第61話

「さ、さむっ?」

急に風が冷たくなり、薄着のロッティはぶるっと震えた。セリアスは拠点のテントから予備のコートを引っ張り出し、彼女の小さな背中に被せてやる。

「ありがと、セリアス」

「ああ。ハイン、すまないが、湯を沸かしてくれないか」

 そんなセリアスとロッティを見詰め、イーニアはきょとんとしていた。

 愉快そうにグウェノが茶々を入れる。

「セリアスー! ほら、イーニアも寒いってよぉ」

「……わかった、わかった」

 ロリコン扱いは下手に相手をせず、適当に流すのが賢明だろう。

 ロッティはすっかり学者気質を全開にして、女神像をまじまじと眺めていた。こうなってしまっては、誰の声も届かない。

「グウェノ、この像、これにスケッチしといてくんない?」

「へ? オレが?」

 指名を受け、グウェノは渋々とペンを手にする。しかしザザがそれを横から取り、すらすらとラフを仕上げていった。

「あっ? て、てめえ!」

「……………」

 ロッティはグウェノを押しのけ、ザザのほうに注文をつける。

「上手いじゃない! 背面と、側面もお願いね」

 調査が一段落するまで、セリアスとイーニアは焚き火を囲っていた。ハインにお茶を淹れてもらい、一服する。

「すごいですね、ロッティさんって」

「あれでもフランドール王国では一流の学者なんだ。お前より勉強家だぞ」

「大したものではないか。ご両親も鼻が高かろう」

 その間もグウェノはロッティにこき使われ、彼女の踏み台になったりしていた。恨みがましそうな視線をこちらに向けてくる。

「替わってくれよぉ、セリアス」

「なんだ? 好きでやってるんじゃないのか」

 やがてロッティはザザからスケッチブックを回収し、焚き火の傍へと寄ってきた。

「うぅ~、さぶさぶっ! こんなとこで探検なんて、よくやるわ」

「こ、これに懲りたら、もうついてくんじゃねえぞ?」

 セリアスたちは横に詰め、グウェノとザザも火に当たらせてやる。

 ザザのスケッチは上出来だった。音楽家だけあって、芸術全般に強いらしい。

「何かわかったか?」

「急かさないでったら。ほかの資料と照らし合わせて、じっくり検証してみないことにはね。……ただ、現段階で言えるのは……」

 ロッティの人差し指に全員の視線が集まる。

「二、三十年前にフランドールの大穴で『何か』が起きたってこと。そして、その時に新しい秘境が増えちゃったってこと」

「……増えた?」

 ロッティは自信満々に笑みを含めた。

「氷壁や溶岩地帯なんかは、ずっと前からあったのよ。でも誰かが『聖杯』を使って、ほかにも秘境を作った……徘徊の森や脈動せし坑道なんかを、ね」

 これが本当なら、秘境は二種類が存在する。

 シビトの災厄以前から前人未到の難所だったものと、三十年ほど前、聖杯によって意図的に作り出されたもの。

さらにロッティは『ちょっと思っただけ』と念を押しながらも、持論を展開した。

「タリスマンを預けたのを『白の使者』、聖杯を持ってきたのを『黒の使者』とでも呼ぶとして……黒の使者は誰にもタリスマンを渡すまいとして、聖杯を使ったのかも」

 グウェノは反射的に疑問を返す。

「んなもん、自分で確保しちまえばいいだけだろ」

「それが『できなかった』としたら?」

 しかし考古学者の少女は動じず、付け加えた。

「黒の使者は白の使者がどこにタリスマンを隠したのか、わからなかった。だからフランドールの大穴のあちこちを手当たり次第、簡単には立ち入れない場所にしちゃったの」

 あくまで推測とはいえ、ハインは感心したように頷く。

「邪悪な者が神聖な品々に触れられないという話は、大陸寺院の伝承にもある。あながち外れてはおらぬやもしれんぞ」

「ああ」

 セリアスもロッティの説には手応えを感じていた。

「そんなら、聖杯が関わってねえ昔からの秘境にタリスマンがあったとしても、不思議じゃねえってことか。……聖杯ってのは相当、やばいブツみてえだな」

「カシュオンが『誰にも渡すわけにはいかないんです』と言ってたのも……」

 依然としてタリスマンの正体は不明だが、真相の一部は見えてくる。

 三十年前、白の使者はタリスマンをフランドールの大穴へと隠した。ここであれば、ひとびとはシビト時代の災厄を恐れ、いたずらに近づかないと踏んだのだろう。

「だが徘徊の森にタリスマンを隠すのは、ちと……グランツの目と鼻の先ではないか」

「オッサン、オッサン。そん時はまだ街はなかったんだからよ」

「おお、そうであったか! 拙僧としたことが」

その一年後、黒の使者はタリスマンを世間のひとびとからさらに遠ざけるべく、聖杯の力で新たな秘境を作り出した。

 しかし大勢の冒険者が今、城塞都市グランツへと集まり、フランドールの大穴を探検している。この状況を白の使者や黒の使者が予測していたかどうかは、わからない。

 とにもかくにもロッティのおかげで、今回は予想以上の進展があった。彼女に三十年前の出来事を洗ってもらえば、また新しい真実も浮かびあがってくるだろう。

「頼りにしてるぞ、ロッティ」

「うんうん!」

 こうしてセリアス団は心強いオブザーバーを獲得。

 セリアスのロリコン疑惑はまたしても膨らむこととなった。


                   ☆


 タブリス王国軍の情報部を束ねるのは、バルザック少佐。彼は幼馴染みにして部下のケビンとともに城塞都市グランツを訪れ、改革に着手している。

 バルザックは紅茶を好まず、夜でもケビンにはコーヒーを淹れさせた。

「また眠れなくなりますよ? 少佐」

「なら、お前とチェスでも打つさ。相手をしてくれるんだろう?」

「はあ……わかりました。お付き合いしますとも」

 ケビンは『休め』のポーズで傍に控えている。上司と部下とはいえ同期の桜、堅苦しいことはやめろと言っているのだが、この生真面目な男は少しも聞き入れなかった。

 バルザックの当面の仕事は、改めてグランツをタブリス王国の制御下に置くこと。白金旅団の突然の壊滅によって、前任者はこれに失敗した。

 後任のバルザックにとっては、マイナスからのスタートとなる。

 だからこそ、本国の将校は誰も引き受けようとはしなかった。誰しも失敗続きのプロジェクトに関わって、責任を押しつけられたくはない。

おかげでバルザックが志願したところ、一両日中にはグランツへの派遣が決まった。ロートルの貴族らとしても、台頭しつつある若手のバルザックを遠ざける、またとない機会となったのだろう。

 だが、王国軍の主導でグランツを立てなおせば、バルザックの評価はますます不動のものとなる。彼らはバルザックにむしろ絶好のチャンスを与えてしまったのだ。

「いかがですか? 少佐。グランツの冒険者は」

「そうだね……」

 悠々自適にコーヒーを味わいながら、バルザックはギルドの資料に目を通していた。

 探索関連の報告書には、カシュオン団のリーダーはまだ十三歳とある。

「これはまた若い冒険者がいるじゃないか」

 ケビンが控えめながらに口を挟んだ。

「どうでしょう? 十代の冒険者には研修を義務づけては」

「もっともだ、ケビン。採用することになりそうだよ」

 バルザックとて前々から考えていたことだが、親友の手前、『私も同じことを思った』とは言わない。成果を上げられるのなら、誰のアイデアであってもよいのだ。

 それに、脈動せし坑道では少年少女のパーティーの遺体が発見されたばかり。王国としては何らかの対策を講じないことには、体裁が悪かった。

「ほかに十代の冒険者がいるのは?」

「セリアス団でしょうか。確か魔法使いが十五歳だったはずです」

 バルザックはセリアス団の報告書を手に取り、有能な部下に相槌を打つ。

「ああ、本当だ。ふむ……画廊の氷壁を攻略中か」

「一筋縄ではいかない秘境と聞いております」

 リーダーの剣士が凄腕らしいことは、フランドール王国調査隊のロッティからも聞いていた。あのソールの地下迷宮を突破したのだから、ゴブリン程度には眉も動かさない筋金入りのベテランだろう。

 ところがバルザックは不可解な数字に気付き、眉を顰めた。

「……ケビン。画廊の氷壁へはグランツからどれくらい掛かるかな」

「編成や天候にもよりますが、最短でも半日は掛かるかと。往復なら一日でしょう」

 しかし報告書には出発から帰還まで、ほんの一日か、せいぜい二日としか記されていない。これでは、氷壁の探索はしていないのも同然だった。

「セリアス団が行き先を誤魔化している可能性は?」

「考えられません。先日、行き先を偽ったために救助されえなかった、あのパーティーの遺体を見つけたのは彼らですので。同じ轍は踏まないものと思われます」

「ふむ。そうか……」

 バルザックの口元に不敵な笑みが浮かぶ。

 王国の介入を嫌い、大半の冒険者が報告を怠っていることは、想像に容易かった。スポンサーと結託し、成果を偽るような輩もいるだろう。

 だが、その中に『真実』に迫っている者がいるとしたら――。

 彼には社交辞令の挨拶だけで済ませるつもりだったが、気が変わった。

「少し探ってみようか。セリアス団を」

「……御意」

 今回の任務は面白くなるかもしれない。タブリス王国軍・情報部のバルザック少佐は夜のコーヒーに味を占めた。

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