胡蝶蘭が咲く

QAZ

美形症

 受付にいくと、受付の女が俯いたまま何か書き物をしている。受付の女に指示されるまま、書類を出す。


 ――まず最初に説明がありますので、担当者が来るまで斜向かいの応接室でお待ちください。


 受付にいるこの仏頂面能面、爬虫類、もしくは死人...人形のほうが幾分マシな女はそう言って、相変わらず俯いたまま、指を指した。その方向には、”応接室”と書かれたドアプレートが金色に輝いていた。ドアハンドルを引くと、扉は物音ひとつ立てずに開いた。中に入ると、3人掛けくらいのソファと小さなテーブルがある。壁には風景画、部屋の隅には観葉植物、扉の正面は採光のためか、景色を見せるためか、大きな窓があり中庭が見えている。あなたは早速、埃一つないソファに座り、スマートフォンを弄る。画面をスワイプすると、SNSアプリに通知が幾つか来ていた。適当にメッセージを飛ばしたり、お気に入りをチェックしたり...。


 あなたはどこにでもいるような、ごく普通の一般人だった。ごく普通に学校を卒業し、ごく普通の企業に就職し、今日まで、ごく普通の人生を送ってきた。おそらくはこれからもそうだっただろう。あなたはこの人生に退屈していた。この人生の退屈をどうにかしたいと思っていたあなたは、ある時この研究所の求人広告を見つけたのだった。

 この研究所はあなたが聞いたことも無いような名前の島にある。求人広告には無資格・年齢問わず・高待遇の文字がでかでかと書かれていた。よほど人手に困っているのか、未経験・初心者大歓迎などと書かれていた上、応募してから採用までほとんど試験らしい試験もなく、面接も5分程度であっという間に採用が決まってしまった。来れるなら可能な限りすぐにでも来てほしいということだったので、あなたは早々に少ない荷物をまとめてこの島にやってきたのだった。

 長旅を終えて船を降りると、”島”というイメージに相応しい小さなしょぼい港があり、入江の向こうにこれまた小さなしょぼい町が見えた。澄んだ空気、広い空、青空と島の緑のコントラスト。町のさらに向こうには、この自然豊かな島には不釣り合いな大きな病院が見える。港の管理小屋の傍には大きな看板が建っていて、”ようこそ研究所職員のみなさま あなたがたは島民のきぼうです”と書かれていた。研究所が島の経済に大きな恩恵をもたらしているのは確かなようだ。研究所の職員が流入することで、町は様々な需要が増え、舗装されたばかりの道路沿いにはたくさんの建設現場が立ち並んでいて、建設作業員が汗だくになりながら建設資材を運んでいた。建設作業員も警備員も、周辺の住民も、この島の人間はみんな笑顔同じ顔だった。あなたが働く研究所は、港から見えた大きな病院に併設されていた。敷地内には寮があり、そこの一室が与えられた。ベッドにクローゼット、テレビがあるだけの簡素な部屋だが、食堂やコインランドリーなども敷地内にあり、生活に困ることはなさそうだった。

 

 暇つぶしに引っ越ししたことをSNSに投稿した。反応はそこそこだった大してなかった。友人はいないというわけではないが、多いというほども居なかった。今までの生活でも、しがらみというしがらみは殆ど無かった。たぶんこの島でもそれなりに友人や知人が出来、そしてまた生活に退屈したらどこかへ去っていくのだろう。そんなことを考えていると、扉が開いた。扉の向こうからは資料を持ったスーツ姿の男が入ってきた。どうやら受付で聞いた”担当者”のようだ。


――ここであなたには、北棟の患者の観察と、その結果の記録係を行っていただきます。ここでの仕事内容については外部に決して漏らさないように。それから給与体系と各種の届出については...――


 仕事内容、就業規則、施設内の案内...案内係のその男は相当忙しいのか、自己紹介もせず来るなり足早に様々なことを説明した。最後に案内と規則が書かれた百科事典みたいに絶対に誰も読まない分厚いマニュアルを渡された。”じゃ、早速”とすぐに部屋から連れ出され、更衣室で白衣を身に着けるよう指示された。服の上から白衣を羽織るか羽織らないかもしない内、”じゃ、次は”と急ぎ足で北棟に連れ出される。研究所内は空調によって外よりずっと涼しいのだが、案内係の名前も知らない男の首筋には汗が伝っている。案内係汗だくの男はハンカチで汗を拭いながらずんずん廊下の奥へと進んでいく。”じゃ、ここで”と案内された部屋の扉には”観察室”と白いドアプレートが付いていた。やはり扉は音もなく静かに開いた。


 部屋に入ってまず目に入ってきたのは大きな仕切り窓だった。白い壁、白いカーテン、ベッドに、小さな椅子、床頭台...採光用の窓は無いが、見た目はほとんど病室だなとあなたは思った。部屋を見回しながら、あなたはベッドに腰かけた。

 あなたは仕切り窓へ目をやった。仕切り窓を挟んで向こう側にはほとんど同じ造りの部屋がある。一つ造りが違うところは、向こう側の部屋からは中庭を眺められる窓があることくらいだ。なるほど、悪趣味にもこの仕切り窓から患者を観察しろというわけだとあなたは思った。向こう側の部屋には少女が椅子に座ってあなたを見ていた。この子が"患者"、観察対象のようだとあなたは思った。あなたは、先ほど手渡された分厚いマニュアルを開き、目次から”患者”の情報が書かれた箇所を探しページを捲った。少女に関するページは余白の多いプロフィールが書かれたもの1枚だけだった。

 マニュアルを見て、あなたは”患者”の名前は神志名 宇佐美(かしな うさみ)ということが分かった。いつの間にか宇佐美はベッドに腰かけて、あなたを見ていた。名前の他には、世にも珍しい奇病、美形症に罹患した世界で唯一の患者であること、この研究所のある島の中を彷徨っているところを保護されたということ、宇佐美のことを知る人物は島にはいなかったこと、身分を証明するものを持っておらず、記憶も失っていたということなどが書かれていた。

 あなたが案内係の汗っかきな男から説明された話では、美形症は"美しくなる病"と呼ばれているらしい。美形症はまだ公にはされていない研究途上の奇病で、この病に罹った患者は、その容姿がどんどん美しく、魅力的になるのだと言う。証拠と言わんばかりにプロフィールには保護当時撮影されたという宇佐美の写真が載っていた。写真の少女は宇佐美とは似ても似つかない、確かにお世辞にも端正とは言い難い顔立ちだ。なるほどこの写真の少女と、今目の前にいる宇佐美が同一人物だとすれば、この”患者”は実在するということなのだろうとあなたは思った。とはいえ、今日来たばかりのあなたには全く俄かには信じ難い話だった。

 あなたは仕切り窓から改めて宇佐美を眺めてみた。宇佐美はいつの間にか立ち上がってあなたを見つめている。端正な顔立ち、大きくも小さくもない身長、大人とも少女ともつかない肉付き、透き通った白い肌。肩より少し長く伸びた漆黒の髪は光沢を帯びている。宇佐美の肌も髪色も、白い患者着に良く似合う。ただ一つ、一般的な人間と外見上異なっているのは、宇佐美の首元から生えた白い蘭の花...のようなものだ。あなたには、そして宇佐美自身にもそれが植物であるのかすら分からなかった。その”白い蘭”には葉に当たる部分は無く、茎と花弁に当たる部分が、宇佐美の身体に巻き付いて、患者着の下にまで入り込んでいる。ふと、あなたと宇佐美の目が合った。仕切り窓越しに、あなたは”こんにちは。はじめまして”と宇佐美に話しかけた。宇佐美は屈託のない笑みを浮かべながら、”はじめまして”と言った。

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