまった。
「あとはこのエリアだけ……ん?」
最後の収容エリアに差し掛かったところ、奥の檻の前にうっすらと灯りがついている事に気付いた。照明ではなく、檻の前にろうそくのような光源が置かれており、誰かが床に座っている。
「あれ、景くん?」
「……スイさん?」
張景の足音に気付き、スイが顔を上げて声をかけた。
「景くん、もしかして夜勤デビュー?お疲れ様、大変だな」
「い、いいえ。それよりどうしたんですか、というか一応スイさんも収容生物なのに、こんな所にいていいんですか?」
「へへ、オレの部屋の扉、この前の事件からまだ直ってないからな。今は抜け出し放題なのだよ。ま、便所行くのに普段から出歩いてるけどな」
にっと、スイは冗談っぽく笑った。その言葉に張景ははじめてスイと出会った日を思い出す。確かにあのとき、スイが使っていた部屋のドアはめちゃくちゃにされていた。あのとき、天明が来なかったらと思うと、少し寒気がした。
「……あ、今日は天明さんはいないんですね」
と、いつもスイの後ろにいる人物がいないことに気付く。先日はシャワーに行くのにも付いて来ていたというのに。
「部屋に置いて来た。ついて行きたそうだったけど、あいつもいい加減オレ離れしなきゃだからな」
そう言いつつも、スイの表情はどこか寂しそうだと張景は感じた。
「と、ところでスイさん。ここで何してたんですか?」
「ああ、あの子が気になってな」
「あの子?」
スイが正面の檻へ指を指す。その先には、子供のような生き物が檻の隅で布団に横たわっていた。
大きさは人間の五歳児程度で、その肌は人よりも赤黒く、昏い金色の髪は全身を覆うほどに長い。よく見ると、手足は人のそれではなく、獣の足のように大きく鋭利な爪を持っていた。
「罔象(モウショウ)っていう妖怪でな。こっちが危害を加えない限りは大人しい子なんだが、昨日から食事以外は寝たきりでさ。ちょっと心配で様子を見に来たんだ」
「そうだったんですか……。誰かに診てはもらったんですか?」
「異常なしだってさ。いたって健康だから様子見らしいんだけど……」
ほう、とスイが小さくため息をついた。その表情は眠気を帯びているものの、真剣でいて、どこか辛そうだった。
「子供が苦しんでいるなら、少しでもなんとかしてやりたいから」
「スイさん……」
うまく、言葉が出てこない。
それは単に大人として、子供に持つありふれた感情なのかもしれない。ただ張景には、その言葉がチクリと胸に刺さるような、もどかしいような、そんな気がした。
「でもスイさん、もうこんな時間ですよ」
「ごめん、もう少ししたら戻るよ。夜勤頑張って」
張景はスイに軽く頭を下げると、なんだか逃げるような気持ちでそそくさとその場を後にした。
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