第2話『俺とペイクリィと暇』
「はー、いい日ですね……」
「だなぁ」
そんな部屋の中で、俺たちは二人きり。
「ん、よいしょ。いい風……」
「嘘でしょ、そんな格好してんのにカーテン開けんの?」
「いいじゃないですか」
「目のやり場に困るわ」
「いいじゃないですか♡」
「……そういう気になってる?」
「いーえ? だって蜘蛛はオスの方から誘うんですもん。あれぇ? ひょっとしてその気になっちゃいましたぁ?」
こらお前、言わせておけば。大人をからかうんじゃないよ。
「バカを言いなさい。そんなだらしない格好お父さん許さんぞ。ほら、ズボンを変えなさい」
「ざんね〜ん。お父さんはお母さんに食べられちゃってま〜す」
「ウソだろお義父さん……」
恐るべし怠惰肉食系女子の血統……。
──こんなふうに、出会った頃と比べるとペイやんも大分落ち着いてる。今じゃジョークまで言えるようになって俺は嬉しいよ。ジョークだって確信が持てねーけど。
ちなみにペイやんってのは彼女のあだ名だ。ペイクリィちゃんじゃ長いし、呼び捨てだとなんかしっくりこない。そうかといって
結局、フィーリングで『ペイやん』って呼んだら良い感じだったのでこれが採用されたってわけさ。
「誰か来たらどうすんの。痴女になっちゃうぞ」
「大丈夫ですよ。おふとん着ますから」
そーじゃねえんだよ。下を変えんか。なんでそんな頑なに動かないんだ。
近頃気がついたんだが、彼女はスイッチが切れるとすごくだらしなくなるのよな。例えば、まさにダラダラを満喫している今彼女が着てるのは俺の古着のTシャツとしましまショートパンツだけ。なんかすでに際どい所通り越している気がする。
なに? エロいじゃないかって? 興奮しないのかって? あのな、刺激はたまにあるから刺激たりうるんだ。この娘わりと四六時中こんななんだよ。ダラダラしたいときに暑いと脱いでダラダラするし、寒いと毛玉になってダラダラするんだ。とにかくダラダラすることに対しての熱意がすごいのよ。こうなったらてこでも動かんぞ。
今だって頬杖をついてうつ伏せになったまま腰を掻きつつお煎餅を取り、ふすまに立て掛けた俺のタブレットで夕飯の献立を調べながらカーテン開けたんだから。腕六本だからってのもあるんだろうが、一人暮らしのときの俺のほうがまだ動いてたわ。
「忙しいなあ。動いてねえのに」
「千手観音のペイクリィって呼んでください」
「パンツ丸出しの千手観音なんていてたまるかよ」
「ぱんつじゃありませーん。ショートパンツでーす」
「結局パンツじゃねーか!」
──まあ、俺はジェントルマンだからな。そんなモノグサーなレディにもタオルケットかけてやるくらいはするんだぜ。ぽんぽん冷やしちゃ大変だしな。
「どうもー……。枕も取ってください?」
見ろこのだらけっぷり。すっかり適応してる。元は蜘蛛ですって言われて信じるやつがいなさそうだろ。俺が投げた枕を抱えてゴキゲンな鼻歌を歌う彼女は足をパタパタ、腕もパタパタ。
彼女の腕はなめらかな肌触りの毛に包まれた蜘蛛腕四本と人間の腕が二本。そこに健康的なふともも……もとい、足も合わせて八本。指先には爪と細かい毛。蜘蛛時代はこの仕組みのおかげでガラスの壁も歩けたって話だ。これがとにかく触り心地いい。例えるならキメの細かい毛布に似たもちもちとした感触だ。
「ん? ちょっと。こそばゆいですって」
ああ、しまった。もちもちしすぎた。逃げていく蜘蛛腕が他の腕を撫でてお手入れをし、サラサラの髪も撫でつける。ペイやんは暗い焦げ茶のセミロング(蜘蛛腕の毛もこの色だ)なんだが、真ん中あたりだけは明るい茶色をしている。
この蜘蛛時代の体色と腕で不思議な雰囲気を醸し出しておきながら、その実中身はそのへんのお姉ちゃん……ってのが青間ペイクリィ恵莉ちゃんなのよ。好物は甘い物。洋菓子も和菓子も好き。お茶を口実にモリモリ食べる。
「そういやかりんとうもらったんだけど食べる?」
「もちろんです。頂きます」
その割には太んねえんだよなあ。どこに消えてんのかな。
「……すけべ。見えてないと思ってますね?」
許せ。蛇足だが(彼女にあるのは蜘蛛腕だけど)ペイやんは蜘蛛だからスパイダー・アイがこめかみからちょっと上に二つ、つむじのあたりに二つ、後頭部に二つある。大きさは十円玉くらいで、髪の毛に隠れて普段はほとんど見えない。こちらからは見えないが、向こうからは視えてるらしいのでどちらかというと感度のいいセンサーなのかもしれない。
「そっちの目ってシャンプーとかしみないの? なんか当たっても大丈夫?」
「平気ですよ。蜘蛛のときも手でお掃除してましたしね。……んー、甘くて美味し♡」
思った以上にタフだった。これが見るスペックってやつか。
だが、半年の同棲によってもはや彼女に
「すみませーん! センチペ急便ですー! お荷物お届けに上がりましたー!」
「ペイやん、下、下」
「大丈夫です、隠れてますよー」
クソ、チャイム壊れてんの忘れてたな。うちに大した客なんてこねえからさ。
「はいはい。お待たせし──」
「どーも! お荷物お持ちしました!」
嘘だろ、ムカデだ。
ムカデのお姉さんだ……。
「受領印お願いします。サインでも良いっすよ」
赤髪ショートカットのお姉さん。赤いキャップがよく似合ってる。健康的な小麦色の肌の一方、下半身はジメジメした所にいそうなムカデそのもの。でもやっぱり頭には太い触覚。なるほど、帽子を挟んで落ちないようにしてる。考えたな。
──この人も隣の害虫駆除で逃げてきたんだろうな。驚きを顔に出さないように受領印を押す。大袈裟に驚いたら失礼になるだろうし、そこに触れられたくない人(虫?)もいるかもしれない。ずけずけとプライバシーに踏み込まないのがコンプラの第一歩よ。
きっと、これが本当の多様性ってやつだな。
「ご苦労さまです」
「いえいえ。またよろしくお願いします」
サインして見送ってみると、彼女は触覚をピコピコしながら軽快に階段を降りていく。尻尾にリボン結んでおしゃれさんだな。印象が明るくなっていい。人生いろいろ、明るく生きてりゃいいことあるとは言うがおねーさんにもなんかいいことがあるといいな。
「あなたー、何が来たんですかー」
無論、君にもね。
「母ちゃんが新茶送って来てくれたよ」
「やった! じゃあ早速淹れますね! ……かりんと、かりんと♪」
早速ですか、ずいぶん早いね。母ちゃんありがとう。オイラは今日も元気です。
────────
『あなたにもできる! ストリング・ヨガ入門』。例の風呂敷に入っていた本の一冊だ。ハーネスにぶら下げた体でポーズを取るヨガなんだそうだ。彼女曰く『食べたぶんだけヨガしてゼロカロリー』らしいが……。
「芋ジャー結構似合うね」
「ジャージよりこのポーズ見てくださいよ! 難易度五ですよ、五!」
「十段階のな……」
こう見えて形から入るタイプのペイクリィちゃん。ある日意気揚々とハーネス買うべくスポーツ用品店に行ったもののお値段にドン引き。しかしなにも買わずに出る勇気もなく、彼女はワゴンセールでジャージを仕入れて店を出た。
──そこで閃いたんだ。『買わなくても出るじゃないか』、と。
そう。自前のヤツ。背中の方から出る自分の。これを使えば、とさっそく設置したはいいんだが──。
「夜中に見たら腰抜かすな……」
「しーっ。集中です」
君なりに気を遣ってるのはわかる。蜘蛛糸をボロ天井全体に取りつけて力逃してたりね。でもそうじゃないんだ。これどうやって片付けるの。屋根が特撮映画のセットみてーになってんだけど。
「タンドリィ、マッサラ・ティッカ……」
んでね、なんだと思うよこれ。型らしいぞ。どう聞いてもエスニック料理だろ。この本インチキじゃねえ?
「すいませーん、センチぺ急便ですー! 追加のお荷物お持ちし──」
「あー、お疲れ様ですー」
二度見。模範的二度見。ノックはしたほうがいいぞ、お互いのためにな。
「え、ど……え?」
「すみません。彼女ヨガしてまして」
「ヨガ……?」
ヨガと聞いてなお固まるお姉さん。よかった。俺がおかしいのかと思ってたんだ。
「ごめんなさい。おまたせしました。やっぱり逆さになってするのが一番ですね」
「そすか……」
入った部屋で逆さにぶら下がって珍妙なポーズ取ってる女の子がいたら誰だってこうなるはずだ。君のおかげで確信が持てたよ、ありがとう。
「あの、間違ってたら申し訳ないんすけど、奥さんはハエトリさんですか?」
「えっ。良くわかりましたね」
「友達に聞いたんすけど、巣作りするような人たちはみんなハンモック作って寝てるらしいんす。そこいくとヨガやるくらいアクティブな六本腕ならハエトリさんかなって」
ペイやん以上にだらだらしてたらもうそれは完全にダメ人間(?)だろ……。まあ、蜘蛛ってそんな俊敏なイメージないしな。
「……じゃあジョロウグモさんとかもこの辺りに居るんですか?」
「少なくともアシダカは。ちっちゃい店で喫茶店のマスターやってるんすよ。体でけーからお客さんが怖がっちゃって」
アシダカってあのクソデカい蜘蛛か。そりゃ怖ぇわな。
「今度、イメージ向上を兼ねて赤字覚悟でモーニングケーキ始めるらしいっす。よかったらこんど行ってやって下さい。駅の方にあるんで」
「あなた、今の聞きました? ケーキですって。こんどの休みに行きましょうね♪」
「おう」
喫茶店のモーニングか。悪くないな。
「……あ、やべ。本部から呼び出しだ。じゃすいません。失礼します!」
「お疲れさまでしたー」
去り際まで爽やかスマイルのおねーさん。対して、なぜか妖しげなスマイルのマイハニー。ドアが閉まり、ぶら下がったままのペイやんはこっちに回転する。
──ひいっ。こわい! 般若の目! なんでだよ!
「あの夜のこと、喫茶店のケーキ食べ放題で手を打ってもいいですよ」
「はあ!? だからあれは誤解で……」
「ゴカイもイソメもありません。なんで言い訳するんですか?」
聞いてくれよ。世間一般的な浮気やら不貞だなんて俺はしちゃいないんだ。先週あった飲み会で俺だけデロデロにされてさ……。
「北海乳bar・
次の日の朝、ポケットに女の子の名刺が入ってたんだ。……で、その名刺の『また来てネ♡』って文字、どう見ても同僚の字なんだわ。さんざん悩まされた覚えのあるクソ汚ぇ丸文字なんだよ!
「香水のにおいまでプンプンさせてこの浮気者……! おっぱい星人っ」
こっちはこっちで、匂いを嗅いだ俺はすぐ誰の仕業がわかったんだがペイやんにわかるはずがない。だって同僚Bの使いかけだもの。香りに飽きてロッカールームに放置プレイされたせいか、熟成されてより匂いが強烈になってる気がするぞ……。
みんなもうわかるだろ。全部でっち上げなんだ! 冤罪だ! ……クソ、コトは先週だというのに今この怒りようだ。このままじゃ今日の夕飯をイナゴオンリーにされかねない。
食の豊かさを守るためには、無理してでも火の中に飛び込まなきゃならんってことか。完全に奴らの術中だ。飛んで火に入る夏の虫だ!
「浮気なんかしてないって……」
「じゃあなんですかこれは!」
「俺だって無理矢理引き回されたんだ。ちゃんと言ったんだぜ。今同棲中の彼女がいるって」
「なのにっ」
「……断りきれなくて申し訳ない。もう裏切らないように二軒目三軒目を断るよ。今後迷惑はかけない。ごめん。この通りだ」
「むー……」
声色が柔らかくなったぞ。なんとかなるかもしれん。
「……じゃあ、愛してるって言ってください」
「──えっ?」
「私だけを愛してるって言ってください?」
「な、何をヤブから棒に……」
「今すぐ。そしたら許してあげます」
なんでだよ。いきなり何を言うんだこの娘は……。
「……アイラブユー、ペイクリィ。ウォーアイニー」
「愛してるって言えばいいんですよ? 目を見て。ほら」
「ジュテーム。
頬のそばをかすめる風。ペイやんの爪だ。
「──これ以上ふざけないでくださいね。あなたといえ容赦しませんよ」
「は、はい……」
頬を撫でる硬い爪。忘れてた。この娘蜘蛛だった。しかも狩りをする方の。確か蜘蛛ってつがいの雄を捕まえて食っちまうんだよな。すると、さっきのお母さんに食われたお父さんってのは……。
怖えよ、腕引っ込めてよ。俺は獲物じゃないよ……。
「あ、アイシテルヨ。ペイクリィ……」
「もう一度」
「愛してる」
「……いいでしょう。こんなこと、今回だけですからね」
そう願いたい。マジで。
「特別に許してあげます。ケーキ食べ放題と和菓子屋さんの羊羹で手を打ちましょう」
「えっ?」
「はちのやさんのはちみつ羊羹じゃなきゃ嫌ですからね」
「なんで増えてんの……」
「なにか言いました!?」
「いいえっ、わ、わかりました!」
景気のいい話だな……。まあ、食材で贖罪できるだけまだマシか。
ちくしょう、くそったれの非モテ連中が。彼女ができないからってくだらないイタズラしやがって。おかげでこっちは死にそうになったじゃねえか! 豊田、松田。あとついでに本田。テメーらマジで覚えてろ。会社着いたらシバき倒す。何があってもシバき倒す。
何を食べようかワクワクしてるペイやんを眺めながら侘びしい財布を握りしめ、俺は静かに復讐の算段を始めた。食い物の恨みは恐ろしいってこと、たっぷりわからせてやるからな……。
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