第2話

「これが、俺……?」


 愕然とするしかなかった。ほんのついさっきまで俺は間違いなく男で、ごく一般的な会社員であったのだ。それが何故、どうしてこんなことに。

 誰が俺と同じ状況に陥っても、そういった疑問や憤りが湧くのは至極当然のことだろう。そうは思ったが――


「…………めちゃくちゃ可愛いな……」


 俺は前向きだった。この時ばかりは、前向きを通り越して、能天気だったと言ってもいい。いや、ただの現実逃避だった可能性も捨てきれない。

 しかし、自分の行動通りに百面相するこの少女は可愛いし、正直ちょっと好みだ。まじまじと水面に映る自分の顔を眺めて見惚れるなんてナルキッソスか何かかと言いたくもなるだろうが、実際現状その通りなのだから仕方ない。惜しむらくは、この顔の持ち主が俺自身だった、ということだろう。その事実がなければ百点満点の美少女だ。


「……な、なんだ?」


 そんなナルシズム溢れる行動を繰り返していた俺の耳に、異様に大きい雄叫びのようなものが聞こえてきた。音の方向に視線を向ければ、多くの鳥達が逃げるように木から飛び立ち騒々しく騒いでいることから、森の住人にとっても異常な事態であることは理解できた。そして、地から響くような重々しい音――いや、これは足音だ。ズシズシと大きな音を立てて、何か大きなものが俺の方へ近付いてきている。

 明らかに危険だと分かる。分かるが、何故か俺は動けなかった。それでも逃げておくべきだった。


「う、そ……だろ……?」


 多くの草花を踏み荒らしながら満を持して俺の前に現れたのは、大型の毛むくじゃらの熊の様な獣。成体の熊など軽く超える大きさはあるその獣は、興奮した様子で涎を垂らしながら、鋭い牙をちらつかせ俺の事を見ていた。どう考えても、これは獲物を見る目だ。俺をランチの様に軽くつまんで、美味しく食い散らかそうという目である。

 思わず声を上げたが、それは明確な音にならずにひゅうっという情けない呼吸音として喉を抜けて行った。人間というものは、身の危険を感じるほどの恐怖に晒されると、悲鳴を上げることも出来ないらしい。今こんな時に初めて知った事実だが、出来ることならこんな事は一生知りたくなかった。

 しかし、何もせずに食われるなんて、そんな現実を簡単に受け入れるわけにはいかない。なんとか打開する方法はないか。獣の動向に注意しながら、俺は必死に周囲を見渡した。誰か、何かないかと神にでも祈るような気持ちで。


 その祈りが通じたのか、俺は獣とは反対方向の対角線上に何か光るものを見つける。


「……あれだ……!」


 それは草むらの上に転がっていた剣。若干傷も見え妙に大きい気はするが、この際贅沢は言っていられないだろう。じりじりと距離を詰めてくる獣から逃げるように剣の方へ向けてこちらもゆっくり後退り、走って数歩の距離に近付いた瞬間俺は飛ぶように剣に向けて走り出した。

 思った以上にスピードが出て思わずバランスを崩しかけたが、この少女の身体、もしかしたら二十代半ばの俺よりは体力も筋力もあるのだろうか。一体どんな身体だ、などと内心感心しながらお目当ての剣を握った。

 が、それは両手で持っても重さを感じる大きな両手剣。つまり大剣だったのだ。せっかく握ったのに、この細腕では攻撃するどころか振り回すことすら難しいのではないか――実際はそんなことはなかったのだが、つい躊躇してしまった。


「クソっ! やっぱ駄目なのか……!」


 走り出した俺に呼応するように獣も四つ足で駆け出した為、もう逃げることが出来ない。こうなればせめて盾代わりにするしかない。と、大剣で身を守った俺と獣の間に、急に何かが割って入ってきた。

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