背高の姫軍記
椎橋用
背高の姫軍記
|また妹は、春の蝶だか雲雀だかを夢中で追いかけ、ひとり夢中で山のほうにすっ飛んで行った。
連れ戻すまで帰らない。
また行かせたのですか兄上、と姉のはんが眉をひそめ難じると、二人の兄は苦笑いして、
「良いではないか、小さな
「かくも九つになったことじゃし」
などと矛盾したことを言う。
本音は、末妹のかくのことを考えるのが、面倒くさいだけである。
兄にも妹にも舌打ちしたい心持ちで、姉姫はんは馬を引き出し、鞭をくれて館を出た。
三つ年下の
アネサマ、アニサマ、と花などくれたりするばかりで、問うて答えてまた問うて、という長い話はさっぱりである。
興味を引かれるものに夢中になり、後先考えずに飛び出しては、館から離れた山の中で迷って泣いているのを、はんが連れ戻すのが常であった。それも、迷ったのが恐ろしいのではなく、腹が減ったから泣くのである。年の近い少女たちとは遊びでかみ合わず、ひとりで遊んで苦にしていないようであった。
生みの母が一昨年病死して、はんは尚さら妹の行く末を案ずるのだが、領主の
「なに、都の
「さよう、出しゃばりの乱暴者より、余程。のう、
と話をそらし、矛先をはんに向ける始末である。
ようするに、自分やかくの一生を軽く見ておる――とはんは歯噛みし、また鞭を振るった。
そのはんが馬によく乗るのは、自分の背が並外れて高いことを、引け目に思うからである。
十ぐらいからぐんぐん背が伸び、今では五尺五寸もある。色が浅黒いから、なお困る。
初夏の筍(たけのこ)のごとき高い背を折るように縮こまってみても、ほかの娘たちとはあまりに差があり、恥ずかしいことこの上なかった。
あまりに目立ち、「背高の姫君」などと呼ばれて評判になった。近郷から「背高の姫君様は、こなたで」などと武士役人が物見高くやってきて、珍獣を見て眼福という顔をして帰っていく。もうだめだ、とはんは思った。
そこで編み出したのが、馬に乗るという手であった。馬上にあれば、背が高いのが目立たない。
なるべく馬に乗っているように心がけると、自然と馬術が上達し、すると父や兄が「女武者じゃ」と面白がり、弓や組打を教えてくる。
良いのだ、こうやって暮らそう、と思い定めながら、はんは山道に馬を進めた。
北越後の山は、深い。高さはそれほどでもないが、幾重にも連なる山脈である。 早くも薄暗くなってきた。
はんは馬をつないで、かくの名を呼びながら、急いで深藪に分け入った。奥には、かくの好きな休み岩があるはずであった。
紫の夕闇に、山は黒々として、木々は灰色になっていた。
太い蔓が大蛇のごとく巻きついた木に目を向けると、樹下の残雪の上に灰色の狐がいる。
こちらを見ていた。
大きな狐。
山の神か、
はんは、一礼して狐を拝み、小さく祈った。
「権現様、どうぞ妹を、かくを見つけさせてくださいまし」
この地方、北越後の武士には、強い山岳信仰があった。隣国、出羽三山の修験道につながる、羽黒権現や
その時ごぉう、と風が吹き、葉が散って、葉がぺたりとはんの瞼に貼りついた。
うッ、と慌てたはんの耳に、声がした。
耳の内側から聞こえる唸りのようにも感じられるし、外からの囁きにも思える。
声は、言っている。
(妹を守れ。お主ら姉妹は分ちがたし、鏡の表と裏―冬と夏―のごとし。妹を守れ―)
葉を剥がすと、狐はもういない。
かわって、アネサマ、とかくが駆け寄ってきた。
その夜、はんは狐の悪夢を見、初花(初潮)をみた。
◇
干支が、ひと回りした。
はんは、背高の姫君から、身の丈六尺の女武者になっていた。
弓矢から薙刀、刀に組打、たいていの
妹を守る力を持たねば、という少女時代の思い込みが高じて、気が付いたらもう、そうなっていた。
かくは、相変わらず微笑んで一人遊びをしていた。将棋、
世は、源平合戦を経て、鎌倉に幕府、という運びとなった。
はんの家は、父が亡くなり、長兄が病死し、次兄が後をつぎ、平家に味方をしたり、源氏の御家人に加わったりと目まぐるしかった。
勢力は減じたり、官位を得たり失ったりと浮き沈みがあったものの、戦火がこの地に飛び火しないのは何よりだった。
兄が出陣して西国、信濃、奥州と転戦するのにはんが加わらなかったのも、妹を守るため、狐の霊言に従ってのことである。
いざとなれば、自分が故郷、所領を守って戦う決意のはんであった。
が、戦の始まっていない土地で、女武者の名は、持て余す。
戦で手柄を立てられるわけでなし、立てたところで女の身では、家の当主になれるわけでもない。
はんは
見合いの席もたびたび設けられたが、猿のような若い田舎武者がやってきては、またあの珍獣を見る目を自分に向けるので、はんは苛々して断り続け、とうとう縁談は尽きてしまった。
次兄の
壁の懸仏、銅板に彫り込まれた飯縄権現と狐の姿に手を合わせる。
中途半端ですわりの悪い自分の人生を、どうしましょうかと神獣に問うてみても、答えは出ない。
そして狐はまたもや「では妹をどうする、お主が守らねばどうなろう」と投げ返してくるのだった。
はんが嘆息したとき、館の門のほうが騒がしくなった。
開門開門、寄進勧進と
はんが出てみると、薙刀を持った僧兵姿の男たちが数人、
「われら、羽州(出羽)三山は羽黒の山、修験の坊。諸国に乱難絶えずして、その穏やかなるを羽黒権現に願い
朗々と講釈するが、半分は口から出任せ。要は寄付をせよ、金を出せと言っているのである。近年都で流行りの、僧兵の
背景のある政治的な示威から、ごろつきが僧形をしているだけの単なるたかりまである。後者であろうと、はんは読んだ。
強訴が不愉快なのは、触れれば
弱みを見せては、くせになる。
はんは棍棒をつかんだ。困ってうろうろしていた召使たちをかき分け、前に出る。
威圧が過ぎぬように構えながら、
「わしが、ここの娘じゃ。寄進をお求めならば、寺社から穏やかに勧進帳を届けるのが筋であろう。引き取られよ」
と、静かに言った。
「背高の姫君ですな」
「いかにも」
「この神輿、御妹様が、いたくお気に入りで」
僧兵の頭目らしいのが、ついと神輿の目隠しを上げると、中にいたのはかくであった。
ふつうの輿と区別がつかぬらしく、澄ましていたが、はんを見留めると「アネサマ」と笑った。どこかで一人遊んでいたかくを、巧みに引き入れ人質としたのか―。
はんのはらわたが煮えかえり、同時に首のあたりに冷たいものが走った。
「なんと卑怯な。それでも僧の、はしくれか」
「これは
どっと哄笑する僧兵どもに、棍棒を握りしめたはんであったが、下手に動けば―。
と、そのとき駆けてきた馬が一騎。
「待たれい」
これも僧形の男がざっと馬から降り、頭目とはんの間に割って入った。
蓬髪、色の
騎馬の僧ははんを「この女か」というふうにちらと見てから、僧兵たちに冷たい余裕の口調で言った。
「近頃、近郷近在で出羽三山の僧兵神輿をかたり、強訴の真似事をするはお主らか」
「な、何を―かたり等と」
「寄進を求むるときは、僧や
「貴僧は」
はんが誰何すると、
「
はっは、と笑った磐城なる男に、
「ほざいたな」
とごろつき僧兵が、薙刀の鞘を外して打ちかかった。それを磐城が柄で払い、
「かく、のいておれ」
叫んではんは、棍棒を打ちおろし、神輿を叩き壊した。引きずり出されたかくは、「何だ、もうお
「女のけがれた身で何たる狼藉。仏罰が―」
「黙れ下郎。卑怯者の神輿に霊験があるか」
「さよう、さよう」と磐城がはやす。
ばらばらと斬りかかった七人のうち、四人を磐城が、三人をはんが突き倒す。
たかり僧兵たちは、逃げ散った。
かたじけのう―と礼を言いかけたはんに、
「女清盛か。可憐なことじゃて」
と磐城は笑って、揶揄を返した。
強訴を追い返した平清盛の話と、はんの家が元もと平氏の出であることを、知った上での洒落である。
「何をッ」
じたばたとしたはんの体は、手もなく宙に舞っていた。地に叩きつけられる、と思った瞬間、磐城がぐいと引き上げたので、はんはふわりと着地した。
召使たちがどよめいた。
背高の姫様を投げ飛ばす者が、東国にまだおったとは―。
「許されよ。
頭を下げる磐城に、はんは呆然とした。
「坊様」と笑って、かくが磐城に花を渡した。歓迎している。
はんはかくを強く引き戻し、背に庇って、磐城を強く睨み付けた。
「やれ、恐ろしげな。背高の姫は、ご自分が神輿の中に入っておるようじゃ」
澄まして言ってみせる磐城に、はんは胸を突かれた。
――心が
ようやく馬で駆けつけてきた若殿が、磐城の剛胆なのを褒めたたえ、当家で召し抱えたいと交渉を始めた。
◇
はんは、夜回りをしていた。
館から馬小屋、離れと巡っていると、暗闇の中に琵琶の
―おのれは とうとう 女なれば いづちへも ゆけ―
近頃流行る源平合戦琵琶物語の、木曽義仲や愛妾・
こんな物語するのは、新参召し抱えられた磐城坊に違いない。嫌味な男だ、と思ったが、こういう趣向は、田舎に珍しい。
なかなかの調べと美声で、聴き入った。
―巴御前か。
離れには、かくが住んでいる。
狼藉者か、打ちのめしてくれる、と駆け出したとき、立ち塞がった者があった。 琵琶を担いだ、磐城であった。
磐城は、静かに―という手つきをして、
「野暮は、およしなされ」
とお道化た顔をした。
「ばかな。それとも、あれがかくの―」
「このところ、毎晩よ」
声を潜めて、磐城はついてこいと促した。
夜這い、通い婚の時代である。男が夜、女の住まいに忍んでくるのは、この館にも珍しくはないが、それにしてもあの妹が―。
軒先の藪から、そっと聞き耳を立てたはんは、離れの中から妹の笑い興じる声と、何事か語りかける、はんの知らない若い男の声とを聞いて、
わかったかの、と磐城に背を押されて、いったん軒先を離れたはんだったが、
「いいや。やはり」
と引き返そうとした。慌てて再度、磐城が止める。
「いくら姉でも、邪魔をするものではない」
「妹は、あの子はだまされているのでは―」
「それは考えすぎというもの。近在の、土豪の息子らしい。悪い
「しかし。あの子は」
「あの子と言うて。もう大人であろう」
「話もままならぬ妹、私が守ってやらねば、生きていけぬ。傷がつくのを、見とうない」
「それは姉上の思い込みじゃろう。ちゃんと仲良うしておるではないか」
「余人にはわからぬ」
「姫はちと、御妹様の事で気を張りすぎではないかの。妹は自分が守らねば、こうしなければ、ああしなければと、度が過ぎる」
「坊にはわからぬ」
「そうじゃな。人それぞれ、心を傾ける相手が、おって当然。それがなくては生きられん」
離れの灯りが小さく見えるところまで、磐城ははんを引っ張って行った。
びぃん、と琵琶を弾いて、磐城が言った。
「昔、拙僧にも、偉い主君がおりましてな」
「拙僧、節操なく主君を変えるか」
「―ふふ、そうで連なっておるが、なかなかそうは、いかなんだ」
笑って磐城は、続けた。
「武門にすぐれ、頭もよい、家臣にも好かれた御方じゃったが、鎌倉(頼朝)殿に疎まれ、
「――」
「そこからじゃ。命に代えても殿をお守りいたそうと、強く思い込んでおったから、目的を失えば荒れるしかない。自分も追って自害するか、どこかで討死するかと、ひとり荒れ狂った。あちこちの戦に顔を出してはみたものの、満たされるものではない」
「殿というのは―」
「ふっふ、それには答えぬよ」
磐城は、中天にかかった半月を、しばし眺めた。
思い出を反芻しているらしかった。
「何年もそうしているうちに、あるとき気づいた。自分を、箱の中に押し込めて生きるのは、やめようと。主君のためにこうあらねばならなかった、そうでない自分はごみくずじゃと、思い込むのはやめようと」
「―はこのなか―」
「箱の中では、見えるものも見えぬし、動かせる手も動かせぬ。それは自分で、自分を目隠し、手足を縛ることよ。ちと愚かじゃな。ならば箱の外、思い切りよく生きるほうが、地獄で殿に申し開きも出来ようて」
「――」
「はっは、殿に仕えているころから坊であったのに、そこで初めて坊主らしいことを考えた。―やれ戯言を。南無、わしは寝る」
磐城を見送って、はんは義経の家臣で、行方知れずの
が、誰かに注進する気にはなれなかった。
月に、雲がかかった。
◇
正月。
次兄も甥も、磐城の語る琵琶物語に興奮したらしい。家の再興だの鎌倉軍をひねり潰すのと勇ましくなり、あげくにこうなった。
とんだ悪影響を与えたと、磐城は次兄や甥を諌め、またはんも止めたが、無駄だった。
次兄と甥もまた、箱の中の住人であった。
若殿に、叔母上も是非にと懇願され、はんも気が進まぬながら、弓を持って同道した。かくは逃げよと説得されたががんとして聞かず、やむなくこれも山城に入れた。
雪の中で挙兵したはんたちの軍は、それでもずいぶん持ちこたえた。
そして、すでに夏になろうとしている。
毎日、山城に取りついて堀を越え、崖をよじ登る幕府の軍勢を、はんは弓で撃ち落としていった。鎌倉軍は、はんの矢を恐れた。
甥が家臣たちに、相も変らぬ訓示をたれる。
「われらには、飯縄権現様の御加護あり」
皆気勢を上げるが、声に力はもうなかった。
城の兵糧は底をつきはじめ、日に日に生い茂る葉に隠れて、御家人たちが進撃してくる。
狙い撃って追い返しても、昨日あちらの谷間で止めた敵軍は、今日は手前の岩陰にまでにじり寄る。
ほどなく、落城であろう。
「潮時でござるかな」
磐城が言った。
少しばかり見栄と意地もあって、そうじゃ降参しようと応じたいのを、はんはこらえた。
磐城は、たまさか雇われていただけなのを、ずっと戦に付き合ってくれた。戦友であった。
「磐城。琵琶を
「承知。姫様は少し休みなされ」
琵琶の音色に一瞬、まどろんだ気がした。
―目覚めると、磐城の姿がない。
「かくよ。磐城は」
はんの真似をして、鎧をつけたかくは、夢中になっていた地図を見つめたまま、首を振った。
――磐城、磐城。あ奴、逃げたか。戦友と思っておれば―こころ頼りにしたのは間違いか―。
たっ、と足場に出て下界を見下ろし、磐城の姿を探した。
身をさらしたはんの太腿に、ひゅっと下から打ち上げられた矢が、そのとき刺さった。
激しい痛みに転がったはんの体を抱きかかえたのは、かくであった。
やはり、きょうだい――。
「弓の女武者、討ち取ったり」
「討ち取った―討ち取った―討ち取った―」
下界から、叫び声がこだました。敵の戦意が、急激に上がるのが伝わってくる。
この勢いでは、一気に押されて、落城であろう。
そして矢には毒が塗られていたか、膝から腰あたりまで妙な痺れが来ている。もう立てぬと知った。
「これまでじゃ。かく、お前は、逃げ―」
言ったはんの体を、かくが力強く背負った。
そしてかくは、一散にはんを背にしたまま、城の踏み段を駆け下りていった。
意外だった。
「かくッ」しがみついて叫んだ。
「アネサマ。突き破りますぞ」
「何と」
久々に聞いた妹の声は、戦意満々であった。
二人羽織のごとき姉妹の女武者が、粗末な城門を飛び出す。雑兵が驚いて問うた。
「姫様、いずこへッ」
「割岩の谷に、若殿様、お逃がしせよ」
かくが早口に答えた。
割岩の谷は、かくの幼少時からの、休み岩のある遊び場であった。
はんは驚愕し、納得した。
そうか、妹は、幼い時からひとり山野を駆け巡っておった。慣れたものか。
かくはまるで急流の木の葉のように、速い。
姉妹は森に走りこんだ。
待ち構えた敵兵が二人、「兜首ッ」と槍を向けた。背負われたまま、はんは相手の槍をつかんだ。
力任せに奪い、二人とも突き殺した。
さらに増えた追手を二人、はんがそれぞれ片手で地に叩きつけ、動かなくする。
「はん姫、かく姫――二人で一人とはッ――」
「おそろしや、はん、かくッ」
うめく敵兵の刀をかくが拾い、腰に差した。
かくは恐ろしい速さで駆け続け、疲れを知らない。
新手がきた。三人。
かくは駆けながら、すっと刀を背中の姉に差し出した。
ひょう、ひょう、とはんの白刃が円を描く。三人が、たちまち血を吹いて倒れ、谷底に転げ落ちる。
姉妹は、藪を抜け、広い山道に出た。
わぉっ、と怒号を上げて、騎馬と
姉妹は、取り囲まれていた。
「惜しい。が、手柄も惜しい、名も惜しい」
騎馬武者が言って、すらりと刀を抜いたとき、かくは山腹を這う蔓の一本をつかんで、ぐいと引いた。
どッ、と音がして大岩が斜面から転げ落ちてきた。
仕掛け罠であった。
悲鳴を上げた徒兵武者ふたりが、あえなく大岩に潰された。
かくが別の蔓を再度引いた。山腹から短い矢が無音で射出された。
うッ、と息を飲んだ騎馬武者は、矢を全身に受けた。
血を流して逃げ散る残りの徒兵の前に、抜き身を光らせた二人の男が立ち塞がった。
いつかの晩の若い男と、磐城であった。
徒兵たちは、瞬時にとどめを差されていた。
若い男が刀を収め、はんに一礼して言った。
「矢は
「えみし」
「当家の先祖が、蝦夷なれば。秘伝でござる」
若い男は、袖をまくって見せた。
華麗な文様の、刺青があった。
北越後は古来、先住民・蝦夷と日本の国境、前線である。その子孫が――とはんは合点した。
かくは、はんを降ろすと、刺青の男に飛びついた。
男が、かくを笑顔で抱き寄せる。
「家の立
「かたじけのう―」
武者が一騎、背後から走り来て、矢のように過ぎた。若殿であった。
すれ違いざま、「出羽に逃げる。お家再興」といったことを叫んだようだったが、今のはんにはもう、さほど関心のないことだった。
磐城が、はんを支えて、微笑で言った。
「全部、かく様のお考えよ。地形から、鎌倉勢が手薄になるこの山道を、最後の逃げ道と見事に読んで、仕掛け罠を用意しておいたそうな。こちらの若者に習うた兵法。わざとはん様たちには言わなんだとか。話は下手でも、まことに頭のよろしい、勇気もある妹様じゃ」
「かくが――」
「
「当たり前じゃ。私の自慢の妹じゃもの」
涙ひとすじ流しながら、はんはしっかりと、かくを抱擁した。
「皆がお前を軽く見ていると思うていたが、おまえを
かくは、やはり「アネサマ」と言ったきりであったが、顔は笑っているようであった。
落日となり、山城が火に包まれているのが、遠くに見える。
◇
毒矢の傷には、これも蝦夷秘伝の薬が塗られた。
かくを刺青の若者に託して別れ、はんは磐城と二人になった。
磐城は、はんを背負って、宵闇を進んだ。
この先のことは、打ち合わせていない。
つまらぬ雑兵は磐城が倒し、今や追手は、はんたちを見失ったらしかった。
「さて磐城」
「休まれますかな」
「こちらの具足が重かろう。外せい」
身軽になって岩の上に座り、はんはお道化半分に重々しく告げた。
「此度の戦の働き、まことに大儀。血路を開き、若殿様をお逃がし出来たは、貴僧の手柄」
「ははッ、勿体なき姫のお言葉」
磐城も、お道化半分に重く返す。
「褒美を下げ渡したい処なれど―あいにく落人の姫なれば、持ち合わせるものは何もない」
「お気遣い無用」
「そこで、やむを得ぬ。抱いて良い。許すぞ」
声が震えていなければいいのだが、とはんは思った。
黙った磐城に、はんは帯を解き、胸を開いてみせた。
せめて水を浴びておくべきであったか、とはんは慌てた。
磐城は、しばらくはんの裸体と瞳を見つめた。
そして、深く頭を垂れ、
「―いや、はや、まこと美しいものを見せていただき、この磐城、眼福。充分にござる」
「妹と違うて、美しゅうないか」
「否、背高の姫は、たいそう美しゅうござります。おなごは、皆それぞれに美しいのじゃ」
「色が黒うて―背が高うて―乱暴で―」
声が震えるのを、はんはこらえた。
「白い
「椋鳥が、美しいとは思わなんだ」
「拙僧、愚考いたしまするに―」
磐城は、優しく諭す表情であった。
「椋鳥が、白鷺の真似をすることはない。椋鳥らしゅう、思い切って生きれば、それでよい。黒い椋鳥がいれば、白い雪が美しゅう見え、白い雪が背後にあるから、黒い椋鳥が美しくなりましょう」
「そうじゃろうか」
「椋鳥の美しさは、椋鳥自身と、限られた人だけが、承知であればそれで良い」
「―そういうものか」
「世人が、
はんは、城が落ち、自分の箱も壊れたのだと思った。
頬の涙が、熱かった。
おうおう、と磐城が、それを指で拭った。
「姫は、名のある武将に降参し、そこからどこぞに嫁入りなされい。嫁入り前の姫に、何で拙僧、手を出せましょうや」
「そんなこと。どうせ、この首、落とされる」
「拙僧に任せい。椋鳥も白鷺に変える仙術、この磐城が心得ておりますれば」
「椋鳥、椋鳥と。磐城は、一言多いのじゃ」
はんはふくれ、そして明るい気分になった。
◇
はんを鎌倉に護送し、磐城は雲隠れした。
磐城の過去からすれば当然のことであり、また磐城は雲のような奴だから、とはんはすっきり見送った。
はんの戦は、磐城の言った通り、いつしかかくと二人で一人の扱いにされてしまい、はん・かく、はんがく、
巴御前と並び称される、美麗女武者の伝である。
はんは、将軍頼家の前に謀反人として突き出されたが、武勇が気に入ったという浅利義遠なる武将に助命され、そのまま嫁いだ。
物好きな、とはんは思ったが、浅利が、
「常陸、いやさ磐城坊とは、あれが浪々の身である時分の
と笑ったので、膝を打って合点した。
なるほど夫は、磐城と鷹揚さも機転も、よく似ている。はんは夫に好感をもった。
夏空の下、脚の傷を癒しながら、はんは屋敷の涼しい庭を眺める。
眼前に、狐が一匹、現れた。
「人間とは、不思議なものよ」という顔をして、狐はすいと、藪に消えた。
(了)
背高の姫軍記 椎橋用 @shiibash4
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