第125話 ルシエラ殿と正体と

「ヌオ!?」


 ルシエラ殿の背中から突如生えた漆黒の翼を見て、思わずワシは後退った。


 まさかルシエラ殿は“天使族”なのか?

 だが、“天使族”の翼は、純白であった筈だ。

 ルシエラ殿の“それ”は、蒼に近い黒であった。


「うふふ、貴方達はこの世界にどのような種族がいるかご存じですか?」

「……ええと、枝葉はありますが、大きくは人族、エルフ族、ドワーフ族、そして獣人族です」


 ライラが戸惑いながらも、ルシエラ殿の問いに答える。


「そうですね。ですが、この世界にはもう一つの種族が存在します」

「……“天使族”、か」


 ワシはポツリ、とその答えを呟く。


「あらあら、ご存じでしたか」

「あ、ああ、その、色々と、縁があって……だ、だがその、ルシエラ殿の“それ”は、“天使族”、とは違うと、思います……?」

「うふふ、ええ、そうですね。漆黒の翼は“堕天”の証、正神ソクラス様に反旗を翻した者の証です」


 ……どういうことだ?


 ルシエラ殿は正神ソクラスの真の教えを信奉し、そして、正神ソクラスを生涯愛し続けると誓っている程だ。

 そんなルシエラ殿が、果たしてそんな真似をするだろうか……いや、ないな。


 だとしたら。


「……“正神ソクラスに逆らった”ではなくて、“ソクラス正教に逆らった”、が正解なんじゃないですか?」


 あ! それ! ワシが言おうと思ったのに!

 ライラめ、手柄を横取りしおって!


「あらあら、よく分かったわねえ……ソクラス正教では、“天使族”は正神ソクラス様の使徒として仕えるに当たって、『清濁の雫』と呼ばれるものを飲むの。ただ、実際は正神ソクラス様ではなく、ソクラス正教に対する枷、という訳」


 ふむう、その叛逆に当たっての判定をどうやって行うのかは分からんが、そんな翼の色が白から黒に変えてしまうような代物、何か影響が出たりせんのだろうか。


「そ、それじゃ、その『清濁の雫』を飲んだら、何か悪影響が出たりするんじゃないんですか!?」


 だから! それもワシが言おうとしたのに! コノヤロウ! コノヤロウ!


「ええ、実は、“天使族”には神の使徒として特殊な力が宿っているの。それで、その力は“天使族”の翼に宿るんだけど、『清濁の雫』によって翼は漆黒に染まり、その力を封じ込められてしまうのよ」


 成程、だからルシエラ殿の翼は漆黒に染まっていた、という訳か。

 だが、ルシエラ殿は何故ソクラス正教を裏切ったのか。そして、『清濁の雫』についてルシエラ殿は知らなかったのだろうか。


「……ルシエラさん、お聞きしたいことがあるんですが、良いですか?」

「あらあら、私に分かることかしら」


 ぬう、ライラよ、またワシを出し抜く気か。

 仕方ない、寛大なワシは、敢えてライラを立ててやろうではないか。


「ルシエラさんはソクラス正教の教えは誤りで、その上で本当の教えを広めるため、ソクラス真教を信奉していることはお聞きしました。ですが、どうしても腑に落ちないんです……」

「あらあらええと、どういうことかしら?」


 ルシエラ殿はよく分からないといった表情で、頬に手を当て、首を傾げる。


「……だって、ソクラス正教の教えが間違っていること、初めから知っていましたよね? なのに、何故ソクラス正教に席を置いていたですか?」


 ライラのその言葉に、メルザ殿の頬がピクリ、と動く。


「……あらあら、どうしてそう思うのかしら?」

「ルシエラさん、言ったじゃないですか。“生まれてからずっと、ソクラス真教の信者だ”って」


 ん……? おお、そういえばそんなことを言っていたような言っていなかったような。


「あらあら、よく覚えてるわね」

「それは勿論。ルシエラさん、あんな表情をしてましたから。……それで、どうなんですか?」


 ライラがそう言うと、ルシエラ殿は観念したかのように肩を竦めた。


「うふふ。ええ、そうね。私はソクラス正教の過ちを知っていながら、ソクラス正教に属していたわ。まあ、その時は私も立場上仕方なかったというか……」

「それはどういう……?」

「あらあらごめんなさい、それ以上は言えないの」


 ルシエラ殿は人差し指を唇に当て、クスリ、と微笑んだ。


「……分かりました、じゃあ次の質問です。そんなソクラス正教のことを知っていたルシエラさんなら、『清濁の雫』を飲まないように避けることが出来たんじゃないんですか? なのに、何故飲んだんですか?」

「……あらあら、ライラさんって、本当に優秀なのね。敢えて理由を言うなら、ありきたりだけどソクラス正教に疑われないようにするため、かしらね」


 うーむ、何やら含みのある言葉ではぐらされた感じがするな。


「……分かりました。ありがとうございます」

「あらあら、もう良いの? それこそ、“天使族”についてだとか、そういった質問はしないのかしら?」


 質問に答える側のルシエラ殿が、何故か腑に落ちないといった様子でライラに尋ねる。

 そういえば、ライラはワシやパルメ大聖国に所属していたメルザとは違い、“天使族”のことは何も知らない筈。ならば、そのことについて尋ねるのが普通だ。なのに、何故……。


「……ええ。“天使族”については、うちのメルザにある程度話を聞きましたから」

「あらあら、そうなの?」


 ルシエラ殿は訝し気にライラとメルザを交互に見る。


「……ええ。実は私も元はパルメ大聖国の聖騎士隊に所属していたことがありましたので。その時に“天使族”のことは……」

「あらあらそうなの」


 ルシエラ殿はそう言うと、それ以上は二人に尋ねなかった。

 その代わり。


「だけど、シードさんは知りたいんじゃないかしら?」


 今度はワシへと矛先を向けてきた。

 だが、ワシも“天使族”については知っているのだが。


「……そそその、で、であれば、伺っても……?」

「ええ」


 だが、ルシエラ殿の心象を良くしたいワシは、敢えて聞くという選択肢を選んだ。ワシはあざといのだ。

 そして、ルシエラ殿は“天使族”について丁寧に説明してくれた。


 “天使族”には三十二人の“使徒”がいること。

 “使徒”は階級制になっていること。

 “天使族”は“祝福”と呼ばれる特殊なスキルがあること。

 “祝福”は、基本的に一人につき一つ有していること。


 だが、これ等の話はザドキエルを鑑定したり記憶を覗いた時などに分かっており、特に目新しい情報はなかった。

 そんなことを言うと説明してくれているルシエラ殿に悪いので言わないが。


「……という訳で、この世界では最上位の種族として位置しているわ」

「ふむ。し、承知した」

「あらあら、あまり驚かないのね」

「ああああのその、 “祝福”も、実際に、その、目の当たりに、しまして……」

「あらあらそうなの」


 ルシエラ殿は感心するかのように、ほう、と息を吐いた。


「うふふ、貴方達はこれからも“天使族”やソクラス正教と縁がありそうね。そのことで何か困ったことが起きたら、何時でも来て頂戴。何が出来るか分からないけど、少しは力になれると思うわ」

「その、ありがたい、が、あの……何故、そこまで良くして、くれる……の、だ?」


 ワシは不思議に思い、ルシエラ殿に尋ねた。

 だってそうであろう? ワシ達はルシエラ殿と今日知り合ったばかりだ。なのに自身の正体を明かし、尚且つ協力の申し出をするなど、普通に考えれば有り得ないのだ。


「あらあら、そんなの決まってるじゃない」

「?」

「貴方が、ギデオンとミミの大切な仲間だからよ」


 そう言うと、ルシエラ殿は微笑みながらウインクした。

 くう!? なかなか破壊力抜群である!


「うふふ、そういうことだから、今日のところは戻って、ゆっくり寝なさい。明日は早くに出発するんでしょう?」

「う、うむ、そ、そうだが……」

「また他に聞きたいことだったり何かあれば、王都の帰りにでも寄れば良いから。ていうか立ち寄りなさい」

「う、うむ」


 どうやら今日はここまで、だな。


「ではライラ、メルザ。ワシ達も戻るか」

「うん」

「はい」

「で、では、ルシエラ殿もい、一緒に……」

「あらあらごめんなさい、私はもう少し後に戻るわ。ほら、さすがに今日は、間違ってもギデオンやミミに鉢合わせしちゃうとまずいでしょ?」


 そう言って、ルシエラ殿は舌を出した。


「う、うむ。そそ、それでは、し、失礼、しま、す……」

「はい、おやすみなさい」


 そうして、ワシ達は孤児院へと引き返した。


「うふふ、あれが“あの方”が言っていた、シードさんですか……」


 ? 今、ルシエラ殿が何か言っていたような……。

 気のせいか。

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