Hoppin' Like "Spring"

みずた まり(不観旅 街里)

第1話『ペイクリィ』

 ある日、くたびれきって家に帰ると部屋の片隅に小さな蜘蛛がいた。


 調べてみると『ハエトリグモ』というらしい。毒を持たず巣も張らないらしいのでしばらく観察してみると、小さな体で散らかった部屋の中を飛んだり跳ねたりとっても元気に彷徨っている。


 あっちにぴょんぴょん、こっちへぴょんぴょん。元気なのはいいんだが、こんな足の踏み場もない部屋じゃ踏んづけるのも時間の問題だろう。


 そう悩むこちらを知ってか知らずか、そいつは雑誌の上で毛づくろいを始めた。のんびり顔を拭き始め、しまいには爪先まで……。あんまり呑気なもんだから、俺はそいつが満足して出ていくまで放っておくことにした。


 ──しかし、次の朝を迎えてもまだそいつは部屋にいる。ホコリだらけのオブジェと化した掃除機のてっぺんに登り、さながら登山家のような達成感。まだまだこの部屋を満喫したりないようだ。それが証拠に、捕まえようとした俺の手からは素早く逃げた。


「おおっ……!?」


 忍者よろしく飛び降りて、特殊部隊よろしくラペリングで逃げやがる。そしてパルクールがごとく華麗な身のこなしで散らかった部屋に潜っていく。やるじゃねえか。


 きっとどっかの隙間が出入り口になってるんだろう。ヤツも今度こそは出ていったに違いない。俺ぁそう思っていたんだが、次の日もその次の日もなぜかそいつは部屋にいる。台所の棚にいたり、置き場のないカップ麺の山の上にいたり。一向に出ていく気配がない。


「ここが気に入ったのか?」


 ちゃぶ台の上でにいそしんでいたそいつにそう話しかけると、ヤツは手を振り上げてこちらにアピールを始めた。手旗信号のようにも見えるそれが何を意味するのかはわからないが、多分『追い出そうとすんなー!』とか言ってたりするんだろうな。


「そっちが心配なんだよ。危なくて見てられねえ」


 そう言うやいなや、ヤツはそそくさと缶を下りタンスのてっぺんまで登っていった。そして、『これなら文句ないでしょ』とでも言いたげにこちらを見るとタンスの裏へ。こいつ言葉がわかるのか? 利口なんだかそうじゃないんだか……。


「……わかったわかった。好きにしな。せいぜい踏まれんなよ」


 結局、俺はそんな破格の条件付きで奇妙なを受け入れた。


────────


 それから半月。


「ただいま」


 一人暮らしに慣れきって長らく出さなかったそんな言葉も近頃は自然と口から出てくる。それに応えるようにそいつも新聞の山の上から俺を見た。どういうわけか、こいつはいつもすぐに見つけられる位置にいるんだ。


「どうした? 疲れてんのか?」


 なんだか今日は動きがスローだ。そんなに寒い日ではないし、部屋の獲物を捕り切って腹空かせてるんだろうか。


「ほら、差し入れだぞ」


 そんな害虫を退治してくれるルームメイトにねぎらいの砂糖水。目の前に一滴垂らすとちょこちょこ歩いて飲みに来る。なんでもこいつにとっての砂糖水は栄養満点の飲み物なんだとさ。


 ──これ、俺らにとってのエナジードリンクって奴だよな。駅の売店で俺らを相手にしてるおばちゃんの気持ちが少しわかった気がするよ。


「たんと飲め」


 夢中で飲んでしばしの休憩。それから丁寧な毛づくろい。そんで『終わった終わった』と言わんばかりに新聞の中へ。うん、ちょっとは元気になったかな。


「いつもご苦労さん。おやすみ」


 今度は俺の元気チャージだ。明日は休みだしもう寝てしまおう。そう思って布団に潜り込んだんだが……。


「あ、あの!」


「はっ、えっ!?」


 数時間くらいしたところで女の子の声が聞こえて飛び起きた。ここは窓やドアが動くだけで軋むような部屋だ。一体どっから入ってきた?


「あの、こんばんわ。怪しいものじゃありません。少しいいですか」


 いいわけあるかよ。何モンだ君は。


 腕が六本ある。女の子の手二本、あとの四本はエイリアンみたいな茶色くて毛で覆われた腕だ。背中から生えてる。妖怪かなんかか……?


 背丈は俺より一回り小さくて、髪は焦げ茶。真ん中がちょっぴり明るくなってる独特のカラーリングだ。最近のお化けってこんなモダンなカッコしてんの? トップスは髪色に合わせた配色のツートンカラーで、下は似たようなカーキのカーゴパンツを履いている。


 随分アクティブだな。……いかん。ついジロジロ見ちまった。ダメだダメだ。このままじゃ喰われるかも知れないだろ。考えろ。何か切り抜ける方法があるはずだ。


「あの、もしもし?」


「あぁ? あぁ、悪いが聞こえないよ。耳にピーナツが詰まっててね」


「じゃどうやってお仕事行ってるんですか」


 うぐ……。


「ちょっとでいいんです。お話を聞いてください」


 へーんだ。その手にゃ乗るか! 指耳栓だ。……すると、女の子はムッとした顔で俺のタブレットを引き寄せて立ち上げると、しばらく悩んで不馴れなタイピングを始めた。


『聞いてくるれまで あきめらませんよ』


 あーあー、わかった、わかったよ!


「あのさあ。話を聞くったって、結局のとこ君は人を食べに来たんだろ?」


「──えっ?」


「知ってるぞ。巧みな話術で魅了しておいて油断したところをガブッてしたりするんだろ。回りくどいことをするな! やるならひと思いにやってくれ!」


「いや、その……。違います……」


 おい。なんで俺が引かれてんだ。


「じゃあ呪いに来たとか?」


「違います」


「奴隷になりそうなヤツを探してるとか」


「……あの、私がどう見えてるんですか?」


「人喰い妖怪」


「人喰い妖怪!?」


「だって腕多いし、密室に突然現れるし……」


 人喰い妖怪以外のヤツがこんなきったねえ部屋に用あるか? せいぜい大家か怪しげなセールスマンくらいだろ。そうじゃないってんなら説明してもらおうじゃねえか。


「むー、どこから説明すれば……。いちおう言っておきますけど人を食べたりはしませんからね。そんな趣味はありません!」


「そうかい。──で、食べる?」


「食べませんってば!」


「いや、これ。クッキー。もらいもんだけど。お茶もあるよ」


「頂きます」


 女の子なら砂糖の誘惑には勝てまい。今話題のちょっとお高い缶入りクッキーを開けて渡すと彼女の目が輝いた。とりあえずこれで時間を稼いで腹の内を探ってみよう。


「チョコ入り、こっちはジャム付き……。んー♡」


 それにしてもよく食うな。お茶入れて戻ってきたらもう半分消えてんの。


「出しておいてなんだけどこんな時間にそんな食べたら太るよ。君、お名前は?」


「ふぁほあふぇいふいぃふぇひへふ」


「何て?? ほら、お茶」


「──ぷはぁ……。ありがとうございます。私、っていいます。ぺいくりーって呼んでください」


「あおま……。あおま、ね。どういう字書くの?」


「青空のアオにもんがまえのマ、ペイクリィはカタカナで、最後のりぃは小さいイ。それから恵みのエ、くさかんむりに利口な子のリと書いて恵莉です」


 長っ。『青間ペイクリィ恵莉』、と。ミドルネームがあるのか。


「ふむ。ペイクリィさんと。お住まいはどちら?」


「隣の神社に住んでました。ちょっと前までですけどね」


 隣というと出碓でうす神社だ。神社ってことは妖怪でもなさそうだな……。


「この部屋にはどこから?」


「窓の隙間からです」


「……窓の隙間? どうやって?」


「普通にくぐり抜けて、ですよ」


「君は何者なんだい。小人? 神さまの使い? それとも宇宙人?」


「いいえ、蜘蛛です。私チャスジハエトリっていうんです。この色に見覚えがありませんか」


 彼女が差し出した腕。ところどころ黒が混じった茶色。それを上に突き出してバンザイ。


 ハエトリ。茶色。頭の中でつながると、思い浮かぶ一匹の小蜘蛛。──あいつか!


「えっ、マジか。部屋でちょこちょこしてたの君だったの?」


「そうですそうです。……あの、無断で入ったりしてごめんなさい。害虫駆除で住むところがなくなっちゃったんです」


 こんなことがあるのか? 半ば放心状態でタバコをくわえて火を点け、慌てて押し消した。部屋を縦横無尽に飛び回ってたルームメイトが女の子になって現れたってのかよ。どういうわけだ?


「……いや、いいよ。どうせ隙間だらけなんだ。入ってくるのは君だけじゃないさ」


 なんとかそれだけつぶやいて、改めてを眺める。意外と顔が小さいな。


「それにお砂糖にお菓子まで頂いてしまって何てお礼を言えばいいんでしょう? 言葉が見つかりません」


「でも──。せっかく喋れるようになったんですし、改めてお伝えしますね」


「暖かい部屋に匿ってもらって、お砂糖もらって、のびのびとさせてもらえて……。ここまで生きてこられたのはあなたのおかげです。ありがとうございました」


「いやいやいや。そんなことないって。顔上げてよ。こっちが恥ずかしくなってきちゃった」


「……そんなあなたを見込んで、一つお願いがあるんです。聞いてもらえますか」


 ──マジかよ! くっ、交渉上手だな。断りきれない雰囲気を作るとは。何が望みだ?


「私をしばらくここに置いていただけませんでしょうか。こんなになってしまったので行くところがなくて……。住めるところが見つかるまでで構いませんので」


「……いいよ。ここなんかで良ければ」


「ホントですか!? よかった! 断られたらどうしようかと思ってました」


「けど君、もともとここにだろ? なら、しばらくなんて水臭いこと言わないでくつろいでよ」


「優しいんですね」


「そんなでもないと思うな」


 どうってことはない。ルームメイトがルームメイトになるだけだ。腎臓売ったり魂取られたりするかと思ったわ……。


 しかし大胆な娘だ。これが野生に生きるってことなのか。野生ってのはこんなカワイコちゃんが突然──。


 見えなくなった。視界が紫色だ。


「──なんですかこれ!?」


「クソ、今度はなんだ」


 俺らの間に現れた立方体。それは古風な風呂敷包みだった。一メートル四方くらいある。突然ちゃぶ台の上に音もなく現れたそれは相当無理やり結んだらしく、なんとか結び目ができているようなていだった。


「い、一体どこから……」


 パンパンに詰まりすぎて形がいびつになっている。なんなら引っ張られすぎてちょっと透けてる。その堂々たる出で立ちにペイクリィちゃんも興味津々のようだ。


「開けてみようか。そっち支えてくれる?」


「えっ!? は、はい」


「爆発したりはしないだろうさ」


 なに、リアクションが薄い? あのな、部屋にいた小さな蜘蛛が寝てるうちに女の子になったんだぞ。ドデカい風呂敷が突然出てきたって今更何の不思議もないわ。


 ……ふむ。中には紐付きの朱塗りの小箱、デカいダンボール。それからまた風呂敷包み。とりあえず小箱から行ってみるか。


「わあ、綺麗な赤色……」


 見た目にそぐわずずっしりとした重さだ。中身は保険証、認印、銀行印に個人番号カード。あとは朱肉と印鑑ケース……。


 待てよ? 住所がここだ。転居届提出済ですってか。仕事早すぎだろ。


「これ君のだ。大事な書類だから仕舞っとくといい」


「じゅうみんひょう? ほけんしょう……?」


 ピンと来てない。そりゃそうか。まあ、そのうちわかるよ。これのありがたみってやつがさ。


「とにかく大事なんですね。わかりました」


 しかし誰の仕業だ? 役所じゃないことは確かだが……。小箱をペイクリィちゃんに手渡して今度は風呂敷包みに手をかける。中には色とりどりの布地。これはしましまの──。


「おっと。こりゃ失礼」


 服とか下着のたぐいか。ホントに準備がいいな。なんなら明日困るもんな。


「うーん……?」


「どうしたの?」


「ええ、その……。可愛いとは思いますけど下着が全部しましまなんです。なんででしょう」


 ごめん。それは俺にもさっぱりだ。きれいに並べたしましまぱんつを前に腕を組み、頭を掻き、難しい顔して首を傾げるペイクリィちゃん。実にシュールな絵面だ。


「じゃあ、最後の箱を開けてみようか」


 梱包のビニテを破ると──『実践・できるお掃除!』『漢の和洋中・家庭料理のいろは』『アナタのためのお裁縫』……まだまだある。何が面白いって、空いたスペースにダルマとかお守りが詰め込んであって受験生への仕送りみたいになってるところかな。


「これは……」


「そりゃ御札だね。部屋に飾っとくと悪いことから守ってくれるんだ」


「あ、いえ。そうじゃなくって」


 彼女が指さしたのは御札の文字。『安産・家内、交通安全 出碓町出碓神社』? 


 隣じゃん。マジかよ。じゃあまさか今日の出来事って……。


「……神様からなんか聞いてたりする?」


「えっ、神様? いえ……」


 気まぐれ? なんかの副次的効果? 壮大な実験? わからん……。わからんけど明日お礼にはいかなきゃな。


「どこに飾りましょうか」


「その前に部屋掃除しよう……」


 現状、掃き溜めに鶴ゴミ屋敷に蜘蛛娘だ。神様の手前にあってこれじゃ流石に恥ずかしいな。


「このまま飾ったんじゃバチが当たりそうだ。君のいられるスペースも作らないとだし。明日手伝ってくれるかい。お参りにもいかなきゃならんし」


「はい! なんでもお手伝いします!」


──少し肌寒い午前三時。俺のもとに妙な春が来た。


「とりあえずきょうはソファで寝てくれる?」


「……ソファ、どこですか?」

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