第15話

 城塞都市グランツへ戻ってきた時には、ザザの姿は忽然と消えていた。

「あれ? さっきまでそこにいたよなあ、あいつ」

「そのうちまた出てくるさ。……歩けるか? イーニア」

 街ではイーニアが恥ずかしがるため、ゆっくりと降ろしてやる。

「平気です。……あ、本当ですよ?」

「軽く捻っただけのようだな。ハイン、あとで診てやってくれ」

 回復魔法で治療することもできたが、それにはテントを張らなければならず、大量の魔力と触媒も必要とする。結局、街に戻るほうが早いのだ。

「魔法で治してばかりいても、身体に悪いと聞く。その点、拙僧の気功は自然治癒力を促進するものだからな。まあ拙僧自身の怪我でないと、すぐには治せんが」

「原理はわかりませんけど、すごいですね」

 ひとまず帰還を報告するため、ギルドを目指す。

 しかしギルドは大勢の冒険者が詰めかけ、騒然としていた。ひとだかりの最後列にいた男がグウェノを見つけ、声を荒らげる。

「大事件だぜ、グウェノ! 白金旅団が壊滅したってよ!」

「な……なんだってえっ?」

 セリアスたちは驚愕し、顔を見合わせた。

 冒険者は誰もが血相を変え、口にせずにはいられないほどの不安に駆られている。

「ほぼ全滅だよ、全滅」

「嘘だろ? 白金旅団に限って、そんな……」

 一帯には沈痛な雰囲気が立ち込めていた。ただ事ではない。

「あれではオレたちの報告どころじゃないだろう。……ハイン、悪いがイーニアを送ってやってくれないか」

「了解だ。あとで詳しく教えてくれ」

 イーニアをハインに任せてから、セリアスはグウェノとともに野次馬に加わった。

「なあ、何があったんだよ?」

「ほんの十分くらい前だ。ひとりだけボロボロでギルドに帰ってきて……何もしゃべろうとしねえけど、それって、そういうことだろ?」

 白金旅団の男は利き腕を負傷したのか、左手で報告書の作成に四苦八苦している。疲れ果てた表情に、出発した時のような精悍さは、もはやなかった。

 その姿だけで、白金旅団の壊滅は想像がつく。

 しかし本人が肯定も否定もしないため、周囲には『まさか』『そんなはずは』という期待めいた不安が蔓延していた。救助隊の要請に来ただけの可能性も残されている。

 やがて彼はサインを終え、ふらふらと立ちあがった。息を飲むばかりの野次馬には構わず、ギルドを出ていこうとする。

「お、おい? お前、秘境で一体何が……」

「……ひいいいっ!」

 しかし衆人環視のプレッシャーに耐えかねたのか、両手で頭を抱えて蹲った。がくがくと震えながら、戦慄の表情で喚き散らす。

「おおっ、お前らも秘境の探検なんて、やめちまえ! いいか? やめるんだッ!」

 ほかの冒険者たちはただ絶句した。

 慟哭だけが反響する。

「フランドールの大穴には入っちゃいけなかったんだよ……お、おれたちはとんでもないことをしちまった。おれの仲間はみんな、あそこで――おげええっ!」

 たったひとりの生還者は臨界点に達し、胃の中身を逆流させた。

 緊迫感で空気が張り詰め、ギャラリーは俄かに浮足立つ。

「お、おぉーい! 担架だ! 担架を持ってこい!」

「待て、大勢で近づくな! これじゃ運び出せねーだろ?」

 セリアスとグウェノは固唾を飲んで、大事件の成り行きを見守っていた。

 冒険者らは声のトーンを落としながらも、口々に囁く。

「まさか、あの白金旅団がやられちまうなんて……ひとつの時代が終わったな」

「馬鹿なやつらだよ。とっとと王国軍に鞍替えしてりゃ、いい暮らしができたってのに」

 間もなく生還者は担架で運び出されていった。

「オレたちも一旦、戻ろうぜ」

「ああ」

 セリアスたちは野次馬の輪を抜け、ひとまず屋敷に向かう。


 今夜のディナーもグウェノが腕によりをかけ、作ってくれた。テーブルに人数分のハムエッグやサラダ、魚肉のポタージュスープが出揃う。

「これで全部、っと。マーケットも去年よか、品揃えが格段によくなっててさあ」

 イーニアは一度グレナーハ邸に帰ったものの、マルグレーテがばたばたしていることもあり、今日のところはセリアスたちと一緒に夕食を取ることになった。

「イーニア殿は、グウェノ殿の手料理は初めてではないか?」

「びっくりです……上手なんですね、グウェノ」

 食材を活かした献立の数々にイーニアは瞳を輝かせる。

「いつでも教えてやるぜ? イーニア。花嫁修業もやっとかねえと」

 城塞都市グランツは今や経済拠点としても発展を遂げつつあった。秘境ではさまざまな資源が採取・採掘できるため、これを元手に商売を立ちあげようという資産家や貴族が多いのだ。グレナーハ家もグランツの成長ぶりに目をつけ、当主自ら出張っている。

 彼らは冒険者パーティーのスポンサーに名乗りをあげ、秘境の開発を主導していた。

「そんなに前とは違うのか」

「おう。昔は本屋なんてのもなかったしなぁ」

 フランドールの大穴沿いに西に行けば、海もある。今はグランツに魚介類を供給している程度だが、そこに港を建設し、海上交易を担う計画も進められていた。

 しかしそれも昨日までのこと。情報通のグウェノが嘆息する。

「白金旅団がなあ……グランツ商業圏ってのも、これで相当遅れるだろうぜ」

「拙僧にはまだ信じられぬ。あれほど手練れのパーティーが、引き際を見誤るなど」

 城塞都市グランツにとって白金旅団の壊滅はまさに寝耳に水、青天の霹靂となった。憶測やデマも飛び交い、街は早くも大混乱に陥っている。

 それを見越し、グウェノは情報収集を控えていた。

「マーケットが機能してたのが不思議なくらいだったよ、ホント」

「マルグレーテさんも今夜は緊急で会合だそうです」

 白金旅団のスポンサーに至っては、全滅の報を聞くや、半狂乱になったらしい。

「しばらく荒れるかもな、こりゃあ」

 今回の件が一日や二日で収拾がつくはずもないことは、誰の目にも明らかだった。セリアスたちは押し黙り、午後二十時の鐘を聴く。

「オッサンはギルドの様子を見てたんだろ? なんか動きはあったわけ?」

「うむ。王国調査団が捜索隊を出すとかで、延々と揉めていたな」

 冒険者のパーティーが秘境で消息を断つことは、決して少なくなかった。一獲千金を夢見た少年少女のパーティーが初陣で全滅、などという悲惨な例もある。

 そういった行方不明者が出た場合、捜索隊を派遣するかどうかの決定権は、王国調査団や軍部ではなく民間のギルドにあった。

 生存の望みはあるか。問題の場所まで別のパーティーで到達は可能か。生存者を連れて帰還できるか。それらを充分に熟考したうえで、ギルドが最終的な決断をくだす。

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