第145話
あの迷宮は湖の底にあるため、装備や魔法が限定される。画廊の氷壁と同レベルのモンスターが出現しようものなら、もっと苦戦を強いられただろう。
しかし実際は一部の水中モンスターが厄介な程度で、探索に集中できた。と思いきや、最深部でクラーケンの待ち伏せに遭い、セリアス団は消耗している。
そのうえで赤い女神像――イーニアがひとりだけ別次元に誘い込まれていたら。
「考えすぎじゃねえ? クラーケンにしたって、最初からあそこにいたかもしれねえぞ」
「でもイーニアさんだけおびき出そうとしたのは確かですよ」
ふたつの点は繋がりそうで繋がらなかった。
「クロノスとフードの女……」
「何か関係があるのかもしれませんね」
クロノスは敵意なしに、フードの女は敵意を持って、同じイーニアを狙っている。
ハインが手慰みに顎を撫でた。
「その女……『黒き使者』とは考えられんか?」
セリアスもはっとして、彼女との遭遇を思い出す。
(あいつが黒き使者……?)
ロッティの考察が正しければ、白き使者はフランドールの大穴にタリスマンを隠し、黒き使者はそれを追ってきた。
黒き使者の目的はタリスマンの奪取、もしくは白き使者の妨害だろう。大穴のあちこちで聖杯の力を悪用し、新たな『秘境』を作り出している。
徘徊の森や脈動せし坑道は、まさに黒き使者の仕業といえる秘境だった。古竜レギノスも黒き使者に隙を突かれ、自制心を奪われている。
「おいおい……生きてるとすりゃ、何歳だよ? そいつ」
「大穴に現れたのが二、三十としても、まだ五十か六十ですよ。むしろ『死んだ』と決め付けてしまうほうが早計でしょう」
フードの女は身のこなしからして若かった。剣技のほうも素人ではない。
仮にイーニアがひとりで遭遇していたら、確実に負けていただろう。
「そいつは盲点だったな。どちらの使者も、フランドールの大穴にはもういないものと思っていたが……今も生きて、俺たちの動向を探ってるのかもしれん」
「それがあの女性、ですか?」
グウェノが『わかったぜ』と前置きしたうえで口を開いた。
「オッサンの読みは当たってるんじゃねえ? 黒き使者はタリスマンを誰にも発見されたくねえんだろ。だからオレたちを……特に『イーニア』を狙った」
もともとセリアス団はイーニアの探索に同行する形で結成されたパーティー。リーダーはセリアスだが、目的はイーニアが主導している。
「それだと辻褄が合いますね。イーニアさんを欠けば、僕たちは大穴を探索する理由自体を失うわけですから」
「でも、待ってください。あのひとは『これ』を置いていったんです」
イーニアの手が胸元のネックレスに触れた。
慈愛のタリスマン――黒き使者に狙われたと考えるなら、これの説明がつかない。
(イーニアだけ誘い出して殺したあと、慈愛のタリスマンで……一体、何を?)
用意周到に罠まで張っていた人物が、タリスマンを忘れて逃げるなど、あるわけがなかった。何かしらの意図があって、あの場所で用意していたはず。
慈愛のタリスマンが秘めやかに輝いた。
「……まあ、そいつは首尾よく手に入ったんだしさ」
イーニアは安堵の息を漏らす。
「はい。これでみっつです」
数々のトラブルには見舞われたものの、セリアス団はこれで剛勇、叡智、慈愛のタリスマンを手に入れた。あとは無限のタリスマンを残すのみ。
タリスマンがそれぞれ地水火風を司っているのなら、無限のタリスマンは『火』。竜骨の溶岩地帯に隠されている可能性が高かった。
「お城の、えぇと……王様が『みっつ集めたら来い』と言ってましたね」
「ああ。そっちも当たらないとな」
溶岩地帯の前にシビトの城を訪問し、真相を聞き出す手もある。
「イーニアさんの護衛も欠かせませんよ。またいつ狙われるとも……」
「そうだな。俺とジュノーで、交代でやろう」
「私のために……すみません」
今後の指針も決まった。
すっかり除け者のソアラがむくれる。
「もうすぐ街は一週間のお休みですよ? マスター」
ハインは坊主頭をぺしんと叩いた。
「おお、そうだった! こうも暑くては、たまらんしのう」
城塞都市グランツは一週間の休暇に入る。マルグレーテが今年から提唱したもので、大半の住民は一斉に羽根を休めることとなった。
「近代的な都市モデルとしての試験、だって? 上手いこと言いやがるよな」
グランツにひとを集めるための宣伝にもなる。また、開発を優先するあまり働き詰めになってしまう風潮に、ブレーキを掛ける狙いもあった。
ギルドも閉まるので、冒険者が探検に出ることはできない。
「お店はやってるそうで……みなさんはお休みの間、どうするんですか? 僕は音楽家の仕事がありまして、海へ出るんです」
「拙僧も行くぞ。面白そうな大会が企画されとってなぁ」
セリアス団は一蓮托生とはいえ、普段はそれぞれ好きに過ごしていた。
真夏の浜で水遊びなど、まさかセリアスの性に合うはずもない。
「俺は街に残るさ」
「え? あの……マスター?」
正直に答えると、ソアラが口元を引き攣らせた。
「お前はどうするんだ? グウェノ」
「一週間ありゃあ、シドニオに行って帰れっけど……この前、帰ったばっかだしなぁ」
「ちょっと、グウェノ! 今は私がマスターとお話してますの!」
ソアラの主張はわかっている。ただ、あくまで『マスター』を立てないことには、自分だけ遊びに出かけるなどもってのほからしい。
「たまにはマスターも、その……真夏の陽気をですね、ごにょごにょ」
「お前の好きにすればいいじゃないか。イーニア、連れてってやってくれ」
イーニアは楽しそうに声を弾ませた。
「私のボディーガードをしてくれるんですよね? セリアス。でしたら、セリアスも一緒に海に来てください」
グウェノがお腹を抱えて笑う。
「わははっ! そーだよな、言い出したのはセリアスだ」
「ロッティ殿に小遣いだけやって、自分は留守番というのもなあ」
ハインまで乗ってきて口を揃えた。こうなってはリーダーも観念するほかない。
「……わかった、わかった」
「メルメダさんも忘れずに誘ってくださいよ」
「あいつは呼ばなくても来るだろ」
タリスマンの探求はしばらくの間、お預けとなった。
セリアスはグラスを手に取り、改めて音頭を取る。
「しっかり英気を養ってくれ。休みが明けたら、エディンの城へ行くぞ」
「了解です! マスター」
ソアラの返事が一番早かった。
☆
画廊の氷壁にて。
吹雪く雲を上へ突き抜け、古竜レギノスは大空を見渡した。
「振り落とされるでないぞ! シビトの姫よ」
その背にはジュリエットが跨り、髪を靡かせる。
「もう『女王』よ。曾お爺様に押しつけられちゃったわ」
「どちらでも構わぬ。それより構えておけ……やつが出てくるぞ」
濁った雲が渦を描いた。
その中央から氷漬けの『巨顔』が現れ、真っ白な冷気を吐き散らかす。画廊の氷壁の主にして六大悪魔、コルドゲヘナの来襲だった。
「コルドゲヘナ……やっと会えたわね」
「気をつけろ。やつは不死身だ、刻印の力をもってしても滅ぼせるかどうか……」
レギノスさえ慎重に徹し、コルドゲヘナと一定の間合いを保つ。
にもかかわらず、ジュリエットは気丈に微笑んだ。祖母から譲り受けた魔剣グランディバイドを引っさげ、悠々と氷の魔人を見据える。
「お婆様に代わって、六大悪魔は私が殲滅する……行くわよ!」
「我とて、やつには山ほど借りがある。ここで返させてもらうぞ!」
画廊の氷壁の上空で今、決戦の火蓋が切って落とされた。
時同じくして、竜骨の溶岩地帯でも炎の魔人が目覚めつつあった。真っ赤な溶岩が沸騰し、巨大なしゃれこうべの群れを吐き出す。
髑髏たちは炎に包まれながら、さながら大蛇のごとく一列に並んだ。変幻自在に溶岩の上を飛びまわり、かたかたと骨だけの笑声を何重にも響かせる。かつてジュリエットの祖母が一度は屠った、六大悪魔――エクソダスもまた復活を遂げてしまった。
残る三体も目覚めの時は近い。
そしてフランドールの大穴より災厄をもたらした、かの悪しき王も。
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