枷を壊して

エド

枷を壊して

 我が家には〝女性は成人するまでは男性として生きる〟という鉄の掟が存在する。

 大昔のご先祖様がよからぬ術を用いて大金持ちとなって以来、その反動で〝この家に生まれた娘は成人になれぬ内に落命する〟という呪いを受けてしまったからだ。実際に、先祖代々伝わる――大事に大事に保管されている――書物には、この呪いによって娘を亡くしたご先祖様達の嘆きが書き殴られていた。

 同時に、娘を男と偽って育てたところ長生きをした、という話も綴られていた。垂れ下がった一本の蜘蛛の糸にもすがる思いで同じことをしたご先祖様達による歓喜の声も遺されていた。

 そういうわけで非常に迷惑な話なのだが、この家に娘として生まれ落ちた〝僕〟もまた、未だ未成年であるために男性として振る舞っている。

 幼い頃から、すり込まれるように何度も何度も忠告された。

 加えて家族に、親戚に、その親戚の親戚にまで……成人になるまでは決して己が女であることを明かさないように、という〝約束〟を結ばされた。傍から見れば、この現代で何を馬鹿らしいことを……と鼻で笑われてもおかしくないだろうとは思う。だが忠告するときの両親の目と、死に対して僕が浮かべた恐怖心は生半ではなく、受け入れるしかなかった。

 死を回避し、何よりも両親から怖い目を向けられることがなくなるというのであれば、尚更だった。

 故にか。僕は己を律し続けた結果、無病息災で中学生になれた。

 進級もして、二年生になれた。十四回目の誕生日も迎えられた。

 残り六年間だけ我慢をすれば、自身を偽る必要はなくなる。

 そんなところまで来ていた。

 だというのに。だというのに、だ。

 愚かにも僕は、恋をしてしまった。

 いや、むしろ男として振る舞っていたが故に焦がれたのかもしれない。

 相手は同じ部活に所属する先輩だ。見目麗しい外見に加え、文武両道で清い心を持ち、更には自らバイセクシュアルであることを堂々と受け入れ、周囲にそのことを認知までさせた彼女には……多くの男子のみならず、女子すらも虜にされた。僕もその一人だ。

 彼女に恋をした日から、あらゆることが疎かになった。

 一日中、何事にも集中出来ない。先輩のことばかりを想ってしまう。このままでは勉学への情熱が消え失せ、間違いなく成績に響くだろう。そう自覚しているのに、燃え上がる恋の炎は大きさと激しさを増していくばかりだ。

 何かを察したらしい両親から向けられる目も、再び怖いものに変わっていく。このままではまた幼い頃のように何度も〝約束〟を結ぶ儀が執り行われるだろう。そうなれば再び、僕はあの視線を一斉に浴びせられることとなる。僕の手足に、両目に、口に、硬い枷を付けるかのような鋭い目を、じっくりねっとりと向けられるのだ。

 実際にご先祖様の中には、身内によって〝生命活動が停止しないギリギリまでの物理的拘束〟を受けた上に監禁され、成人になるまで外界との接触を禁じられてしまった人もいるという。

 もしもそうなってしまったら……という恐怖が、恋心と同居した。

 自分を偽らねばという理性と、先輩と一緒になりたいという本能が二重の螺旋を描き、矛盾した一つのものとなる。

 当然、そんなことになれば身体が悲鳴を上げるは必定だ。まずは食事の際に、薄い味を感じられなくなった。続いて偏頭痛や耳鳴りに悩まされるようになった。遂には眠るべき時間に眠れなくなってしまった。

 身体と心が同時に軋み、仲良く揃って悲鳴を上げる。

 頭がおかしくなりそうで、僕はもう限界だった。


 そんなときである。

 ある日突然、僕は……憧れの先輩本人から告白された。


 いつからかは不明だが、気付けば好きになっていたとのことだった。

 そして最近の僕が何かに苛まれていることを察した彼女は、もはや恋心を心中に留め続ける時間は終わったと判断し、僕に本心をぶつけたのだという。

 好きな相手だからこそ、これ以上摩耗してほしくない。自分が声をかけなかったことでとんでもないことになり、後悔したくない。私が好きなあなたにだけは、先立たれてほしくはない。そんな慈愛に満ちた想いが、彼女を動かしたのだ。

 傍から見れば死ぬ一歩手前だったのか、自分は……と、心中で自嘲の笑みを浮かべた僕は、両思いであったという事実にとてつもない喜びを覚えながらも、迷いを捨てきれずにいた。

 先輩とは付き合いたい。それは紛れもない事実で、本音だ。

 だが、交際を始めるとなればまず、己が性別を偽っていたことをしっかりと話さなければならない。関係が変われば隠し通すことなど不可能であるし、そもそも相手は僕を男性だと認識した上で惚れたのである。いくらバイセクシュアルでも、これで相手が女であったとなれば話は別だろう。先輩の心に深い傷が生まれるのは必至だ。

 加えて僕は、性別を偽っていることを明かしてはならないのだ。科学が魔術を追い越したこの世界で生まれ落ちた身であっても、それだけは破れない。鼻で笑うことが出来ない。約束を結んだときの、あの周囲の目が……決して振り払うことの出来ないトラウマになっているが故に。

 どうしようもなくなって、僕は泣いた。

 声は殺せなかった。

 先輩は心配してくれた。

 やっぱり先輩は優しい。大好きだ。

 嗚呼……やはり、こんな先輩を傷つけるわけにはいかない。ならば僕がすべきことはただ一つ……〝男性として交際を断る〟だけだ。余計なことなど何一つ言わなくていい。相手が僕を男性だと思い込んでいてくれている今の内に自分の心を殺し、不要な言葉を紡ぐことなく謝ってしまえばいい。あなたの気持ちには応えられませんと、ただただそう言い放てばいいだけだ。

 覚悟を決めた僕は、震える口を開こうとする。


「……どうしてあなたが、そんなにもつらい思いをしないといけないの?」


 すると、先に先輩が言葉を紡いだ。


「誰かから強要されているの? ここまで追い詰められているということは、きっとあなたは望んで〝何かを偽っている〟わけではないんでしょう?」


 耳朶を叩いたのは、驚きの発言だった。

 思わず「え……?」と声が漏れる。

 なんということだろう。既に王手をかけられていたらしい。

 僕の擬態は、聡明な先輩の前では機能していなかったのだ。

 これまでクラスメイトの誰一人として、気付かなかったのに。

 プールの授業も、両親に理由を捏造してもらって一度も受けなかったのに。

 先輩だけは、僕が嘘つきであることを見抜いていたのだ。


「お願い、話せるところまででいいから、どうか話して。私、あなたの力になりたい……他でもない、大好きなあなたの力になりたいから! お願い、お願いっ!」


 そして、こう畳みかけられた瞬間……僕の理性は壊れた。

 もういいや。気付けばそんな言葉を心中で口にしていた。

 それから僕は、全てを話した。決壊したダムから大量の水が脱走するように、これまで隠していた全ての話を泣きながら教えた。先輩はそんな僕を抱きしめて、背中をさすってくれた。更には「頑張ったわね……」と、涙を流しながら褒めてくれた。

 先輩のことをもっともっと大好きになってしまった僕は、力強く抱きしめ返す。そして遂に「好きです! 大好きです! 付き合ってください!」と告白した。

 先輩は跳ねるような声で「はいっ!」と言ってくれた。そのまま「僕が女の子でもですか!?」と叫ぶと「当たり前じゃない!」と答えてくれた。その声色には、きっとありったけの慈愛が込められていた。

 そうやって二人で涙を流し、やがて落ち着いた僕達は……明日からよろしくお願いしますと互いに深く頭を下げた。先輩から「改めて部活でもよろしくね」と言われたので、僕は満面の笑みを浮かべて「ええ、こちらこそ!」と答えた。

 幸せで胸がいっぱいになっていくのを実感しながら、僕と先輩は校門を出る。途中までは同じ道なので、せっかくだからと先輩が手を握ってくれた。僕はすぐさま手を広げ直して、指を絡ませるように先輩の手を握った。恋人繋ぎというものが、ここまで互いの温かさを伝えるものだとは知らなかった。

 これから先輩と付き合う内に、僕は色々な幸せを知っていくのだろう。約束に縛られたままでは味わうことが叶わなかったことを経験していくのだろう。そう考えるだけでこれまでの胸のつかえが全て消え去り、全身が幸福感で充ち満ちていた。

 先輩の体温を感じながら、僕は幸せを噛みしめる。明るい未来を夢想する。

 そして分かれ道に辿り着いた僕が、名残惜しみつつも先輩から手を離し、青信号が灯る長い横断歩道を渡っていると……不意に先輩の悲鳴が鼓膜を揺らした。否、悲鳴ではない。悲鳴を上げるかの如く、僕の名を呼んだのだ。

 一体何が? 不安と恐怖に駆られ、先輩へと素早く視線を向ける。

 暴走する大型車が僕の身体を撥ね飛ばしたのは、その直後であった。

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