第197話 忘れられたBAD・END
壊れたはずの柱が、元の姿に戻っているのだ。その表面をサフィーユの手が満遍なく撫で、キズひとつないのを確かめる。
「これだけじゃないわ。モンスターに荒らされた花壇も、綺麗になってるのよ」
「言われてみりゃあ……」
悦楽と追放の庭園は美々しい景観を保っていた。花の香りに誘われ、ひらひらと蝶が舞う。とてもモンスターの蔓延る『迷宮』とは思えなかった。
イーニアも口を揃える。
「このアスガルド宮そのものに自己再生の力がある、ということでしょうか」
「かもしれないわね。秘境のほうでも、モンスターの死骸がいつの間にか消えてるってことが、あるんだけど……どうかしら」
一方、ティキは大袈裟にかぶりを振った。
「気にしすぎじゃないの? アスガルド宮だからって、なんでもかんでも不思議に感じちゃってるだけでさあ。大方、ほかの柱と間違えてるんだって」
ティキの言うことにも一理ある。
アスガルド宮はどこにあるのかさえ、まだはっきりとしなかった。モンスターも野生的なものと違い、あたかも警備兵のごとく侵入者の排除に徹している。
それだけに、些細なことも怪しく思えてならなかった。
ティキの頭の上でクロードが退屈そうに鳴く。
「とにかく進もうぜ。じっとしてて、またやつらに気取られても面倒だしさ」
「……ええ。議論は帰ってからにしましょ」
その後もシズたちは石版の地図を確認しつつ、悦楽と追放の庭園を練り歩いた。
「さっきから蛇とか茸とか、そんなんばっかだなあ」
「アンチドーテの触媒を多めに持ってきて、正解でした」
モンスターには苦戦させられるものの、二回目、三回目の探索となれば、要領も掴めてくる。猛毒への備えは当然のこと、敵の動きにも慣れてきた。
「シズ、あのでっかいハチはお願い!」
「任せろ! てやあっ!」
シズのシルバーソードには昆虫系モンスターへの特効をエンチャントしてある。
サフィーユもシズの応用力には感心した。
「エンチャントを張り替えできるなんて、本当に珍しい能力よ。白金旅団のみんなの武具もお願いできないかしら」
「いいぜ。でも、そっちで顔が割れちまうのはちょっとなあ……」
敵の接近はいち早くクロードが察し、警告してくれる。
「来た来たっ! 二匹くらいなら!」
「もう片方は私がやるわ! シズとイーニアは増援に備えて!」
やがてシズたちは開けた場所に出た。花壇とくだり階段とが交互に並び、円形の窪んだホールを形成している。
この一帯は天井も高かった。大木がのびのびと佇み、葉を揺らす。
「綺麗なとこだなあ。……花の名前はさっぱりだけど。ティキ、お前は?」
「わ、わたし? それくらい、知ってるに決まってんでしょ?」
ティキはあからさまに動揺しながらも、庭園を眺め、大きな黄色の花を指差した。
「あれがヒマワリよ。ねっ?」
「ヒマワリならオレでもわかるって。ほかにねえのか?」
「うぐ。じ、じゃあ……」
イーニアは花にはあまり興味を示さず、クロードを押さえ込む。
「食べちゃだめですよ。スズランとか、猛毒のお花もありますから」
ここでもサフィーユは神妙な面持ちで呟いた。
「……おかしいわね」
「今度はどったの? サフィーユ」
「イーニアならわかるんじゃない? 色んなお花が一緒に咲いてるけど、季節や地域がでたらめなのよ」
その手が鮮やかな紅黄の花に触れる。
「例えば……このランタナは熱帯のお花で、強いから、同じ土でほかの花は育てなかったりするの。なのに、その横で夏は休眠してるはずのシクラメンが、咲いてるなんて」
シズやティキだけでは『お花がいっぱい』で通り過ぎるところだった。
「なるほど……そいつは妙だな」
「あの、私も気になることがあるんですけど……」
おずおずとイーニアが頭をさげ、割り込む。
「これほどの庭園、維持するだけでも大変だと思うんです。でも……」
「ひとりも庭師がいない、ってことか」
悦楽と追放の庭園は明らかに常軌を逸していた。誰の手を借りずとも、色とりどりの景観を保ち、そのうえ多種多様な花を共生させている。
「お花が好きなひとには、理想郷なのかもねー」
「いつでもオールシーズンだもんな」
濃厚な花の香りに酔ったのか、クロードは欠伸を噛んだ。美麗な庭園を前にして、シズも花を愛でようという気分になってくる。
「まあ不思議なのは置いといて……みんなはどの花が好きなんだ?」
天才剣士は即答した。
「私はコスモスとか、カスミソウとか……白いお花が好きだわ。ユリもいいわね。一番すきなのは、そう……白のシャクヤクかしら」
「へえ~。博学だなあ、サフィーユは」
「私なんて全然よ? 本国の貴族令嬢には敵わないもの」
感心しつつ、シズは武器屋の娘に冷ややかな視線を向ける。
「……だとさ。お前はヒマワリだっけ?」
「い、いーじゃん。ヒマワリだって可愛いもん」
ティキは降参とばかりにうなだれ、溜息をついた。
イーニアからは素っ気ない答えが返ってくる。
「私は特にこれといって……お花の色や形って、あまり考えたことがないんです」
「そ、そうなの?」
むしろサフィーユのほうが驚き、目を白黒させた。
当のイーニアは真顔ですっ呆ける。
「知ってるお花は色々あるんですけど……あ、触媒のお花は好きですよ」
シズとティキは目配せとともに頷いた。
(こいつは重症だな……世俗から離れたとこで修行三昧だったから)
(東のナントカって魔導士だよね。あの妙ちくりんな髪形も、先生に習ったわけ?)
(オレも気になってんだよ、それ。あとで聞いてみてくれ)
今度はイーニアがシズに同じ質問を投げかけてくる。
「シズはどのお花が好きなんですか?」
「(この流れでお前が聞くの?)……えーっと、そうだなあ……」
ふと赤い花が目に留まった。
「定番だけど、オレはやっぱバラかな。綺麗でさ」
ティキがにやにやと歯を光らせる。
「それしか知らないんでしょ、どーせ」
「……そーですとも」
残念ながら花の知識など、ティキとどっこいが関の山だった。ただ、バラの花にはどことなく既視感があり、脳裏で記憶の蓋が開きそうになる。
(前から知ってる気がするんだよな、バラ)
休憩も兼ねて、少し花を眺めてまわることに。
「あなたも試しに育ててみるといいわ。面白いわよ」
「え~? お水あげるだけじゃなくって、難しいんでしょ?」
ティキはサフィーユに教わり、その後ろをシズとクロードがついていく。
ところが俄かに花の香りが変わった。
「……うっ?」
強烈な異臭がして、たまらずシズは鼻を押さえる。クロードもシズの懐に逃げ込むほどのにおいには、ティキとサフィーユも顔を顰めた。
「な……何これ? くっさあ~」
「花のモンスターでもいるんじゃないの?」
にもかかわらず、イーニアは嬉々として声を弾ませる。
「このにおいは……間違いありません! こっちですよ、みなさん!」
「お、おい? イーニア?」
そしてシズの制止など聞かず、スキップでもするように先へ行ってしまった。
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