第3話『ペイクリィと喫茶店』
「ペイやん、起きなって」
「んー」
「ペ、イ、やーん。俺もう着替えちまったぞー」
「んんー……」
ちょっとエアコン効かせるとすぐこれだ。君とっくに変温動物じゃなくなっただろ。
布団に腕全部使ってしがみついてやんの。
「起きなよ。起きなって」
「やです。やーでーすー! 引っ張らないで!」
クソ、ピクリともしない。六本腕の力はバカにならんな。しかし、下はどうだ?
「そこだッ!」
「──ふふ」
「な……!?」
足の指……だと……。そんな手の込んだことまでして。いや足だけどさ。
「言っておきますけど、引き離そうったって無駄ですからね。今日はもう一日こうやってだらだらするって決めました! ──ぽちっとな!」
『おはようございます! 時刻は九時を少し廻りました、まちかどタイムのお時間です!』
あーあ、テレビまでつけちゃってまあ……。いうなればカウチポテトの一歩先だ。ゴロゴロするどころかまず起きてこないもん。
まあ、彼女の事はほっといて顔でも洗うとしよう。俺も大概ものぐさだがあそこまでじゃない。そういいながらも横着して近場の流しで顔を洗おうとしたとき、何やら見覚えのある顔と目があった。
「あ、こんちわっす。センチペ急便──。じゃなかった、遊びに来ました」
「あぁ、どうも。ペイやん、お客さんだぞ」
「……あ!? ち、ちょっと待っててください!」
一気に背中が騒がしくなった。
洗面台に駆け込んで歯を磨きながら髪の毛を梳かし、着替えて布団を畳んで……。
「おはようございます」
こういうときのペイやんは常人の三倍早いのだ。
「今お茶淹れますね」
「やー、お気遣いなく」
『スズハ』のTシャツとデニムのスカート。そしてこれまたなにかのメーカーグッズらしい赤いキャップを被ったムカデのおねーさんは、俺に軽く会釈してゆるゆる部屋へ吸い込まれていった。
車かバイクが好きなのかな。スズハといえば自動車とバイク作ってる会社だ。
「ふわー、今日も暑いっす……」
「ホントですよねー。ささ、麦茶です。どうぞ」
扇風機とクーラーで涼むハエトリグモとムカデ。なんとも奇妙な取り合わせだ。
「カレシさんも扇風機当たりません? 遠慮しないで」
「その扇風機ウチのなんですよ……。それはそうと、ふたりともいつの間に仲良くなったんだい?」
「うーん、ペイやんちゃんとは話す機会が多かったんでいつの間にかって感じですねー」
「スーパーとかでもよく一緒になるんですよ」
「実はこないだ話してたアシダカがやってるモーニング行こうって話になってて迎えに来たんです。カレシさんもどうです?」
「じゃ、ご一緒しようかな」
ペイやん、君約束を忘れてたな?
「そろそろ行きます?」
「あ、その前に。まだちゃんと自己紹介してなかったですよね」
軽く身だしなみを整えた彼女は持っていたカバンを開けると俺に向き直った。
「ご挨拶遅れました。私、センチペ急便ドライバーの
「あや、これはどうも。ちょっとお待ちを……」
へえ。ペイやんみたいにミドルネームがあるんだな。
俺もカバンを手繰り寄せて名刺入れに手を伸ばす。名刺交換はサラリーマンの基本だからな。
「おおー、名刺交換って初めて見ました」
「そう?」
「かっこいい!」
和やかなムードでやる名刺交換、そんなにかっこいいかしら……。
そんな小さな疑問が口まで出かかったのをなんとか胸にしまって、俺たちは駅前の商店街へ向けて歩き始めた。
───────
週末の朝食というよりはブランチになりそうな時間。それも暑くなり始めた時間帯ということもあって、出碓商店街・五丁目の人出はまばらだった。
一丁目の服屋街、二丁目の技術・電気街、三丁目は雑貨屋や金物屋。最近改装された四丁目はレコードショップやカーディーラーまである出碓商店街きっての混沌さだ。
そして、一番駅に近いここ五丁目には食べ物屋・飲食店がひしめいている。
そんなところにやってきた空腹のペイやんは、食べ歩きをする若者の手をきょろきょろ眺めてはかぶりを振っていた。チュロスにかき氷、串揚げにジェラート、甘栗にスムージー。
「ペイやんちゃん。よだれよだれ」
「うううう……」
減量中のボクサーか君は。ここまでやってきて誘惑に負けたらこの後が悲惨だぞ。
「ケーキ食べるんだろ。頑張れよ」
返事はなかった。二段アイスをもってご機嫌そうにすれ違った女の子に穴でも空きそうなほどの熱視線をぶつけている。
もう限界だ。今に人様の食い物を強奪しかねない。
「九十九間さん、まだかかりそうですか」
「いや、もうすぐそこです。いっそ目隠しします?」
残念ながら目隠しをしたところでペイやんの目はほかにもあるから効果はないんだ。
「はーい、着いたっすよ。ここっす」
それから二分ほど歩いただろうか。やっと見えた喫茶店は商店街の中、アーケードの端のほうにこぢんまりと佇む小さな店だった。
一階部分が店舗で、二階部分が住居スペースの昔ながらの装い。古びているがよく手入れされているガラス戸には、これまたレトロな筆文字で『喫茶 アシダ』とある。『氷』の旗が泣かせるね。
店の前には可愛らしい字で『ケーキモーニングはじめました。\おいしいよ!/』と書かれた黒板看板とコーヒーの良い香り。
ふむ。雰囲気は悪くないのにな。ほんとに客が来なくて困っているようには見えない。
「け、ケーキ、ケーキ……」
だが彼女にはそんなのどうでもよかったらしい。血に飢えたゾンビのように扉を開いた。
「いらっしゃい、ませ……」
「──ぴっ!?」
そして歩みが止まった。なんだ? あんなに楽しみにしてたのに。
「三名様ですね。お好きな席に、どうぞ」
うお、でっか……。
俺たちを出迎えてくれたのは背の丈二メートルは超えてようかというハスキーボイスのおねーさんだった。服装こそ黒いエプロンとカッターシャツのお決まりなユニフォームだがいざ見るととてつもない迫力だ。ペイやんがフリーズしちまってる。
「……お客、様?」
「あー、すみませんね。こいつホントに小心者なんで。ほら、そっちに座ろうぜ」
いやに引き締まった体と頬に入った傷にはあえて深入りしないでおくとして、やっぱアシダカグモだけあってペイやんと似たような腕が四本生えてる。まあ、サイズ段違いだからビビるのも無理はない。
──でもな。
「おい、ペイやん。いつまで突っ立ってんだよ。そっち、奥の窓際行こうぜって」
「あっ、えっ、その、す、すいません。わざとじゃないんです、わざとじゃないんです!」
「だ、大丈夫です。慣れてます」
「あー、また客ビビらせてるぅ」
「私何もしてないよ……」
いくらなんでもそんなに相手をジロジロ見るのは失礼だぜ。
ペイやんを引きずって窓際の席に座ると、昔ながらなベロア生地の椅子と涼しい冷房の風が俺を包み込んだ。
おお。やっぱこれよ、これ。喫茶店といえば。落ち着いてコーヒーすするにはこうじゃなくちゃ。
「ちっちゃい子からすると威圧感すごいんだから。さ、笑顔笑顔」
「ち、ちっちゃい子……!?」
突っ込む気力はあるみたいだな。九十九間さんと頬を掻いてるマスターの微笑ましい(?)会話とは対照的にまだどこかビクついてぎこちない動き方をしている。これって本能?
「ちなみに新メニューはどれ?」
「あ、うん……。えっと、こちらです。ケーキモーニングのメニューと──」
「──ケーキ! ケーキモーニング一つお願いします。飲み物はミルクティーで、ケーキは食後にお願いします!」
「は、はい。かしこまりました……!」
違うみたい。なんて現金なやつだ。
「お連れ様は、どうされますか」
そうだな、どうしようか。
定番のモーニングセットはトーストとサラダ、ゆで卵にドリンク。スープも追加できるらしい。
ペイやんが頼んだのはそこにケーキが入るよくばりセットだ。……ほかにもサンドイッチやスパゲッティ、グラタンなんかもある。いいねえ。
「じゃあ、普通のモーニングセット下さい。ドリンクはアイスコーヒーで」
「あ、あたしはホットコーヒーとたまごサンドイッチねー」
「ケーキモーニング、ミルクティーとモーニングのアイスコーヒー、ホットコーヒーとたまごサンド……。かしこまりました。では……。しばらく、お待ち下さい」
でけー人が持つと伝票のバインダーが小さく見えて面白いよな。鉛筆なんて爪楊枝みたいだぜ。サイズ感がわかんなくなっちまうよ。
「ね? ビビっちゃうでしょう?」
俺はそうでもないかな。ペイやんは──。まあ、いいか。ノミの心臓だし。
それより店が手狭そうで大変だ。腕のせいで横幅もあるし、上方向の長さでも苦労してそうだもの。
「──痛た!」
な?
金属音と頭をぶつけたらしい苦悶の声。音からするとフライパンだな。
「お待たせ、しました。ホットコーヒーとアイスコーヒー、それからミルクとお砂糖です……。ミルクティーは、次にお持ちします」
「ありがと。ところでカグラ、あんたさっき頭──」
「言わないで」
おじぎを一つ。おでこをさすりながら戻っていくマスター。
カグラさんっていうのか。どうだろう。ここは一つ我が社の営業として──。
──ア!!! 痛い! イタタタタ!
「あ・な・た♡」
「痛ってェなあ、何すんだっ」
なんでヤンデレスマイルなんだ。しかも太ももつねりやがって。なんなんだよ……。
「私というものがありながら、どうして他のヒトのこと見てるんですか?」
「別にそんな深い意味はねーって!」
「うそつき」
よしんばマスターと商談するとして……と、なんとなしに考えてたんだがこれ以上はひどい目にあわされそうだ。クソ、優良顧客かもしれないのに。
「なんだよもう……。絶対君勘違いしてるぞ」
「へー、ペイやんちゃんて愛が重いんだー。ほらほら、目が怖いよ」
「浮気は許しません♡」
これのどこが浮気だ! その淀んだ沼みたいな目をやめろ!
「お待たせしました。ミルクティーとモーニングのセット。それから、たまごサンドです」
痛むももをさすりながらテーブルに目をやると、十人中十人が納得するであろう理想的なモーニングがテーブルに並べられていく。ペイやんもそうだが、蜘蛛腕にも皿が持てるからこういうとき便利だな。
半分に切った厚切りのトースト、シーザードレッシングのかかったプチトマト入りサラダ。それに卵スタンドに乗ったゆで卵。見事なスタンダードだ。
「ごゆっくり、どうぞ……」
九十九間さんの頼んだたまごサンドも厚切りのパンにふわふわの卵とベーコンがこれでもかと詰まった割りとボリューミーな印象だ。
「おーきたきた。これお気に入りなんすよー。いただきまーす」
満面の笑みでサンドにかぶりつく九十九間さん。隣のペイやんもゆで卵にかじりついている。
そんな幸せそうな二人を前に、俺もトーストを口に運ぶ。こんな日も悪くはないな。……勘違いされなけりゃもっと良かったんだが。
────────
「ごちそうさまでした!」
開いた口が塞がらないといった塩梅の九十九間さんの前には、ケーキの皿やパフェの容器。ケーキだけじゃ物足りなくてデザートまであれこれ頼んでケロッとしてるのはもはや一種の才能だよ。
「めっちゃ食べるじゃん、ヤバ……。どこに消えてんの?」
「初めてみたときは俺もビックリしましたよ」
フードファイターまで行かないまでもよく食うのは間違いない。大きく取ったケーキをポンポンと口に運んでいくの、通行人からもチラチラ見られてたぜ。大食いチャレンジか何かと勘違いされてなきゃいいけれど。
「ペイクリィ、気に入りました!」
「お、ペイやんちゃんからお墨付きいただきましたー。パチパチ〜」
こう見えて彼女は味にもうるさい。つまり質も妥協されてないってことだ。
「あなた、ここまた来ましょう!」
「そんなに気に入ったのか。わかったわかった。また連れてきてやるよ」
「絶対ですからね!」
モーニングなら安いもんだ。
──いや待て。この子、山のように追加注文してるぞ。しまった。
「あの──」
「うお!?」
「ごっ、ごめんなさい! 脅かす、つもりは……!」
ニンジャかあんたは! いつの間に背後にいたんだ……。
「ど、どうしました? 伝票はもう貰ってますよ」
「あの……。こちら、サービスです」
見るとそこには小さなアイス。三人分だ。はて。
「んー? カグラ、あたしのぶんもあるけど? あたしもいいの?」
「いいの。だって、ほら」
マスターがゆっくり、こちらにも促すように後ろを見る。
「……おお!? 結構お客さん入ってるね!」
満席、いや。八割以上は埋まっている。奥の方に座ってた(し、ペイやんのフードファイトっぷりに威圧されてた)せいで気が付かなかったが、時間帯を考えると結構な盛況ぶりだ。
「こんなの、初めてです。そちらの方がお客様を呼び込んでくれました……」
「えっ!? いや、私何もしてないです」
してるよ。ここの商品ガッツリうまそうに食ってるんだもの。もう客寄せパンダならぬ客寄せペイやんだよ。
「へへー、すごいっしょー。この娘はペイやんちゃん。最近知り合ったんだ。で、そちらがそのカレシさん」
「どうも。おいペイやん、挨拶挨拶」
「あ、ど、どうも! 青間ペイクリィ恵莉です。よくペイやんって呼ばれてます」
「私、
なるほど。アシダカグモだからアシダさんか。覚えやすいや。……しかし、みんなミドルネームがあるな。どんな意味があんだろうか。
「すみません! 注文いいですか!」
「──あ、はい! ただいま! すみません。どうぞ、ゆっくりして行ってください」
丁寧に一礼してバインダー片手にパタパタと駆けていく芦田さん。なんだか足音も軽快だ。
一生懸命にお客さんの注文を取って厨房に消えていくその姿はまさに仕事人のそれ。いいよね。楽しそうな人を見てるとこっちも明るくなるもんな。さすれば店も明るくなり、よりお客も入りやすくなり……。笑う門には福来るってほんとだぜ。
「招き猫ならぬ招きペイやんちゃんだ。すごいよ、効果てきめんだ!」
「えっへん!」
これ以上ない満面の笑み。まーたほっぺにクリームつけて。
……ん? あれ?
「おいペイやん、俺のアイスは?」
「え?」
「え? じゃなくて、アイス」
「……うふふ♡」
君ってやつは。どんだけ食うんだよ。
「太るぞ」
「太りませーん」
「いやいや、こんなに食べておいて蜘蛛糸ヨガでなんとかなるわけねーだろ」
「蜘蛛糸? あー、あのヨガってより黒魔術の儀式みたいなヤツ?」
「黒魔術!?」
「だってドア開けたら逆さまにぶら下がって変なポーズしてるんだもん。ホラー映画みたいだったよ」
うむ。反論の余地が微塵もない。俺もそう思う。
「あれ何に効くの? 脂肪燃焼?」
「……うーん? 何に効くんでしょう」
それも知らないで逆さ吊りになってたのかよ。やっぱあの本インチキじゃねえ?
「なぜか体重は落ちるし、意外と落ち着くんですよ」
「逆ぶら下がり健康法ってとこかな。とりあえず夜やるのはやめといたほうがいいよ。キャンドルとか焚いてたらほんとに黒魔術になっちゃうから……」
真っ暗な中魔法陣描いて逆さヨガ、あたりに蝋燭。ついでにガイコツと血まみれの包丁でも置いといたらいい。……そんなとこに出くわしたら卒倒するかもしれん。
不気味に笑いながら藁人形とトンカチ持って白装束でヨガをするペイやんを想像していると、遠くの方で声が聞こえた。
「いらっしゃいませ。すみません、只今満席で……」
おっと。
「さて、お二人さん。そろそろおいとましようか」
───────
駅から歩いて戻る途中で九十九間さんと別れ、家につく頃になると太陽はだいぶん傾いていた。やはりたまにはこうして食べに出るのもいい。ちょっと新鮮な気持ちになれるもんな。
「ふいー、満足満足……」
溶けとる。家に帰った途端これだよ。お家大好きかよ。
『すとりん!』
「あ……。あなたー、タブレット取って下さいー」
そんで君ねえ。少しは動きたまえよ。
「……ふふ」
「楽しそうだな。九十九間さんなんて言ってんの」
「ないしょでーす」
ガールズトーク。男子禁制、か。
『すとりん!』
おや、こっちにもボーイズトークのお誘いが。
「悪いペイやん、俺ちょっと出てくるわ」
「……浮気したらわかってますよね?」
「ちげーよ同僚の安永だよ。こないだ話したろ」
「その安永って人、女の人なんじゃ」
「バチバチの野郎だぞ。元サーファーのマッチョだ。……ほれ、こいつ」
「むう、見事な小麦色……」
アイツから呼び出しがかかるってのは珍しい。よほど切羽詰まっていると見える。
夕方の少しぬるく、メロウな雰囲気の中ペイやんをなだめすかして玄関の戸を開ける。
「早く帰ってきてくださいね」
「努力はするよ。アイツ話が長えから」
遠くに見える入道雲。果たしてアレは嵐の前触れか。それとも風流な夏の景色か。妙な胸騒ぎを感じるぜ。
妙に生ぬるい風に吹かれながら、俺は安永の指定したファミレスに向けゆるゆると歩き出した。
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