第7話 7 オランス

 改装された教室を見て安堵する生徒達。

「絶対間に合わないと思ったよー」と言いながら、完成したという事実を噛み締める女子生徒。

 文化祭の出展として、このクラスはお化け屋敷を制作・運用する事となった。当初、制作は楽観的に見積もられていたが、教室全体をお化け屋敷にするために様々なものが予想以上に必要であることが浮き彫りになり、その作業量は膨大なものと化した。ここ数日は連日連夜の作業。生徒の誰もが疲弊していた。

 青年/生徒=ハンス・ノイラートはクラスメイトの喜ぶ姿を少し離れた所から見ていた。また、彼の近くにはもう一人、無言で携帯電話を弄る生徒がいる。

「これで一安心だ」

「嫌味か?」

 ハンスの呟きに反応した青年=ガードナー。彼は溜息を吐いた。

「ま、良かったじゃないか。中途半端ってわけでもないし。神とやらの恩寵を与りまくっただけのことはある」

「祈りを捧げ、献身的に働いた人たちに対して、酷いことを言う」

「俺は祈らない。バンドを優先して手伝いを放棄してでも練習したんだ。俺の人としての演奏は価値あるものに仕上がった」

「どんな価値があるの?」

「俺の作品は神を理由にしない。音の運びも、メンバーとの協同も、人間味を帯びている」

「君の作品に価値を見出すのは人に価値を見出す者だろうな」

「まあな。けど、人生祈りっぱなしで、いつも神の力に酔い痴れている連中の頭を覚まさせるものにもなる」

 ガードナーは自信ありげに語った。

「僕の目には、君が人間という名の神を信奉しているように映るよ」

「俺が俺自身を信じるのは良いことだろう。そして、人は人を信じるべきだ。外部に頼るってのは依存と変わりない。たとえば病気になったとする。そのとき、普通は病院で診療を受け、薬を貰い、これを服用するだろう。この治療を受けているとき、或いはその後、俺延いては人間は同胞に感謝するんだ。だというのに、個々人の貢献を無視して神に向けて感謝を抱くのはおかしな話じゃないか。もし職業人が祈っていようとも、信仰の決意、その発端である人間を無視するのは変だろう。お化け屋敷だって、祈らずに自分たちの力で、自分たちの出来る範囲での物を作り上げるべきだった」

「……なんにせよ、次は運営だ」

「シフト表見たら、おまえ午前に割り当てられてるな。ご愁傷様」

 ガードナーは酷薄な笑みを浮かべた。ハンスは肩を竦めた後、中空をぼんやりと眺めたのだった。


 出店された屋台。客引きのために大声を出す生徒。通路を練り歩く大勢の来客者。窓際に立つハンスは中庭の光景を認める。手元のしおりを開き、掲載されている地図を見た彼は動き出した。人気のない通路を歩いていると、前方で女子トイレから出てきた人間=糸川心と遭遇する。顔色は悪く、背も丸まっていて俯き気味だ。

「大丈夫ですか?」とハンス。

 糸川は相手の顔を見ることなく、「大丈夫です」と答えたが、すぐさま顔を合わせる。すると、彼女は「ぅあ」と声を漏らした。二度、三度瞬きし、ハンスの名前を聞く。挙動不審な様子を見ながら、ハンスは返答した。彼女は咀嚼するように幾度も彼の名を唱えた。ハンスは糸川の様子を観察しながら、保健室への案内を申し出た。

「大分落ち着いたので大丈夫です。また、出し物を見て回ろうと思います。先輩、良ければ一緒にどうですか?」

 ハンスは彼女の誘いに応じる旨を返した。糸川は笑みを浮かべ、せっかくだからと遠慮なく話さないかと提案した。これもハンスは了承した。二人はしおりを頼りに校内を移動する。二人とも自分の希望を出さなかったため、混雑具合を加味した上で各団体の企画を順繰りに見ていった。

 一時間ほど経過したところで、中庭に人集りが出来ていた。これからバンドの演奏があるようだった。二人は中庭の特設ステージの見える位置=渡り廊下の窓際に移動した。

「凄い人の数。人気者なんですね」

「彼らの演奏を聴くために来た人もいるらしいよ」

 間もなくライブが始まった。ギターを務めるガードナーの様子を眺めるハンス。人力の演奏は人々に感動を呼び覚まし、熱狂的な歓声が上がっている。

「不愉快ですね」

 そう断じるのは隣の少女=糸川だ。憎々しげに聴衆と演奏者を睨んでいる。

「どうしてそう思うの?」

「人力を賛美しているからです。私は音楽について不明ですが、あれが祈りによるものと匹敵するものとは感じません。技術に習熟しているために下手でこそないでしょうけど、熱狂するほどでしょうか。では、この文化祭という場のためか。それだけでもないように思えます。だから、人間礼賛というわけです」

 羽目を外しているだけでも、未熟さのうちに可能性を見ているわけでも、ましてや未熟であること自体に快を覚えているわけでもない。大半の人間は人間の手によるものという事実に興奮している。

 現に、敬虔な者は眉をひそめていた。


 会場の盛り上がりと並行して、糸川の呼吸が徐々に荒くなっていく。

「主を信奉する者にとっては不快か?」

「私は特別、熱心ではありませんから。この反応は単なる人間嫌いによるものに過ぎません」

 辛そうに顔を伏せる糸川を伴って、ハンスは離れた校舎の空き教室に来た。文化祭の喧騒は遠くにあり、室内には一種の静けさがあった。

「今日は友達の誘いで来たんです。でも、人混みを体験して。駄目ですね。日常生活を送るだけで精一杯の人間が背伸びしたら。結果は先輩も知る通りです。ごめんなさい。迷惑を掛けてばかりで」

「糸川さんのせいではないし、僕については気にしないでいい。というのも、クラスの手伝い以外にすることが無かったくらいだ。むしろ糸川さんと過ごせて、今日は良くなったように思える」

「はは、そうですか」と力なく笑う糸川。

「今日はもう帰った方がいい。友達はまだいる? 出来れば一緒に、」

 帰宅を促すハンスだったが、相手を首を振った。

「そんなことより、私の話を聞いてもらえますか」

「分かった」

 糸川は語り出した。人間自体を嫌うあまり、その諸行動についても嫌うようになったと。そういうこともあるだろう、とハンスはやんわりと肯定した。

「人を嫌う。嫌悪の対象には私も含まれます。私だけは違う……なんて風には考えられませんでした。矛盾を都合良く使っていくことに抵抗感があったからです。私は人間の全てを否定します。生まれ育った街も、家族も、自分自身でさえも」

 だからこそ、先程の光景を捉えたことは自身に筆舌に尽くしがたい感覚を与えたと言う。

「神に仕えていた時代は過ぎ去り、人が神を使う時代となったこと。その事実を垣間見た今、欲するものは一つです」

「聞こう」

「自殺です。人の蔓延る世界に、私の居場所は有り得ません」

 語る際、彼女は暗い表情だった。放たれた言葉は雑音を退け、空間に浸透していくようだった。

「居場所はただ与えられるだけのものではなく、時には自主的に作るものでもあると訊く。ならば、君にとってその時間が訪れたというだけではないのか?」

「かもしれません。しかし、私には創造的な意欲が欠けているのです……なんて」

 と、糸川は微笑した。


 すぐに笑みは崩れる。表情の抜け落ちた様子で、彼女は淡々と語る。

「日頃から死にたいと思ってました。自分も周りも嫌いという感覚は耐え難いですし、周囲を騙して過ごすことには負い目のようなものを感じていましたから。それでも、自殺は悪いことだと誰もが言うように、私も死ぬことに抵抗感があったため、今日まで生きてしまったんです」

「これ以上は限界か」

「はい。多分無理です。今日、あの演奏を見たこと。そして、先輩と出会えたことが決定的だったように思えます。あの中で生きていくことは困難に感じられました。あの光景に私は耐えられない。人を賛美するだなんて」

 糸川は神の力で成立する社会に生きながら、人間を褒め称え、美的に消費する集団への嫌悪を尚も露わにする。

「となると、人里を離れても無駄なんだろうね」

 ハンスの言葉に頷く糸川。

「だから、私は自分の生を終えなければいけないと思うんです」

「自殺をしたいと言うのなら、僕は止めない。ただし、此処は学校で今日は文化祭だ。糸川さんの死は行事を破壊するに足るだろう。君の死は家族や友人を超えて多くの人間に紐付けられる」

 と、起こりうる出来事を確認するハンス。

「祈願に於いて、私は自己自身の滅却を託すつもりですから。具体的な手順については尊き者に委ねられます。死体は極めて巧妙に隠蔽されるか、或いは敬虔さのためにイプセ・ディクシトのような超常現象によって隠滅されるか。いずれにせよ、私のせいで周りに迷惑が掛かることは無いでしょう。立つ鳥跡を濁さず……というやつです」

 ハンスは「そうか」と言った。

 糸川心は瞼を閉じ、両手を合わせ、祈りを行う。ハンスは彼女の前に立ったまま、その様子をぼんやりと眺めている。やがて少女は両目を見開いた。

「あなたは……」

 と、ハンスは呟いた。彼は眼前にいる者が少女ではないことに気付いたようだった。その肉体は一言、「これは失せる」と呟いた。すると、ハンスの前にあったものは消え去った。ハンスは空いた空間を見つめた。

 室内に設置されている放送機器より声が聞こえてくる。

「初日もいよいよ大詰めです。ここから更に盛り上がっていきましょう!」

 ハンスは教室を出た。

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虚空幻葬 間 孝一 @nemesisf3kds2t5h4h

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