序章③ ~物語の最初の終わり~

マスターのバーで熱唱したあの日から、もう20年もの年月が過ぎた。

人生とは、無為に過ごせばこれほど時の流れが速いのかと、思わずにはいられない。


俺は相変わらず、半ばルーティンと化した事務仕事をこなし、休む日はしっかりと休み、残業なんかは出来るだけやらない、末端の会社員を続けていた。

当然、定期的に人事異動があるので、ずっと同じ部署で働いていた訳では無いが、やるべき事は大概一緒だ。

もういい歳なのでそれなりの役職には就いているが、あくまでもそれなりの中間管理職である。

やる気は無いけどとっつきやすい上司として、部下たちからはそこそこ慕われている。


ヒロ失踪の話を聞いた翌年、祖父が難病を患い、その後祖母まで寝たきりになった。

地方では介護が充実してる訳でもなし、俺は介護に追われる身となった。

ブラック労働拒否宣言をし、出世コースから外れたのも丁度この頃だ。

闘病10年近くを経て祖父が他界し、その後を追うようにすぐ、祖母も旅立った。

祖父母の土地家屋は俺が受け継ぐ事となり、やっと家の整理がついた頃には、すでに40半ばを過ぎていた。


完全に結婚のタイミングを失ってしまった。

長い人生の中で、女性とはそれなりの付き合いや経験もあった。

しかし、もれなく老人介護付きとなる家に嫁を招く気は毛頭なかったので、そのカタがつくまではと意図的にそれらをシャットダウンしていたのが現状を生んだ。

とにかく、今頃探し始めてももう遅い。

だからこれからは、誰の面倒も気にする事無く、好きなように生きていこうと思う。

老後の心配というのなら、今のうちに出来るだけお金を貯めて、家政婦でも雇えばいい。

何ならボケが来る前に、土地家屋を全て売り払って老人ホームにでも入り込んでしまえばいいし。

自分もいつ老いるかわからないのに、老後の心配のために嫁を迎えるなど、相手に失礼だ。


ヒロはいまだに見つからない。

生きているのか、死んでいるのかすらわからない。

ヒロが好きだったのは、音楽とバイクとイチゴチョコ、そして山のある風景。

日本全国の山を尋ね歩いて行けば、どこかでヒロに会えるかも知れないと、ここ数年ほどは休みの日に遠出をするのが趣味のようになっていた。

ついでに風景画を描いてくるので、我が家の中はちょっとした画廊のようになっている。


・・・そしてまた、年末がやってくる。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「おつかれさまー。来年もよろしくー」


「みんな気をつけてね。 良いお年を」


店の出口で、各々が挨拶を交わし帰路につく。

若手たちは、いくつかの仲良しグループに分裂し二次会に突入するようだ。

俺はもう、二次会にお邪魔する事も、お呼ばれする事も無い。

歳のせいか、はたまた若い頃に粋がって吸っていた煙草のせいか、昔よりも発生音域がかなり狭くなった。

全盛期の頃より1オクターブ以上は出なくなっている。

祖父が病床に伏せる前、俺は酷く喉を痛めて入院したことがあって、それ以来きっぱりと煙草を止めている。

きっとそのせいもあるのだろう。

それからは一度も、人前で歌を歌った事は無い。


午後から降り続いていた雨は、忘年会をやっている間に止んだらしい。

今年は異常気象らしく、今夜この地方には、凄まじいほどの寒波が到来していた。

道行く人たちはみんな肩をすくめ、両手をポケットに突っ込んだまま足早に歩いている。


俺は一人、徒歩で帰路についた。

足下では時々、パキパキと薄氷を踏み抜く音がしている。

滅多に雪も降らないこの地域で、年末に路面凍結とか普通じゃない。


足下が奏でるリズミカルな音に聴き入りつつ、街灯がまばらな夜道を一人『サイモン&ガーファンクル』の名曲『明日に架ける橋』を口ずさみ歩く。

脳裏に浮かぶ若かりし頃のヒロに(お前は今も元気なのか)と、心の中で問いかけながら。


When you’re weary

Feeling small

When tears are in your eyes

I will dry them all


君が疲れ果て

肩を落とし涙ぐむとき

僕がそれを全て拭ってあげる


I’m on your side

When times get rough

And friends just can’t be found


君がつらいとき

君を助ける友がいなくても

僕はいつでも君の味方だよ


Like a bridge over troubled water

I will lay me down


荒海にかかる橋のように

僕が身を置き支えとなるよ


When you’re down and out

When you’re on the street

When evening falls so hard

I will comfort you

I’ll take your part

When darkness comes

And pain is all around


君が落ちぶれ路頭に迷い

夕暮れが絶望を運んできても

暗闇が苦痛を満たした時にも

僕がきっと君を癒してあげる


Sail on Silver Girl

Sail on by

Your time has come to shine

All your dreams are on their way

See how they shine, oh


さあ、帆を張り船を出そう

光輝く未来に向かって

君の夢はきっとその先にある


If you need a friend

I’m sailing right behind


もし友が必要ならば

僕の船はすぐ後ろにいるよ


Like a bridge over troubled water

I will ease your mind


荒海にかかる橋のように

君の心を和らげてあげる



そのとき、進行方向の150m先あたりにある交差点を、ものすごい勢いで曲がってくる車が一台。

少し遠くから、パトカーのサイレンが聞こえる。

フラフラッと蛇行しながら、俺の横を通り抜けようとしていた車が、突然横にズレた。

片側一車線道路を斜行するように、俺が歩いてる場所とは反対側へと、吸い込まれるように突っ込んでいく。

冬山でよく見るスリップ状態だなと脳天気に考えているうちに、車は俺の反対側にある縁石に乗り上げた後、吹っ飛んだ状態で電柱に激突し・・・こちらに向かい激しく横転しながら跳ね返ってきた。


逃げようと身を翻すが、すでに遅い。

背中から襲いかかってくる、凄まじいまでの衝撃。

予想外のダメージに、思わず息が止まった。


体全体が痺れた感じになってて、体を動かそうとしても、動けているのかどうかわからない。

自分の体が、熱いのか冷たいのかすらもわからない。

目の前は真っ暗で、目を懲らそうとしても何も見えない。

少し遠くから人のざわめきと、微妙にテンポの違う何種類かの緊急車両が奏でるセッションが、妙に耳に残った。

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