割の良い仕事
毎朝顔を合わせる
よくある物語では大概の場合、特別な患者との接触やコミュニケーションは禁止されているものだが、ここでは宇佐美との接触や会話は特に禁止されていなかった。宇佐美の部屋も特に施錠され監禁されているわけではなく、宇佐美は望んでここに居るということがあなたにも分かった。自殺の噂を聞いたから、とあなたが前任者の話を聞くと、宇佐美はいろいろと思い出話をしてくれた。
——最初の人は53歳のおじさまだったの。とってもわたしに優しくしてくれた。おじさまには同じくらいの年齢のご息女が居るって言ってたわ。この研究所の所長って言ってたのよ。ある日、おじさまはわたしに飴をくれるって言ったの。だから部屋に入れたわ。次の日も、その次の日も、おじさまはわたしに飴をくれた。おじさまはベッドに座っているわたしの隣に腰かけて、いろいろと話してくれるようになったの。奥様との不仲とか、ご息女にも嫌われていて、家に居場所が無いこととか...。わたし、おじさまがとってもかわいそうだった。わたしがおじさまを心配して不安げな顔をしていたら、おじさまはわたしの肩を抱いて、心配要らないって言ってくれたわ。もちろん、おじさまは何かしたわけじゃないけれど、この部屋を映した映像から、おじさまが患者に特別な感情を抱いているんじゃないかということが問題になっておじさまはこの研究所を辞めちゃったって聞いたわ。最後、あいさつに来たおじさまはすごく寂しそうだったわ...。辞めた後、おじさまが自殺したって聞いてすごく驚いたのよ。葬儀で奥様とご息女がとても悲しんでいらしたって職員の皆さんもとても悲しそうだったわ。
――次の人は35歳の綺麗なお姉さまだったの。お姉さまには婚約者がいて、この研究所で働いているって言ってたわ。お姉さまはこの仕事は”割が良い”って言ってたわ。給与はそんなに悪くないし、楽な仕事だって。やることって、そんなに無いから、よくお姉さまの愚痴とか、悩みを聞いてたわ。友人への不満、この島や生活の不満、結婚への焦りとか...お姉さまはよく、”あなたってとっても綺麗ね”って言ってくれたわ。わたし、とっても嬉しくって”お姉さまも綺麗よ”ってよく言ってたの。ある時、急にお姉さまは恋人と別れたって話をしてきたの。わたしはどうして?って聞いたわ。お姉さまは何も言わなかった。次の日、お姉さまは友達とも縁を切ったって話をしたの。わたしはまたどうして?って聞いたわ。やっぱり、お姉さまは何も言わなかった。お姉さまは、わたしとどこかに行ってしまいたいって話をするようになったわ。その後、何日もしない内に、お姉さまはこの仕事から外れたって聞いたのよ。どうしてか、わたしにはわからなかったわ。担当を外されてすぐ、お姉さまは自殺したって聞いたわ。とっても悲しかった...。
――3人目の人はお姉さまの恋人だった人だったの。彼はわたしをとても憎んでいたみたいだったわ。初めのころ、酷く罵倒されたわ。わたしは悲しかったけれど、お姉さまのこと、知ることができるならと思って、彼と頑張って話をしようとしたわ。彼は相変わらずわたしのことを憎んでいたみたいだったけど、少しずつお姉さまのことも教えてくれた。お姉さまはある時急に彼を別れを告げてきたと言っていたわ。”本当に好きな人に気付いてしまった”って...それが誰のことかは言わなかったらしいけれど、彼はわたしのことだと思っていたみたいだったわ。わたしは、彼に謝り続けたわ。悪いことをしたわけじゃなかったけれど、なんだか、彼に悪くて...。彼はある日急に、もう謝らなくていいって言ってきたわ。”君が悪いわけじゃないことは初めから分かっていた、もう許すから”って。その日の夜、彼はわたしをこの研究所から逃がそうとしたわ。わたしはそんなことしなくていいって言ったのよ。けれど、彼は”ぼくと彼女の望みだと思って、僕がずっと守るから、誰にも渡さない”と言っていたわ。でもすぐに発覚したわ。わたしは敷地の外に出ることも出来なかった。彼はすぐこの研究所を解雇されて...その後自殺したって聞いたわ。
――暗い思い出ばかりで、ごめんなさい。あなたは、そんな風にならないでね?
宇佐美は悲しげな顔をしながら話を締めくくった。3人が何故自殺したのか、あなたにはよく分からなかった。いくら宇佐美が端正な顔立ちで好きになったからと言って、二度と会えないくらいで自殺するものだろうか?とあなたは疑問に思った。ただ、詮索や疑問は余計なトラブルのもとになる。あなたは3人のことを
宇佐美には時々、実験が行われることになっていた。実験の内容は知らされることは無かったが、別室で行う場合もあれば、観察室で行う場合もあった。
――クレープは生クリームたっぷりのチョコバナナが好きよ。アイスクリームはチョコミント。和菓子ならわらび餅。ケーキはフルーツケーキが好きよ。あなたは?...そう、クレープはマ...
宇佐美と話をしていると、会話を遮るように白衣の研究者たちが入ってきた。宇佐美は少し緊張した面持ちで説明を聞いている。今日は運動能力のテストをするということらしい。宇佐美は吸盤の付いたコードをなにやら体中に付けられて、ランニングマシーンみたいなものを一生懸命走っていた。研究者たちは大袈裟な機材でひとしきり測定を行うと、そそくさと部屋を出て行った。宇佐美はすこし息を切らしながら、ベッドに腰かけて口を開く。
――会話邪魔されちゃったね。部屋にぞろぞろ入ってきて、”測定中もクレープの会話は引き続きどうぞご自由に”って言われてもできないよね~!
そう言いながら、宇佐美は屈託のない笑みを浮かべていた。
――じゃああなたの好きな音楽の話は?...音楽は聞かない?そう...クラシックなら聞いたことあるかしら?わたしは、流行ってるのも好きだけど、クラシックも好きよ。詳しいわけじゃなくてね。聞くのが好きなの。あなたって、あんまり趣味がないのね。わたしは好きなもの、たくさんあるわ。人に自慢できるようなものはないけど...。あなたとお話するのも好きよ。
宇佐美はいつも、なるべくポジティブな話をしようとしているようにあなたには思えた。こんなある意味囚われの身でも、見た目が良いと楽しく過ごせるものだろうか?それとも空元気というやつだろうか?とあなたは思った。こんなにも屈託がないと、心の底から嗜虐心がむくむくと頭をもたげてくる。あなたは宇佐美に”嫌いな事は無いのか?”と聞いた。
――嫌いなこと?そうね...痛いこと苦しいこととか、悲しいこと、かしら...あと辛いものと酸っぱいものは苦手だわ。なあに?わたしにそういうことするつもりなの?以前、そういう実験もあったけど、すぐ禁止になったわ。苦痛を与える実験は人道に反するからって。
宇佐美は不安げにこちらを見つめている。あなたは”そんなことはしないよ、ただ気になっただけ”と言った。宇佐美は安心したようだった。そして、あなたが初めて宇佐美に興味を持ったことを喜んでいた。仕事内容に比較してずいぶん割の良い仕事だったが、なるほど、確かにこんなことが会話の中で普通に出てくるようでは、担当がころころ変わっても困るし、自殺の噂までも立っているようでは離島で人を集めるためにも給与もあんなに高くせざるを得ないというわけだとあなたは思った。もしかするとこうしたコミュニケーションや接触も”実験”や”監視”の一部かもしれないという考えもよぎったが、余計な詮索はトラブルのもとだ。あなたはすぐにその考えは捨てることにした。
更に数日が経った日。志願者がようやく現れたということで、美形症を感染させる実験が行われることになった。その志願者は美形症の噂を聞きつけて、"美しくなる"ためにここに来たということだった。仕切り窓の向こうに志願者の女が入ってきた。女はあなたが仕切り窓の向こうにいるのが不安げな様子だ。実験が始まるまですこし時間があるから、と宇佐美は女と話はじめた。会話を聞いていると、女は30歳、婚約者に自分より若い女と浮気され、婚約破棄されたらしい。この実験に参加した動機は、”綺麗になれば、あの男を見返せるから”だった。あなたは、しがらみなんて持つからそんな目に合うんだと思った。そして、女の程度の低い”復讐”も不快に思えてならなかった。宇佐美は一生懸命女の話を聞いている。その内、研究者たちが入ってきて、実験が開始された。感染がどのように進んでいくのか、あなたにはよく分からなかったが、とにかく実験は成功したようだった。美形症に感染した女は、時間の経過とともに宇佐美と同じ見た目になっていった。1週間もするとどちらが宇佐美なのか見わけがつかない程だった。変化とともに女にも蘭様の部位が生えてきた。宇佐美とは違い、頬から発生してきた。女は宇佐美と”同等の見た目”になったことを喜んでいた。
志願者が”感染実験”を許可される条件は割合厳しい条件らしい。宇佐美とは別棟へ行ったようだが、実験への参加義務やら、外出禁止やら、いろいろと制約があると聞いた。宇佐美へ実験を行っている研究者と宇佐美の会話を聞いた限りでは、別棟に移されてしばらくした後、容姿が宇佐美とは異なる見た目に変わったということだった。理由は定かでは無いらしいが、端正な容姿だということは同様だという。宇佐美は見た目の変化で女が悲しんでいないか聞いたが、相変わらず女は気にしていないということだった。(ちなみに、元婚約者は一度面会に来た後に自殺したらしい。それらしき人物の自殺が事件として新聞の端に載っていた。)
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