第3話 顛末と出発と

「……ということで、魔界はルドラ様のものとなりました」


 ヴリトラは、今回の一連の騒動の顛末を説明した。

 といっても、騒動を引き起こしたのはワシであるが。


「うむ、ご苦労だった。ワシが仕組んだこととはいえ、母上とルドラめ……ヴリトラの提案に嬉々として乘って来おるとは、肉親であるワシをどう考えておるのだ」

「今更何を。邪魔者で敵で厄介者で童貞に決まってるじゃないですか」

「最後はお主の考え入ってるよな」


 しかし、これが実の母親のすることか。

 かと言って、ワシも母上に何か感情があるかといえば、今更ではあるのだが。


「しかも母上の奴、ワシが毒で倒れた際、全く慌てる素振りも見せないどころか、口の端を釣り上げておったぞ。どれだけワシのことが嫌いなんだ」

「それは仕方ないかと。大魔王様こそ、あれ程執拗に絡んでくるサラス様をまるで無関心なんですから。無視される格好となったサラス様からしたら、母親なのに馬鹿にされているとしか思わないでしょう」

「む、別に馬鹿にはしておらんぞ?」

「仮にも母親なのですから、サラス様を無視する時点で馬鹿にしているのと同義ですよ」


 ワシ、そんなつもりは無いんだけどなあ、興味ないだけで。あ、それがイカンのか。


 まあ、それは置いといて、ブリトラの奴には言わねばならんことがある。


「……しかし、ワシが倒れ込んだ時、お主、結構本気で蹴っただろ? 仮にもお主の上司に対して、正直どうかと思うぞ?」

「労働に対価を求めるのは当然です」


 なにコイツ、本気で怖いんですけど。


「そうそう、アンギラス公爵にも礼を言わねばならぬな。公爵が率先して先導役を担ってくれたお蔭で、こうもスムーズに事が運んだ訳だからな」

「ええ、アンギラス公爵様は大魔王様の提案を聞いた時、心底呆れかえっておられ、特にご苦労なされたご様子でしたので」


 アンギラス公爵は、ワシが大魔王となる際、最大の理解者であり支援者であった。

 というより、そもそも大魔王となる切っ掛けを作った張本人であるからな。

 まあ、大魔王となった後も魔界において最も発言力のあるアンギラス公爵がいたからこそ、何とか政を行うことが出来たのだけどな。

 とはいえ、張本人なのだから当たり前と言えば当たり前であるが。


「……まあよい。兎に角、ルドラと母上では魔界を治めるには心許ない。引き続き、アンギラス公爵と共に、魔界をよろしく頼む。何なら、公爵とお主で魔界を乗っ取っても構わんぞ?」

「何ですかそれ。此処まで苦労した私に対する罰ゲームですか?」


 冗談を交えながらヴリトラを労ったが、ヴリトラは心底嫌そうな表情を浮かべた。

 しかし、ワシに仕えてもう七年以上になるというのに、未だにワシを弄り続けよる。だが、正直どこかで一線を引かれてしまっていて、それ以上は踏み込んでは来ないのだが。


 まあ良い。ワシは気を取り直し、後ろへと振り替えった。


 ——常世の門


 その見上げるほど大きな門は、魔界と人界を結ぶ門である。

 この門は大魔王城の裏手にあるが、その存在は秘匿されており、知っているのは先代から引き継ぎを受けた歴代の大魔王のみである。


 そして、過去にこの門をくぐった者は、一千年前の大魔王唯一人。


「……いよいよか」


 ワシは、この一千年前のご先祖様が著した本である『人界の歩き方』と、そしてワシが人界へと渡る決意をした切っ掛けとなった『ご先祖の日記』を握りしめながら、思わず武者震いがした。


 本来、この門を開くことは喩え大魔王であっても禁忌とされており、おいそれと門を開けることは出来ない。

 だが、既に大魔王ではないワシには関係がないもんね。

 しかも、この門の存在を知るのは、この魔界では元大魔王であるワシとこの場にいるヴリトラ、それにアンギラス公爵だけである、最早この門をくぐることに何の障害も無い。


 今、ワシはこれから始まる人界での新しい世界に年甲斐もなく胸を震わせていた。

 なんだろうこれ。十四歳の時みたいにドキドキするんですけど。


「いよいよあれ程憧れた人界へと行けるのだな! うむ! いざワシの冒険譚の幕を開けるのだ!」

「只でさえ存在自体が迷惑なんですから、向こうでは程々にしてください。それと、くれぐれも人界のご婦人方に迷惑をかけませぬよう。ぶっちゃけ恥ですから」

「最後くらい優しい言葉を掛けて欲しい。それと、紳士であるワシに女子に迷惑を掛けるなとはどういう意味だ?」

「言葉通りです。私もその『人界の歩き方』を読みましたので、大魔王様の目的も承知しております。特に、”英雄”と呼ばれた冒険者、とりわけ複数の女性と浮名を流した者達についての項目だけ、折り目と、やたらと紙がすり減っておりましたので」


 な!? 此奴、ワシの真の目的を知っているというのか!?


 思わずワシは、辛辣な忠告を投げ掛けるヴリトラを睨んでしまった。それは、ヴリトラの忠告は真実であると暴露したようなものである。

 だが、仮にもワシは魔界史上最強と謳われた大魔王である。これしきの窮地、凌ぎ切ってみせようぞ!!!


「……ほほう、ヴリトラ、お主は勘違いしておるようだが、そもそもワシ程の男となれば女子に不自由などせんし、女子に現を抜かすような真似はせん。”冒険者”、そして”英雄”とは、もっと崇高なものだ。それこそ邪推というものよ」

「大魔王様、見苦しいですね。ですから”童貞”は駄目なのです」


 ウグッ!? い、いや、童貞関係なくない!?


「……はっはっは、面白い冗談だ。まあ、お主は知らんからな、ワシこそ魔界随一の”リア充”であることを!」

「”リア充”って、何ですかそれ?」

「知らんのか? つまり……」

「ああ、はいはい。別に興味ないので説明は結構です」


 えー……ワシ、説明したかったのに。ノリ悪い。


「そういえば話は変わりますが、大魔王様のベッドの下から何やら薄い本が何冊か置いてありましたが。風が吹けば飛んで行きそうな大魔王様の意中の女性は、人界には持って行かないんですか?」


 し、しまったあ!? 回収しとくの忘れてた!

 だ、だが、これ以上はワシのメンタルが持たん。仕方ない、ワシのコレクションの数々は諦めるとしよう。

 それに、代わりに人界の女子達に慰めて貰えば良いし。あと、本は彼女じゃないし。


「む、そろそろ人界に向かうとするか!」

「大魔王様、話を逸らさないでください。私の話はまだ終わってはおりません」

「お主、ワシを苛めて楽しいか?」

「はい、楽しゅうございます」

「マジデ?」

「マジデ」


 駄目だコイツ。


 そう感じたワシは、急いで人界に行くことを決め、全力で魔力を込めて門を押し込んだ。

 しかし、結構な魔力を注ぎ込んでいるが、門はピクリとも動かない。


「なかなかキツイな……」


 魔力を半分程消費したところで、門はやっと少しずつ開いて行き、全て開門すると、そこには暗黒の空間が現れた。

 そして、その空間はこの世の全てを飲み込むかのような、禍々しい瘴気を放っていた。


「……この向こうに、ワシが求める人界が……!(“リア充”が! ハーレムが!)ヴリトラよ、それでは行ってまいるぞ!」

「お待ちくだされ」


 折角この興奮が冷めやらぬうちに向こうへ飛び込もうをしたのに、相変わらず空気を読まん奴だ。

 ワシは深く溜息を吐き、ヴリトラを見やった。


「……まだ何かあるのか?」

「はっ! 童貞で二次元の女性しか知らない大魔王様のために、人界で必要となるご婦人方への貢ぎ物のための資金として、魔界の宝石をご用意しました。人界に行かれたら、先ずは人界の貨幣に換金されるのがよろしいかと」

「うむ。ともあれよくぞ気が付いた、礼を言おう。それと二言余計だ。誰が童貞だ」

「事実ですから」


 ワシは憎々し気にヴリトラを睨み付けると、宝石の入った袋をひったくった。

 

「【収納】」


 目の前に出現した黒い穴に、ワシは宝石の入った袋と二冊の本を放り込む。

 そして、改めて常世の門へと振り返り、ゆっくりと近付いて行った。


「今度こそ行って参る……止めるなよ?」

「振りですか?」

「違う」

「畏まりました。では、お気をつけて」


 此奴は最後の最後まで……。


 ワシは、深々とお辞儀をするヴリトラに見送られ、その暗黒の空間に足を踏み入れる。


「さあて、それでは人界へ参るとするか」


 そう呟くと、体が吸い込まれ、ワシは魔界から完全に姿を消した。

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