第176話

 ついにセリアス団は『胎内』の最深部へ突入を果たす。

 そこは異臭の漂う、色褪せた庭園のようでもあった。草木は枯れ、土は触手のような血管で滅茶苦茶に荒らされている。

 楽園の成れの果て――その中央には一本の『大樹』が聳え立っていた。

「徘徊の森の爺さん……じゃ、ねえよなあ」

「グウェノ殿! あれを」

 麓には一脚の車椅子がある。

 それには豪奢な風体の男性が腰掛けていた。貴族然とタイを締め、そこはかとなく上流の気品を漂わせる。

 しかし『顔』がなかった。平たく削ぎ落され、耳だけが残っている。

「きゃ……! あ、あれが邪悪の王……セイランなんですか?」

「俺も初対面だからな」

 顔のない王にひとの名前など、もはや意味はない。

 王は車椅子の向きを変え、セリアスたちを迎えた。口がない顔でも言葉を発する。

『このシビトの身体をキースに焼かれて、五十年……忘れたことはない。大陸の覇王として君臨するはずだった私の、最大の屈辱!』

 冷たい手で心臓に触れるかのように、おぞましい声だった。

『ゴミのような人間に敗れ、かの王などと辱めを受けてきたのだ。だが……それも、今日でようやく終わろう。今こそ、私は復活する!』

 出来損ないの『生命の樹』がめきめきとへし折れ、魔影を噴き出す。

「か、勝手なこと言ってんじゃねえ! こちとら迷惑してんだよ」

「悪鬼羅刹に手加減はいらんな。この明王が砕くまで」

 グウェノは弓を引き、ハインは拳を鳴らした。

 イーニアは切に訴える。

「あなたももとは人間だったんでしょう? どうして、みんなを傷つけてまで!」

 それに対し、王も怒号を張りあげた。

『黙れ、エルフ風情が! 貴様らが我がフランドール王家を侮辱したのが、そもそもの始まりではないか。貴様ら六人は新たな六大悪魔に仕立てあげてやる!』

「冗談じゃない。お断りだ」

 セリアスは無限のタリスマンを高々とかざす。

「お前に恨みはないし、実のところ興味もないんだ。ただ……キースの爺さんの墓参りには、手頃な土産になりそうなんでな」

『貴様……っ!』

魔王の激昂に呼応してか、『胎内』が激しく揺れた。さながら謁見の間のごとく、十数本の巨大な柱が臓器だらけの地面を突き破り、まっすぐ上に伸びていく。

『来るがいい、コズミック・スレイヤーの剣士! タリスマンの奴隷どもッ!』

 セリアス団も顔を引き締め、邪悪の王と対峙した。

 天井や壁面の血管が剥がれ、『胎内』は古びた王宮の一部と化す。セリアスたちの頭上では暗黒の空が星々を瞬かせた。

「こ、これは……アビスですか?」

「驚くことでもないさ」

 次元の狭間に捨てられた、かつてのフランドール城で。

 かの王は魔影と一体化し、角張った羽根を広げる。

 その全長は十メートルを優に超えた。爪の鋭い右手が大剣をむんずと握り締める。

『まずは坊主! 貴様からだ!』

 ハインに目掛けて、魔王の剣が猛然と振りおろされた。

 にもかかわらず、セリアスたちは動じない。イーニアさえ邪悪の王から目を逸らさず、魔法の詠唱に専念する。

「……むふふ。この程度か? 古き王とやらめ」

 ハインは魔王の剣を白刃取りひとつで受け止めていた。にやりと口角を曲げ、全身の筋肉を一息のうちに膨れあがらせる。

「シャガルアの明王を舐めるでないぞ! のっぺらぼうが!」

 剛勇のタリスマンを使わずして、不動明王は魔王の剣を押し返してしまった。邪悪の王は俄かにバランスを崩し、地面を踏み抜くように下がる。

 それを竜巻が包み込んだ。

「オッサンにばっか、いい格好させないぜ?」

 グウェノが風に乗り、魔王の死角を取ったうえで矢を放つ。

『ふん! そのような玩具で……む?』

 が、矢の狙いは別にあった。敵を覆っている防壁の急所をピンポイントで撃ち抜く。

 そこに竜巻を捻り込むことで、邪悪の王のフィールドは瓦解した。

『おのれ、小細工を……私は王! 大陸を統べる覇者なりっ!』

「そんなこと知りません!」

 無防備となった魔王を、イーニアが毅然と睨みつける。

魔導杖が山吹色の光を螺旋のように収束させた。

「聖なる光よ! 邪鬼を滅し、大地を我らの聖域と成せ! ルーセンタラー!」

 無数の光線が放物線を描きつつ魔王へ殺到する。さらに上からグウェノがトルネードを重ね、悪魔の巨体を軋ませた。

「どうだい? てめえの大好きなタリスマンの力はよ!」

『ふざけおって! 消し炭にしてやるッ!』

 魔王は憤怒し、炎弾をばらまく。しかし俊敏なグウェノには一発も当たらず、セリアスには盾で難なく防がれた。

「パワーだけは大したものだが、まるで素人だな」

 所詮は『王様』、我が身を呈して出張ったことなど、数えるほどしかないのだろう。力任せに振りまわすだけでは、せっかくの大剣も威力を活かしきれない。

「ちょいと、おとなしくしてもらおうかのぅ。ぬぅんっ!」

 ハインが跳躍し、王の右肘をへし折る。

『ば……ばかな!』

 それも関節の構造を熟知したうえで、テコの原理を応用しただけのこと。ハインと邪悪の王とでは、力の扱い方に歴然たる差があった。

 魔王は剣を落とし、たじろぐ。

『忌々しいタリスマンめ! どこまでも、私の邪魔を……許さんぞ!』

「さっきから口だけは一丁前じゃないか」

 一方、セリアスはまだ攻撃に加わっていなかった。これまでと同じようにセリアス団のフォーメーションを鑑みて、つい防御を優先してしまったのだ。

 ソルアーマーとスターシールドが共鳴して光り輝く。

『準備完了です。どうぞ、マスター』

「ああ」

 イーニアも、グウェノも、ハインも、同じ顔つきでセリアスの後ろにまわった。

「ゆけっ、セリアス殿!」

「最後はリーダーらしく決めてくれや。ヘヘッ」

「セリアス、あなたなら……必ず!」

 剛勇、叡智、慈愛のタリスマンも励起し、聖剣にエネルギーを注ぎ込む。

 むしろコズミック・スレイヤーのほうがセリアスの腕を牽引した。出力が大きすぎるせいで、人間の身体では支えきれない。

「こいつは暴れん坊だ……! ソアラ、ソルアーマーを!」

『了解ですの!』

 だが、セリアスには聖なる鎧と盾があった。ふたつの力でコズミック・スレイヤーを抑えながら、刀身が垂直になるまで振りあげる。

 たった一振りで天と地が裂けた。王の左腕が肩から落ちる。

『な、なぜだ……なぜ、ただの人間がコズミック・スレイヤーを振るえる?』

「運がよかったのさ。……いや、悪運か?」

 コズミック・スレイヤーを今度は突きの体勢で構え、セリアスは魔王を見据えた。

 不器用な自分には戦うことしかできない。愛するひとを守ることも叶わなかった。それでも今は『戦える』ことが嬉しい。

「あの世でキースの爺さんに会ったら、ちゃんと謝っておけ」

 セリアスはコズミック・スレイヤーとともに駆け出した。

 よっつのタリスマンが剣士に『無限』の力を与える。

 その瞬間――コズミック・スレイヤーが邪悪の王の胸を深々と貫いた。続けざまにセリアスは刃を上に返し、魔王の喉笛を引き裂く。

「終わりだ」

 魔影はそれこそチーズのように、中央から真っ二つに裂けてしまった。喉を潰されたせいで断末魔を上げることさえままならず、ぼろぼろと崩れていく。

 魔王の亡骸を見下ろし、グウェノは悠々と勝ち誇った。

「相手が悪かったな! ったくよぉ、ビビらせやがって……」

「寝起きなんて、こんなものさ」

 ハインはかの王に少し同情もする。

「哀れな男だ……ひとりも民がおらずして、何が『王』だったのやら」

「裸の王様ってやつじゃねえ? まともに治世ができてりゃ、こうはならねえだろ」

 やがて邪気も晴れ、セリアスたちは正常な空間へ戻ってきた。

 迷宮の血管や臓器はすべて活動を停止し、灰色の石と化す。形だけの『生命の樹』は枯れ果て、その麓には車椅子が転がっていた。

「不老不死になっても、ひとりぼっち……それで満足だったのかしら……」

「……どうかな」

 イーニアは両手を合わせて、亡き王に黙祷を捧げる。

 かくして邪悪の王との戦いは終わった。

『帰りましょう。マスター』

「ああ」

 セリアス団はひとりずつ背を向け、『胎内』からの脱出を始める。

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