第135話
後日、セリアス団はロッティを連れ、改めて湖底の神殿に挑む。
しかし運動音痴の少女は大問題を抱えていた。
「絶対に手ぇ離さないでよ? セリアス! 絶対だかんね?」
「だったら、しっかり握っていろ」
泣き止まぬ湖までは女神像で直行できたものの、彼女がろくに泳げないため、湖の畔でてんやわんや。今回はザザがおらず、ひと任せにもできない。
(あいつめ……こういう時に限って)
あの忍者のことだから、確信犯の気がした。
どうにかロッティを宥めつつ、セリアス団は湖底の神殿まで辿り着く。
「はあ……もう生きた心地がしないってば」
「まだ潜るぞ」
「えええ~っ? 勘弁してよぉ」
大した距離ではないはずが、やけに時間が掛かってしまった。ロッティは魔法の熱源にへばりつき、長々と文句を垂れながら、服が渇くのを待つ。
「大体さあ~、年頃の女の子がびしょ濡れになってんのに、一言もないわけ?」
「年頃かどーかは別に関係ねえだろ」
ロッティのおかげで、秘境の探索も行楽じみたものになってしまった。
「そろそろ調査を始めてくれないか、ロッティ」
「はいはい」
しかし気乗りせずにいたロッティも、問題の壁画を前にするや、顔つきを変える。
「……失楽園ね。イーニア、読める?」
「少しだけなら、何とか」
セリアスたちは期待を胸に彼女の考察を待った。
「この神殿も興味深いわね……。ハイン、宗教が神殿を作るのって、何のため?」
「一般的には信仰を広める手段として、であろうな」
「うんうん。自分たちの支配圏を確立するためのものよね」
ロッティはジェスチャーも加えて、少し興奮気味にまくし立てる。
「でも、ここは不可解な点が多すぎるの。外の建物はいかにも水に沈んだって感じで、ぼろぼろなのに、この神殿だけは平然と建ってたりとか……変よ。絶対、変」
湖底の廃墟は明らかに『地表にあったものが水没した』形だった。水圧に耐えきれず、ひしゃげている建物も多い。
にもかかわらず、神殿は荘厳な姿を保っていた。しかも門を閉ざしながらも、その真下に通路を設け、侵入を可能にしている。
「あの通路は多分、私たちが体内の気圧を調整するためのものなのよ。それにここ、最初から水圧に耐えうる造りにしてあるんだと思うわ」
考察の途中でイーニアが囁いた。
「じゃあ、湖も……」
「かもしれないわね。この神殿だけは水没することを想定して、造られた……ううん。湖そのものが人為的に『作られた』可能性だって、あるってこと」
「想像もつかねえなあ……何のために?」
壁画に触れ、ロッティは内緒話のようにトーンを落とす。
「ぱっと思いついたのは、『隠す』ため……宝物か、もしくはこの『情報』を」
湖に沈んだことで、神殿は難攻不落の要塞と化した。内部も入り組んでおり、易々と踏破させるつもりはないことは窺える。
その一方で、抜け穴などのお膳立てもされていた。
「確かに普通は誰もここまで入ってこねえよな」
「だが拙僧らはこうして入ってきた。それは神殿の主も想定しておったことだろう」
宝物庫の武具にしても、探索の役に立つものばかり揃えられている。
失楽園のシーンを眺め、ロッティが呟いた。
「素っ裸ね……」
「西方の美術は奔放だのう。シャガルアならば、春画扱いされとるわい」
「西の芸術だって、布を巻くくらいのことはしますけど」
「それよ。この壁画はもう何百年も、誰の目に触れてないんだわ」
考古学者の断言にセリアスたちは首を傾げる。
「俺たちはお前ほど教養がないんだ。説明してくれ」
「セリアスもハインも割とできるほうでしょ? ええと……こういう裸の絵って、破廉恥だってことで、あとから服を描き足されてるパターンが多いの」
「芸術に対する不徳にも思えるのぅ」
「オッサンが言うと、引っ掛かるなあ……」
壁画の男女は一糸まとわぬ格好で描かれていた。
「葉っぱで隠すシーンがあるから、裸でないと意味がないんじゃないのか?」
「もちろんそうよ。この物語はアダムとイヴが『裸』でないと成り立たない。けど、教会の勢力が弱まったことで、どんどん勝手に上書きされちゃったのよね」
後世の画家たちは何も古典に理解がなかったわけではない。おそらく教会支配への反発が背景にあり、その信仰を『塗り潰す』狙いがあったのだろう。
実際、この手の絵画には必ず露出への『配慮』があった。
「書き換えられたのは股間だけ、とは限らないでしょ。例えば性別を入れ替えたり、名前を変えたり……とか」
「なるほどのぅ。政治の道具にされるわけか」
宗教的な教義には少なからず、時代ごとに支配者の思惑が働いている。
「……だから、ここにある壁画は描かれた当時のままってこと」
コンパス越しにイーニアは壁画の文面を読みあげた。
「……? の、実を……食せし……?」
ところが失楽園のストーリーは飛び飛びになる。
「どうかしたの?」
「あ、いえ……多分、主人公の名前なんでしょうけど、アダム……とは読めなくて」
その箇所にセリアスたちも目を凝らした。
「なんて発音か、わかる?」
「……サ、サイ……シーザマ、レア……かしら」
聞き覚えのないフレーズが謎を呼ぶ。
「なんだよ、そりゃ?」
「アダムとイヴにもいくつかの呼び名があるのではないか? 似たような神話が大陸各地で名を変えとることは、別に不思議なことではなかろう」
セリアスは腕組みを深め、記憶の中を探した。
(シーザマレア……)
考察が行き詰まり、ロッティはがっくりとうなだれる。
「ザザがいたら、書き写してもらうのにな~」
飽き性のグウェノは欠伸を噛んだ。
「探索のヒントになることはわからず終いってか。……いや、責めてんじゃねえよ?」
「わかってるってば。フランドールの大穴だもん、簡単に行くとは思ってないし」
壁画のアダムとイヴは黙して語らず、謎だけを仄めかす。
「こんなふうに形で残してる以上、何か意味はあるんでしょうね」
道なりに進むと、一枚の絵に突き当たった。
絵というより幾何学的な『図』に近い。縦長の六角形であり、その中身は円と線で緻密に構成されていた。博識なロッティも首を傾げる。
「……何? これ」
同じものを見上げ、イーニアが呟いた。
「先生の本で見たことがあります。確か、これで『樹』になるです」
イーニアが知っていてロッティは知らないのであれば、魔導のカテゴリだろう。
「これの文字は読めませんね。なんて書いてあるのか……」
しかしトレジャーハンターのグウェノは目ざとく別のものを見つけた。
「レバーがあるぜ、セリアス」
絵の脇で怪しいスイッチが飛び出している。
「そいつは次回にしよう。お荷物もいることだしな」
セリアスは慎重に徹するも、ロッティがふてくされてしまった。
「な、なによぉ? 頼まれたから、こんな湖の底まで来てあげたのに。気になるんなら、さっさと動かしちゃえばいいじゃないの」
「あっ? バカ、やめろって」
ずんずんと前に歩み出て、レバーを操作する。
どこからともなく轟音が響き渡った。俄かに神殿が揺れ、一同は血相を変える。
「なっ、なんだ? セリアス殿はロッティ殿を!」
「早く果実をっ!」
ロッティを庇いつつ、セリアスは空気の果実を頬張った。
画廊に水が流れてきて、みるみる嵩が増えていく。幸いにして、グウェノやハインも先に空気の果実を口に含め、呼吸の確保が間に合った。
イーニアはひとまず息を止め、落ち着いた調子で後ろに指を差す。
(大丈夫なのか? イーニア)
(問題ありません。それより早く引き返しましょう)
彼女には海神の守りもあった。すいすいと泳ぎ、皆を誘導してくれる。
(すっかり調子がいいみたいだな)
画廊の氷壁ではあまり成果を上げられなかった魔法使いも、湖底の神殿では柔軟な活躍を見せた。水場との相性は抜群らしい。
やっとのことで水中を抜けると、カナヅチ少女は大慌てで咳き込む。
「――げほっ、こほっ! び……びっくりするじゃないのさあ、もお~!」
「勝手に触るからだ」
アクシデントはあったものの、これで神殿内部の『水位』が変わったようだった。すでにイーニアやグウェノは記憶地図を確認している。
「こっちの道に進めるようになったんじゃないですか?」
「だな! なぁるほど、こうやって水面の高さを変えろってことか」
思いもよらない進展となり、ロッティは鼻を高くした。
「で……でしょ? 神殿の構造からして、こーなると思ってたのよ、うんうん」
「よく言うぜ。まっ、勉強熱心なことに免じて、許してやっか」
妹分の調子のよさには呆れるほかない。
「勉強もいいが、少しは水泳も練習してくれ」
「私が教えてあげますよ。ふふっ」
お荷物を連れ、セリアス団は城塞都市グランツへと帰還した。
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