化け物

「宣戦を布告します」


 まるで、運動会の宣誓のような口調で述べられたシルヴィアの言葉にリカールの議会は凍り付いた。

 恐らく、此処が氷河期と化すのは二度目だろう。

 記念すべき一度目は、この地、リカールが枯れ果てた時。


 だが、その静寂はそんなに長くは続かなかった。

 誰ともなく乾いた嘲笑を上げ、それは連鎖し、議会は嘲笑の渦となったからだ。


「ククク……陛下、我々を笑い死にさせるつもりでしょうか?

 

 我が国の外務省の公安担当者は貴女を抜け目のない人物だと評価していたのですが……どうやら、人事異動が必要なようですな。

 陛下、確かに貴女の言う通り、我々の新しい枠組みに賛同しない国々も少なくないでしょう。だが、貴女の計画は酷く杜撰だ 」


「左様。

 まず貴国は、貴女の所有物ではない。

 貴国の人民は今の生活が豊かだから、指導者である貴女に対する敬意で満ち溢れている。

 

 だが、戦争は金がとてもかかる。

 貴女が戦争を望んだとして、いつものように国民の前でお遊戯会をしたとしても、果たして国民は貴女についていくのかな? 」


 何時の時だったか、昔の話。

 民衆たちに、閣僚たちにこのような追及をされ、不器用にもそれを受け止め、夜な夜な枕を濡らし、寝濡れぬ夜を過ごしてきた若き女王が居た。


 そんな悲劇の女王と、このシルヴィア・ヴィン・トリスタンはきっと別人に違いない。

 今、此処に居る彼女は、世界有数の権力者たちから罵声や嘲笑を受けても、一片の怯えも躊躇も見せないで、まるで子犬と戯れているかのような余裕の微笑を浮かべているからだ。


「あらあら……怖い顔をなさって……。

 皆さま、どうか落ち着いてください。

 先程も申し上げた通り、私、シルヴィア・ヴィン・トリスタンが宣戦を布告するのです。

 

 それが理解できないというのなら……そうですね、簡単に申し上げれば、戦争したい人この指とまれ、です」


「この世界の何処に戦争マニアなんて居る?

 

 戦争は外交の失敗、若しくはその延長。そこにメリットが無ければ、誰もやりたがらないのだ――! 」


 少々、この場では若手の男が机に持論と共に、拳を叩き下ろそうとしたが、誰もやりたがらない戦争をやりたがる唯一の男を思い出し、思わず、その拳を止めてしまった。


 しかし、正義感にあふれるその男は、悪夢を忘れるかのように首を振ると、言葉を紡いだ。


「シルヴィア・ヴィン・トリスタン!

 まさか、あの男が、ジーク・アルトが貴女を助けに此処に颯爽と現れるとでも!?


 いいや、絶対にない!

 貴女を何度も違う場所に呼びつけたのは、この場所を悟らせない為だ。勿論、貴女の移動はすべて監視させてもらった。

 それに、情報漏洩の観点から各国に事情は伏せつつも、とある二人組のテロリストの行動妨害を依頼している。


 そして、なによりもだ!

 私は、ジーク・アルトが小物だと確信している!


 奴の行動を見てみればなんだ、大したことない。リカールはいずれ滅びる運命だった。奴が手を下した他の国は取り留めもない小国ばかりだ!


 勝てる戦で気持ちよくなりたいだけの小物だ!

 きっとこの場所が分かったとしても、尻尾を巻いて逃げるに違いない! 」


 シルヴィアはその言葉に否定も肯定もしない。

 若干、シルヴィアの威風堂々とした雰囲気に威圧されていた者達も、この男の言葉に勇気づけられた。


「その通りだ!

 現に、貴女は此処に一人ではないか!?

 はっ、恋は盲目とは言うが……哀れな小娘だ! 」

 

「もう十分です、陛下。

 言い訳は国際司法裁判所で聴くとしましょう」


 シルヴィアの身柄を拘束せよ、そう顎で命令された執事に扮した兵たちが、緊張の面持ちでゆっくりとシルヴィアに近づく。

 だが、シルヴィアは言い訳するわけでもなく、逃げるわけでもなく、ただ、優雅に紅茶を啜っていた。


 執事がシルヴィアの白い腕を掴もうとしたその時だった。

  

「窓……開けたままでよろしいのかしら? 」


「……は? 」


「匂いが漏れてしまいますよ。


 この鍋の中でぐつぐつと煮込まれた戦争の香ばしい匂いが。

 ほら、あそこから……。


 もしかすると、とてもお腹の空いた鼻の良い動物なら、遠くからでも嗅ぎ分けられるかもしれませんね」


 シルヴィアが指さした先の窓は確かに少しだけ開いていた。

 おかしい。

 盗み聞きという原始的なスパイ行為を防ぐべく、確かに閉じられていた筈なのに。

 此処は3階、だがその上には屋上がある。


 ……まさか。

 執事はシルヴィアから離れ、ゆっくりとした足取りで窓の淵に歩み寄った。

 タキシードから拳銃を取り出し、一つ息を吐くと、バッと窓から身を乗り出した。



 そこには……。



「……誰も居ません」



 張りつめた空気が一斉に溶かれた。

 はったりだ。

 先程の男が額の汗をハンカチでぬぐいながら、勝利を宣言しようとした。


「最後の悪あがきも不発だったようですな、陛下。

 

 その悪あがきの続きは、断頭台の上でやってもらうとしましょ」







 ガラン。



 しましょ――う。

 そう発音できたか、できなかったか。

 それは微妙なところだった。


 だが、一つ確かなのは、シルヴィアが断頭台に立つより、先に首が折れたのはこの男だったということだ。



 運が良ければ、次世代の英雄にも成れたかもしれないこの男の頭上の天井から、白いタイルが抜け落ち、その直後にロープ、それを伝ってあるモノが降って来た。


 そして、降って来たソイツは男の首を両足で挟むように着地すると、そのまま首をへし折り、円卓の中央へと堂々と降り立った。



 悪夢。

 突然、降りかかって来た耐えがたい恐怖に、誰もが絶句する。

 彼らは臆病でか弱い人間なのだから、仕方がない。


 こんな状況で平然としていられるのは、ほんの一握りの獣だけなのだ。



「ふふっ……ジークさん、御機嫌よう」


「ああ。

 で?

 どいつだ。


 どいつを殺せば、戦争が出来る? 」


「多分、全員です」


「ふっ……Yes, your majesty承知した



 人々が恐怖する中、こんな状況で、笑い合えるのは化け物だけだ。




 人々の未来がかかっている、こんな状況で、引き金を引けるのはきっと――化け物だけだ。

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