第17話 ゴルディアスの結び目

 ――くすくす、徒労、お疲れさま。


 蛇女の嘲笑は離れた私にまで届き、不安と不快を増長させる。


 次いで胸部にトンネルを抱く蛇は大口を開け、頭を破砕せんばかりに雄叫びを上げてきた。


「ぐっ!」


「がっ!」


 集音センサにノイズが走る。


 私でさえ歯噛みさせる雄叫びは間近にいたタカヤとコウに両耳を抑えさせ苦悶の表情を浮かべさせている。


 蛇のあれはダメージによる絶叫ではない。


 巨体に取り巻く疎ましい、何かを払いのけようとする叫びのようだ。


「な、なんで、よ!」


 へ、蛇の様子が……!


 胸部に一撃を叩き込んだはずよ!


 私は愕然と瞳孔を震えさせた。


「は、剥がれている、の?」


 蛇の鱗が剥離している姿を目撃する。


 一枚一枚がイヴァリュザーで構成されていた鱗が灰色に変色し大地に零れ落ち土埃と揺れを巻き起こす。


「脱皮だぞ、これ!」


 タカヤの言葉通りだった。


 蛇は損傷した部位を皮として脱ぎ捨て、新たな巨体を露わとした。


 そういえば大学図書館のライブラリで見た覚えがある。


 あの時は必須単位の歴史レポート製作だったか……ええい今はどうでもいい!


 神話における蛇は死と再生を司る。


 四肢を持たぬ身体、餌を長い間食べずとも生きていける生命力などにより生と死の象徴、豊穣の象徴、神の使いなど、各地で蛇を崇める風習があった。


 脱皮した蛇の皮を財布に入れるとお金が貯まるなどが典型的な例だ。


 また生命力の象徴でもあることから、国際機関のマークとして蛇が採用されている。


 一方で人を言葉巧みに拐かす悪魔としての一面もあった。


 神により作られた最初の男女は、蛇の囁きで禁断の実を食して楽園を追放された。


 以後、蛇は神の罰により地の這うようになった。


 人類最古の叙述詩おいて、蛇は王が泉で水浴びをしている間に若返りの草を喰ってしまった。


 一説にはこの草を喰ったからこそ、蛇は脱皮を繰り返すことで再生の象徴となったと言われている。



 蛇はもうイヴァリュザーの集合体ではなくなっていた。


 鱗は鱗の形として、砕かれた胸部は白熱化して輝き、イヴァリュザーの姿形など鱗の一欠片も見当たらない。


 サイズもまた三割増しとなり三つ叉に別れた舌が激しく震え出す。


「ぐあああああああああっ!」


「ぐうううううううううっ!」


 タカヤとコウは頭上から見えざる巨人の手に押しつけられたかのように土を噛む。


(高周波? 違う。センサーはあらゆる音を感知しない。特殊な音としか……)


 蛇の舌先より放たれているのは人間を不快にさせる高周波の類ではないが、音であるには変わりなかった。


「な、なんだ、この音、ち、力が!」


「ぐ、な、なんで出ないんだ!」


 全力を持って不可視の拘束から逃れようとするタカヤとコウだけど、指先に力が入らないようだ。


 ましてや嵐や雷で振り払おうと、能力そのものが発動していない異常事態。


「おい、フド!」


「どうしたの、クド!」


 果敢に呼びかけようと反応がない。


 波動精隷はオルゴネイターの要――この異界が反転する前から住まう知性体だ。


 閲覧したデータベースによると、精霊ではなく精隷であるのは、ギアを基点に装着者の〈〉神に〈〉属している故。


 人間の精神とはすなわち電気信号であり、彼女たち波動精隷はギアを介して電気信号を持つ肉体を器とすることで波動能力開花の起爆剤となる。


 故に超人となった者は、波動を意味するオルゴンと起爆装置を意味するデトネイターをかけあわせた造語、オルゴネイターとファーストコンタクターにより名付けられた。


 よって彼女たちの存在なくして超人とは呼べない。


 超人の力を発揮できない。


「無駄よ。む・だ!」


 土を踏みしめる足音の主は蛇女だ。


 やはり彼女はイヴァリュザー側であったか。


 別に驚きはしなかった。


 波動精隷と地球人ファーストコンタクターが相互協力を結んだように、イヴァリュザーと女性が何らかの理由で手を組んでいるのはなんらおかしいことではない。


 利益があるのか、研究対象か、理由は置いておく。


 蛇女は口端を弓なりに歪めては、動けぬタカヤとコウを見下ろし嘲笑っている。

 

「て、てめえ、今度は何をしやがった!」


「蛇女いうから蛇ぶつける当てつけか!」


「何度も言うけど、私は基本、事の成り行きを見守るだけよ?」


 身体は不自由でも口は自由の二人に女は素っ気なく返す。


「なんだかんだつきあい長いんだから、いい加減理解しなさいよね」


「黙れ!」


「うるさいよ!」


 タカヤとコウは渾身の力で掲げた拳銃より銃弾を放とうと女の輪郭をボカしただけだ。


「何度も何度も互いにオルゴエネルギーで戦い続けたのよ。この生存戦争がオルゴエネルギーで続いているからこそ、どうすれば敵を討てるのか、イヴァリュザー側が学習した結果……」


 そうか、学び続けたからこそ敵は到達した。


 一を全とし、全を一とする集合体に自己進化を果たした。


「な、何が進化だ!」


「それは変化だ!」


 タカヤとコウの声は力を前進に込めていなければ今にも意識が途切れそうな有様だった。


 波動精隷の反応は確かにこちらの端末でも捉えているも、応答はなく、状況は悪化の一途を辿る。


「蛇の助言を与えて上げる」


 女の言葉はあたかも己が上位である故の施しのようだ。


「いい加減、オルゴニウムを使うんじゃなくて身に取り込みなさいよ」


 蛇は人を拐かす。


 時代が異なろうと、声に変わりはなかった。



 私は技術者の視点として何故、彼らオルゴネイターが力を使えなくなったのか看破した。


「プラスに対してマイナスの波動をぶつけて能力を相殺しているのね」


 粒子と反粒子をぶつけることで対消滅を起こす現象と同じだ。


「二人の力を元に戻すには、マイナスを越える力が必要、けど……」


 縛る鎖を引きちぎるには鎖を壊す力があればいい。


 だが、それはあれば、の仮定の話であり力を出せねば意味はない。


「ああ、もう!」


 暢気に解析をしている状況ではないと私は苛立ちあまり前髪を右手で押し上げた。


 すぐさま端末に指を走らせれば、機体の外にいる部下の一人に電文を送信する。


 直に通信を送りたくとも多忙なのか繋がらない。


 よってオペレーションルームにいるミィビィに伝令役を向かわせた。


 イヴァリュザーとの戦闘経験はあちら側が圧倒的に長いからこそ、何かしらの対抗策を見いだせると思った。


「ここに来てからロクなことがない!」


 全く進まぬ現状が私に癇癪染みた声を上げさせる。


 航行中の輸送機は島ではなく未知なる世界に辿り着いた。


 問答無用の襲撃を受け、第二次調査部隊は壊滅した。


 出入りに不可欠な超重力緩和ユニットは子供のケンカで消失した。


 物資、特に食料は子供二人の腹に収まった。


 その子供二人は、親からどのような教育を受けたのか、傲慢で我が強く、些細なことで互いに本気で殺し合う。


 溜まりに溜まった鬱憤が今ここで爆発する。


「まったく、あんな教育を施した親の顔を見てみたいわ!」


 悪態つく私は3D映像のプログラムを鷲掴みにする。


 結び方はもう――知ったこっちゃない!


 知性も理性もないやけっぱちだ。


「もうちょっと年上に敬語ってもの使いなさいよね!」


 軍隊という階級により上下関係が定められた職場に身を置くからこそ、子供の傲慢さに何度苛立ったことか。


「今回の任務が終わったら除隊して、ロボット作る研究所に就職するんだから!」


 元統合軍技術士官という拍のお陰で再就職も容易い。


 実家に戻るなど断固拒否!


 両親は見合いしろ、結婚しろ、軍隊は危ないぞ、とやかましい。


 里帰りした時に、見知らぬ男と見合いをさせられかけたのは一度や二度ではない。


 男は国家公務員だか何だか知らないけどね、私はね統合軍軍人であり国連所属の国際公務員なのよ!


 国内に留まって家と職場の往復を繰り返す軟弱男と違うの!


 土砂降りの中で泥沼にハマったマシーンの修理したことある?


 火山灰降り注ぐ山岳部で落ちかけのマシーンを人の手で引き上げたことある?


 走るトレイラーの真上と真後ろから銃弾ぶっ放すゲリラに追いかけられたことある?


 どれもこれもないでしょうが!


「初詣に行こうとか行って、偶然を装う仕込みはやめてよね!」


 夢があった。


 目標があった。


 自分専用のロボットを作り、操縦したい願望があった。


 統合軍に入ったのも、最新鋭のロボット技術を働きながら学べる最適な環境だったからだ。


 まさか任務先の島もとい異界で、ストレス蓄積の子守りに難解な起動プログラムを相手にするなど夢にも思わなかった!


 確かにさ、到着してから考えるとか言ったわよ! ええ、言いましたよ!


 予測斜め上どころか次元ぶっ飛んでるわ!


「島の中調べて帰るだけと思ったら、この様よ! 危険に遭った数に見合うだけの手当て出しなさいよね、クソ幹部ども!」


 後はもう恨み節しか口から出ない。


 縛る!


 結ぶ!


 六つある糸を一つに塊のように固めていく。


 あれこれ知恵を絞っていたのがバカに思えてくる!


 雁字搦めに結んだ結果、ゴルディアスの結び目と呼ばれる切った方が解くより早いと言わしめる形が誕生した。


「はぁはぁはぁ」


 両肩で激しく呼吸を乱す私の額を一滴の滴が落ちる。


 全モニターの電源もまた落ちた。


 再点灯したモニターに穏和な老人と活発な老人の姿が並んで映る。


 私はこの老人たちが誰か資料から知っていた。


 いや、知らぬ者など世界にはいない!


「く、草薙博士に、黒部博士!」


 驚愕と困惑が私の中でいがみ合う。

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