第221話

 その際は必ず遮蔽物を介し、敵の狙撃に備えた。左手の盾も駆使しつつ、ゴブリンの群れと適度に間合いを取る。

 そんなセリアスの動きを、ゴブリンの群れは『逃げている』ものと思ったのだろう。左に隠れていた一匹も嬉々として姿を現し、短い棍棒を振りあげる。

 無論、この程度のモンスターを相手にセリアスが逃げるはずもなかった。三匹のゴブリンが集まってきたところで、地面を蹴りつけ、砂をばらまく。

『ギャイッ?』

 ゴブリンどもはそれを顔面で受け、目を瞑った。

 その隙にセリアスの剣が一閃。中央のゴブリンは腰から上を撥ね飛ばされる。

「相手が悪かったな」

 畜生の類に正々堂々も卑怯もなかった。生きるか死ぬかの場で美学を持ち出すほうが、どうかしている――と、セリアスは自嘲する。

 右のゴブリンは痛そうに目を瞑りながら、滅茶苦茶に棍棒を振りまわした。その腕を斬り飛ばし、丸腰になったところを、続けざまに真っ二つ。

 最後の一匹は劣勢と見るや、拙い足取りで逃げ出そうとした。しかしセリアスは容赦せず、ゴブリンの小さな背中を斬り捨てる。

「仲間を呼ばれても面倒だからな」

 何よりリスクを避けること。それもまた冒険者の鉄則だった。

 ところが、その光景にセリアスは目を強張らせる。

「なんだ……?」

 ゴブリンの亡骸が真っ黒な液体となり、地面へ沈んでいくのだ。斬り飛ばした腕や腰ミノ、棍棒も液化し、跡形もなくなる。

 剣を収めつつ、セリアスは周囲の気配を探った。それきり静寂が訪れる。

(死体が消えた……どういうことだ? この迷宮は一体……)

 次に遭遇したホーネット(巨大な蜂のモンスター)も苦戦はしなかった。が、先ほどのゴブリンと同じように死体は地面に溶け、消えていく。

「なるほどな」

 原理は不明だが、この迷宮ではモンスターが息絶えると無に帰るらしい。ミスリルソードに付着したはずの、体液の類も消えていた。

 ここは普通の遺跡ではない。危険な香りがする。

 昔の自分なら、まさに好奇心を刺激されていた場面だろう。しかし今のセリアスにあるのは期待でもなければ、恐怖でもなかった。

(ここが俺の死に場所になるかもしれない……か)

 真空の虚無感が胸に穴を空ける。

 それはまた諦めの気持ちにも似ていた。

 この迷宮であれば、あくまで一介の冒険者として最期を迎えることができる――と。自暴自棄になれるほど感情的でもないセリアスは、ただ淡白に命の捨て方を求める。

 しかし脳裏にロッティの笑顔がよぎり、我に返った。

(……こんな調子じゃだめだな……)

 仮にここで自分が命を粗末にすれば、彼女につらい思いをさせる。そう思うと、悔しさと情けなさとが一緒くたに込みあげてきた。

 妹分のロッティを巻き込むわけにはいかない。

 それだけは正しいと信じ、セリアスは顔をあげる。

「……戻るか」

 頭上の湖がまだ明るいうちに、孤独な剣士は踵を返した。


 帰りは手書きの地図を頼りに引き返し、ほどなくして入り口付近まで戻ってくる。

 そこでクーガーたちと鉢合わせになった。

「よお、セリアス。城へは行けたか」

「いいや。それよりモンスターの死体が消えたんだが……」

「やっぱりそっちもかよ。こりゃ一体、何がどうなってんだぁ?」

 例の現象にはクーガーたちも遭遇したらしい。

 それはさておき、セリアスはトッドの有様に目を瞬かせた。

「ところで……トッド、どうして何も穿いてないんだ」

「う。そ、それは……その」

 少年は上着の裾で股間を隠しつつ、半ベソをかく。

 ズボンはおろか、下着さえ穿いていないのだから、明らかにおかしかった。クーガーや連れの騎士たちが苦笑しつつ、真相を明かす。

「それがよぉ、こいつ、モンスターにビビって……洩らしちまいやがってな」

「もうビショビショっすよ、ビショビショ」

 トッドの顔はさらに紅潮した。

「~~~ッ!」

 今朝の元気な少年の姿はどこへやら。モンスターに襲われた恐怖のあまり、失禁という醜態を晒したことで、トッドは完膚なきまでに打ちのめされていた。

 セリアスは溜息をつく。

「洩らしただけで済んで、よかったな」

「よくねえよ! 酷いんだぜ? クーガー兄のやつ! わざとおれをゴブリンと一対一にして、助けてもくれなくって……」

 わざわざ少年を窮地に立たせた理由は、聞くまでもなかった。

 迷宮を探索するには、トッドは未熟すぎる。しかし彼の性格からして、セリアスたちが何を言ったところで聞く耳を持たないのは、明白だった。

 そこでクーガーはあえて彼に絶体絶命の危機を体験させた。

「お前じゃモンスターに手も足も出せねえってのが、よくわかったろ? オレたちが一緒じゃなかったら、今頃はお前のほうが死体だぜ」

「う、うん……」

 パンツも穿いていない少年は、悔しくても頭を垂れるほかない。

 セリアスとクーガーは情報とともに意見を交換した。

「しっかしよぉ、ゴブリンが出てくるとはなあ……つーことは、この迷宮のどこかにヤツらの巣があるってわけだ」

「どうかな……もっと調べてみないことには、何とも」

 騎士のひとりがセリアスたちを急かす。

「トッド君も丸出しですし、街へ戻ってからにしませんか」

「そーだな。丸出し小僧が可哀相だ」

「丸出し丸出し言うなよっ! 好きでこんなカッコしてんじゃないやい!」

(好きでやってたら変態だ)

 哀れな少年のためにも早足でハーウェルの街へ。

「頼む! 母ちゃんには内緒にしててくれ!」

「……やれやれ」

 背に腹は代えられないらしいトッドの懇願を受け、セリアスたちは忍び足で酒場の裏手へまわる。だがトッドが手を伸ばすより先に、裏口の扉が開いた。

 ロッティが出会い頭に目を丸くする。

「あれぇ? セリアス、いつの間に帰って……?」

 同時に12歳の少女はトッドの露出ぶりを目の当たりにしてしまった。

 一瞬の沈黙、それから深呼吸を経て――甲高い悲鳴が響き渡る。

「きゃあああああ~ッ!」

 こうして少年の失態は街中に知れ渡ることになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る