美しき人々

 伝染の志願者の存在は、美形症の研究を加速させていった。1人成功すると、噂は一人歩きするものだ。一応は極秘裏に進められていたらしいが、島の人間の中から一人、また一人と志願者が来るようになった。誰もが皆、症状を発症すると喜びに満ちた表情になった。宇佐美はそのことを喜んでいるようだった。いずれも、宇佐美の近くに一緒にいる間は同じ容姿でいるものの、離れた場所にしばらくいると、別な容姿に変わっていった。

 美形症が何故人々の容姿を"美しく"するのか、いくつかの結果から研究者たちが導いた仮説は、感染者の周囲にいる人間の意志・価値観が、その容姿に反映されるというものだった。条件は今一つはっきりしないようだったが、どのような場合にせよ、それぞれの美形症患者はその周辺では”最も美しい”と評されているのは確かだった。志願者が増えても、どのような経路で感染しているのかは不明だった。蘭様の部位が関係があるらしいということは予想されていたようだが、宇佐美以外には伝染力が無いということが分かった。宇佐美以外からは伝染しないことが分かると、感染者の要望から彼らを研究所内に拘束することが難しくなると同時に、志願者はさらに増えるようになった。また、この人体実験を極秘裏に進めていたことで、研究所はこの奇病を公表する機会を逸してしまった。島民たちは施設が問題視されることを恐れ、情報を外部に漏らさないよう結託した。美形になる以外に症状の無いこの感染症や、島民たちの不満を抑えるために積極的に感染に協力する研究所の存在は、島民たちや、これらを目的として外部からやってくる人々にとっても都合が良く、これらの”わるいこと”いけない実験が明るみに出ることはなかった。

 美形症の特徴が少しずつ判明してくると、女だけでなく男も次々に志願し、感染していった。男の動機も、女たちのそれと大差は無かった。皆誰かに裏切られ、苦しみ、悲しんだから、今の容姿を捨てたいということだった。あなたは相変わらず、要らぬしがらみを持つからだと思ったが、容姿を捨てたいという気持ちが、しがらみを捨てたいという訴えに思えて、多少の同情を感じた。患者達は皆、口々に美貌を手にしたことを喜んだ。あなたからすれば、差異はあれど全員同じような顔立ちになったことなど、意に介す者はいなかった。宇佐美は皆が喜んでいることを素直に喜んでいたが、あなたが彼らに同情的な感情を抱いていることに気が付くと、あなたのことを心配そうに見つめてきた。あなたは宇佐美に”心配要らないよ。宇佐美が悪いことをしているわけじゃあ、ないんだから。”と言ってあげた。宇佐美は”そうね...”と一言だけ返した。

 美形症は様々な”いいこと”を島にもたらした。まず、治安がとても良くなった。容姿が良くなっただけで、争いごとが無くなった。男女問題もなくなった。ほとんどの人が自分が望む容姿の相手をパートナーとして得ることができた。仕事にも困らなくなったし、容姿が良いだけで島の外の人たちとも円滑に仕事が進むようになった。ストレスが無いから病気も減った。事故や事件がまったくなくなったわけではなくて、宇佐美を好きになってしまった人たちの自殺のような事件は相変わらずあったし、徐々に広まりつつある美形症の人々に反発する”自然派”の人々との衝突だとかも多少はあったらしい。もっとも、”自然派”の人々は殆どがこの島の”仕事”実験に携わっており、口を噤んで住み続けるか、島から離れて普通の暮らしに紛れていくか、どちらかだったようだ。

 そんな風に島が変わっても宇佐美とあなたの関係は変わりなかった。今日も宇佐美は椅子に座って中庭を眺めながらあなたと話しはじめた。


―—最近、島も平和になったよね。だんだんわたしと同じ症状の人たちが増えて、いろんな良いことが起こってるみたい。わたし、少しはみんなの役に立てたかな?


 宇佐美は珍しくあなたと目を合わせない。あなたは”そうだ。役に立ったよ。”と言ってあげた。


――でも、わたしは”感染源”だから、外には出れないよね。みんな、美形症にかかったらわたしも外に出れるのにな~、なんて。無理だけど、ね。


 あなたには意外な発言だった。今まで宇佐美は望んでここに居るのだと思っていたからだ。”外に出たかったのか?”とあなたは聞いた。


――少しだけ、ね。わたしの仲間たち、とっても楽しそうだし、ちょっとうらやましいかな。今までも、本当は外に出たかった。けど、わたし、病気だし、わたしが外に出たいっていうと、みんな無理しちゃうから。言わないようにしてたんだ。あなたはわたしと一緒に居ても、大丈夫みたいだから。


 あなたは少し考えて、”外に出そうか?”と言ってみた。


――ううん、わたしはあなたが居て、ここで話してくれたら十分よ。


 宇佐美はそう言って、ベッドに横になってしまった。あなたはこの発言が映像に記録されていることを思い出したが、特に気にすることもなかった。もしかしたら解雇されるかもしれないと思ったが、その後も特にそういうことは無かった。たぶん宇佐美がここに居るといったから、あなたが居たほうが良いと判断されたということだろうとあなたは思った。宇佐美以外の人間と付き合う必要がない今の状況は余分なしがらみも退屈もなかったから、そのことはあなたにはとても好都合だった。

 島の人々は表向き争いごとが無くなったとは言え、あなたにとってはとても不愉快な存在だった。自分のしがらみを捨てるために容姿を捨てる、簡単にしがらみを捨て、また別なしがらみにしがみついているように見えた。もちろん多少の同情心はあったが、宇佐美のところに来る人間たちは誰もが醜悪な人間らしい人間たちだった。宇佐美の屈託のなさはそういう毒気が無くて、あなたはある意味、人間味が無いと思った。こんなにも長く一緒に居て、気が楽だと思ったことは初めてだった。

 ベッドに横になった宇佐美の顔を覗き込む。彼女は眠ってはいなかった。”君と一緒に居れて僕は幸せだ”と言おうと思ったが、言葉にして問題視されるのは面倒だったのでやめた。宇佐美はそんなこと、言わなくても大丈夫よ、と言いたげにあなたの目を見て微笑んだ。

 その後も”感染志願者”は増える一方だった。何日もしない内に、島民の半数以上が感染者となった。もはや生まれてすぐ、まるで通過儀礼かのように子供に感染させる親までもが現れるほどだった。”子供はまだ自分の大事なこと、決められないのにね。”と、宇佐美は少し悲しそうだった。

 島の人間の大部分が美形症に感染した頃、問題が起きるようになった。一部の患者達が突然肉塊になるという症状を発症するようになったからだ。症状は半日程度という一時的なものだったが、容姿の劣化以上に人の形を保てなくなることに患者達は恐怖した。当然のように、事件が公になることはなかったものの、宇佐美への感染実験は一時的に中止されることとなった。感染の経路は未だによくわかっておらず、宇佐美への接触を試みる者は激減した。あなたは今日も椅子に腰かけて中庭を眺める宇佐美に”寂しくないか?”と聞いた。


――ううん、あなたがいるから平気よ。みんな、恐れているだけ。最初に戻っただけだわ。それに、静かになったらあなたと話す時間が増えるからね。


 あなたは宇佐美が寂しがっていないことを知って安心した。そしてその時、はっきりとではないにせよ、宇佐美のことを想っている自分がいることに気が付いた。宇佐美はいつも魅惑的なことを口にしているが、あなたはそれが理由で宇佐美のことを好きだと思っているわけではなかった。あなたは宇佐美がその人間らしい振る舞いとは全く正反対に、実のところ人間味の無いところが好きだった。宇佐美はどんな状況でも変わらなかった。人間らしいしがらみも持たず、欲せず、宇佐美はいつでも宇佐美で居続けようとしていた。それは外見そとみの在り方とは一切関係が無かった。宇佐美は”わかってるのよ”とでも言いたげに、あなたの目を見て微笑んだ。



 研究者たちは必死に原因を突き止めようとしたようだ。はっきりと特定できたわけではなかったが、原因の仮説は立てられたということだった。彼らによれば、原因は非感染者人口の減少だった。研究者たちは肉塊化を起こした感染者を集めてかなり強引な非人道的な実験を行ったらしい。実験の結果、一定の範囲で非感染者が居なくなってしまうと、この島内で肉塊に変容してしまうということが判明した。

 この実験と、その結果から、研究者たちは非感染者が一定範囲から消えることによって、美醜の姿形を意味付けできる価値観や意志の不在が、肉塊化を引き起こすという仮説を立てた。そのような仮説も不確かなものだったが、他に信じられる仮説も無かった。

”非感染者”という電波塔が無いと、その価値観の受信者である”感染者”たちは肉塊と化す。一見すると妥当なこの仮説は患者達のパニックを起こした。特に肉塊化の経験のあるものは二度と肉塊化しないよう、”非感染者”電波塔から離れないように行動するようになった。

 肉塊化は多くの軋轢を招いた。まず、”感染者”電波難民たちは”非感染者”電波塔を探し求めてさまよい、彼らによりついて離れないようになった。このことは非感染者たちの日常を圧迫し、彼らを疲弊させた。次に感染者同士の争いごとが起きるようになった。同じ”非感染者”電波塔の下に集まると、全員が同じ容姿になってしまい、かろうじて蘭の部位によって見分けだけは付くものの、個の消失を恐れて争いの火種となった。”非感染者”電波塔はこうした生活から逃げるように島から出ていくようになり、肉塊化と個の消失による問題は更に加速した。

 しばらくすると、島では夜な夜な人間を探し求めて蠢く肉塊達が現れるようになった。彼らは人間の心を失ったわけではない。明るいうちに肉を抱えて這いずり回るのは精神的に耐えられないのだろう。容姿の価値観の広まる範囲というのは非常にあいまいに決まるようだった。たぶん”電波塔”の電波の強さも様々なのだろう。しかし今や容姿を決められる"電波塔"の数は、かなり少なくなっていた。あぶれないようにできる限り電波の強い場所を探し求めてさまよう肉塊達。残った非感染者たちも、この生活に疲れきってしまうか、差別心から感染を恐れるか、そうでなくとも肉塊達の蠢くその異常な光景に耐え切れず、逃げ出す他無かった。逃げ出した非感染者たちから情報が漏洩するかとも思ったが、こんな異常な光景を信じてもらえるわけもなく、また彼ら自身も不正に加担していたこと、ようやく手に入れた平穏な生活を乱されたくないと思う人々が多かったのか、おそらくは残っていた人々の手によって、この島の港は閉鎖され、立ち入り禁止の無人島ということにされてしまったようだった。そして数か月もしないうちに、島には肉塊となった感染者たちとあなた以外の人間はすべていなくなってしまった。


 宇佐美は肉塊たちが蠢く中庭を眺めながらあなたに話しかけてきた。


――みんないなくなっちゃったね。あの人たちは、多分あなたのところに集まってきちゃうんだろうね?


――ううん、心配はしてないよ。みんな、恐れているだけだから。あなたはわたしも含めて、みんながどんな姿でも、同じように接してくれるものね?


――うん。わかってるよ。あなたが何も言わなくても。わたしも、あなたのことが好きだから。


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