第2話 健康診断(3)
保護センターの診察室兼測定室は、以前夔を収容したエリアのすぐ近くにある。直接繋がってもいるので、草食妖獣なら不調をきたした時でもすぐに診察可能となっている。
「それでは、恒例の健康診断を始めます。景クン、手伝いお願いね〜」
「は、はい。雲中子様」
雲中子と呼ばれた男は、ふにゃりと力の抜けたような顔で頷いた。着古してだらっとした道衣と、その上からやたらパリッとした白衣を着たこの男は、こんなナリだが立派な仙人であり、この施設の所長である。
張景も師匠から聞かされて名前だけは知っていたが、見た目と言動の緩さに未だに仙人ではないのかと密かに疑っている。
「身長体重は……、変化ないと思うけど一応測っておくね」
「そうなんですか?」
「ここに来てから、一度も変わってないんだよ〜。一グラムも。いいよね羨ましい」
「はあ……」
間の抜けた言動に早速脱力感を覚えるが、張景は言われた通りに測定を手伝った。
身長体重、変化なし。
「なあなあ、雲中子。ついでにオレも測っていいか?」
「どうせキミも変わりないからダメー」
「ぶー」
隣で不貞腐れてるスイを雲中子は特に気にすることなくスルーしながら、席移動を促した。
「次は視力検査ね。この赤と緑の丸はどっちがはっきり見えるかな?」
遮眼子を持たされたまま、天明は何も反応を見せない。
「色、わかるかな?」
「……」
「こっちの丸の穴の空いてる方向、わかる?」
「……」
「……うくくく、スルーされた。検査なのに、ふふふふふ」
「雲中子様、気持ち悪いです」
張景に冷ややかな目で見られつつ、続いて雲中子は防火手袋を装着した。
「はい、口の中検査するから、こっち座って口開けてー」
口腔内検査。舌を押さえるための舌圧子が半分溶ける。
「あっはははは!溶けた!はははは!!やばい、超お、お腹いたいあはははは!!」
「笑いのツボが謎すぎます雲中子様!」
雲中子の笑いの波が収まるまで検査は中断し、落ち着いた後に採血をする事になった。
採血。採った血が採血真空管の中で蒸発して無くなった。
「あっはははは!!真空なのに!消えた!検査の意味ねぇー!!あっはははは!お腹痛くて死、しぬ、ははははひー!!」
「雲中子様!ちょっと黙っていてください!」
張景は駆血帯を外している際に、スイがこっそり身長計を使って結果にしょんぼりしているのが見えたが、見なかったことにした。
その後、いくつかの検査を行ったが、本人が協力的ではないのと、その度に雲中子がその度に笑い転げるため、全てが終わったのは日が傾き始めた頃だった。
スイ達が診察室を後にし、片付けの手伝いをしていた張景は、大きなため息をついた。
「はあ……。本当に、今後の参考にはならない結果でしたね……」
「そっかなー?ボクは結構楽しかったよ?謎の生命体すぎて」
「そりゃあ、あれだけ笑ってましたものね」
雲中子はカルテに『今回も測定不能』と書き記すと、椅子をぐるりと回転させ、張景に向き直った。
「それに、ちゃんと意味はあるよ」
「……え?」
張景は雲中子を見つめた。へらっとした笑みを浮かべて、雲中子は続ける。
「まず、視力検査。どうやら我々と物の『見え方』が違うみたいだとわかった。色の名前や文字は知っているのに、どうも認識は人間とは違うみたいだ。今後も要検証だね。次に口内検査。前回は舌圧子を舌に当てたら熱で曲がっただけなんだ。前に溶かしたときはたしか……」
分厚いカルテの中から、お目当ての付箋紙が貼られたものを丁寧にめくると、雲中子は優しく眼を細めた。
「検査の前に『入浴が早く終わってスイに褒められた』、その前は『診察前に時間ができたからスイと一緒に屋上でぼーっとした』、だって」
「見事に、スイさん絡みですね」
「それぐらい、今日キミがついて来てくれたのが嬉しかったんだよ、きっと」
目から鱗だった。
きょとんと瞬きをするだけの張景に、雲中子は少し吹き出しそうになったが、コホンと咳払いをしてカルテをなぞった。
「無意味のように見えても、意味のあることは沢山あるよ。無論その逆も然りだけどね。景クン、キミの持つ迷いや焦りも、キミの未来に意味のあるものだよ。何事も、繰り返しさ」
と、雲中子は立ち上がって張景の肩をぽんと叩いた。張景は一瞬はっとした表情を浮かべると、くしゃりと笑った。
「……雲中子様はすごいですね。なんでもお見通しだ」
「いんや?広成子からスランプって話聞いてただけだよ?……あっ、ごめんやっぱ今のなし。聞かなかったことにして」
「…………」
ちょっと感動した気持ちを返して欲しい。張景はそう思いながら、小さくため息をついた。
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