準備(1)

 理想国家、最後の王国、地上の楽園……またの名をトリスタン王国。

 その立派な王城の君主の寝室のフカフカとした最高級のベッドには、シルヴィア・ヴィン・トリスタンが寝そべっていた。

 そのベッドのサイドテーブルに置かれていたのは、美しく整えられた活花、そして、豪華な意匠が施された封筒だ。

 シルヴィアはベッドから身を起こさず、片手でその封筒を掴み上げると、やや乱雑に中身の手紙を取り出した。

 封筒の外見に恥じない程、中の手紙も高級な便箋を使っているようだ。


 差出人はアルタイル連邦、ベルストツカ公国等……所謂、先進国と呼ばれる国々の連名のようだ。


 内容は季節の挨拶、非公式に今後の世界情勢のことを話し合いたいとの旨、そして、陛下をお待ちしていると念を押すような、最後の挨拶。


 国家主席に当てられた手紙ならば、そう不自然な内容ではないような気もする。


 だが、この手紙は可笑しい。

 非公式会談ということは知られたくないためだ。

 手紙には、中立な立場の傭兵で万全な警備を約束するので、護衛は最少人数でお願いしたいとまで書かれている。


 二国間ならば、そこまで珍しくもない。だが、連名で書かれていた国名は七つ。しかも、主要な国家たちだ。それらの重鎮たちが非公開で会談するとなると、かなり準備に骨が折れることは明白だ。

 なにより、丁寧な口調で書かれているが、七カ国がお前を待っているぞ、という強迫でもあるのだ。


 しかし、シルヴィアの桃色の唇は得体の知れぬ恐怖に震えているわけでは無かった。

 その唇は、やがて、静かな笑みを浮かべた。


 シルヴィアは、先程のサイドベッドの引き出しから、この落ち着いた雰囲気の王室に似合わぬ黒光りする拳銃を取り出した。

 あまりの物騒な代物だが……シルヴィアが初めて、人を殺めた思い出の品だ。

 そして、それで部屋の中央におかれていた地球儀を撃ち抜いた。


 地図上の何処かの国を狙ったわけでもないようで、地球儀はそのまま床へと落ちていった。

 だが、それが床へと落ちる前には、シルヴィアはもう興味を失ったらしく、また、サイドテーブルの引き出しへと手を伸ばした。


 彼女の白い薔薇のような腕が掴んだのは、三名が並んだ写真だった。


 ジーク・エリー・シルヴィアが並んだ写真。


「……陛下、今の音は?」


「何でもありません。


 それより……外遊の準備をお願いいたしますね」



 ◇




 某国、田舎町。

 蔦のように纏わりつく工場群でも、外套を羽織る紳士たちが蔓延る証券市場でも、若き男女が交わるきらびやかな夜の街もない、そういった加速していく社会からおいて行かれた老人たちが、静かに余生を送るような閑静な街だ。


 そんな街の仕立て屋に、珍しい客が訪れていた。


 この街の平均年齢を一人で下げてしまうような少女だ。

 髪は若々しい銀髪のショートで、青色の目はただただ美しい、全体的に華奢な印象を受けるが、よく見ると、ふくらはぎや二の腕等はしなやかで、日常的に繊細なスポーツに励んでいるように見える。


 そんな彼女は、メイド服の採寸を行っていた。

 日々、進歩していくこの社会だが、貴族政の頃から続く奉仕人という職業はまだ残されていた。


 とにかく、久々の若いお客に、店員の眼鏡をかけた老婆も喜んでいるようだ。


「まぁまぁ、どれでも似合う、本当にかわいらしいこと!

 ……でも、心配だわ、ご主人が悪い人じゃなければいいんだけど」


「大丈夫、私の隊長……じゃなくて、私のご主人はほんとうに嫌われ者だけど、私の中では唯一の存在だから」


「まぁ! こんな時代でも、主人とメイドの愛の物語があるだなんて! 感激だわ!

 きっと、ご主人は不愛想だけど、本当は陰で人を救ったり、花をめでたりする優しい人で……あら、わたしったら、つい。

 ごほん、さてと、お客様、採寸が終わりました。如何でしょうか?」


 姿見に映し出されたメイド姿の少女がとても映えていた。

 フリルのついた白黒のメイド服は、彼女の愛嬌を最大限まで強調していた。

 きっと、この老婆は凄腕の仕立て屋だったのだろう。


「わぁ……すごい、これならきっと……」


「ふふっ、ご主人も直視できないほどに眩しいわよ。


 そうね、仕上げと行きましょうか。

 メイド服は単にコスチュームじゃなくてね、ご奉仕のための実用的なユニフォームなの。仕事場に合わせて、ポケットの数とか、裾の長さとかを変えるの。


 キッチン用とか、ガーデニング用とか、来客玄関用とか、それとも……」


「戦場用で」


「……? 聞き間違いかしら」


「仮想敵は正規軍。

 想定状況は閉所でのCQB近接戦闘、山地でのS&D殲滅戦

 弾倉やナイフを隠せる隠しポケットと……小口径の銃弾と、爆発破片から身を守れる程度の軽いアーマープレートも付けられる? 

 うん、すぐに脱げるような、軽さでね。


 これで、足りる?」


 口をぽかんとあける老婆のポケットに、少女は分厚い札束をスコンと入れ込んだ。

 老婆は眼鏡をギラリと光らせ、広角を上げると、懐かしむように薄汚れた窓を見上げてこう言った。


「……おじいさん、暗くなってきたわ。店じまいを」


「ええ? まだ昼の一時じゃないか、ばあさん、ボケたのかい?」


「違うのよ、おじいさん、お客様がお見えになられたの。

 ……大戦時以来の、上客様がね」


「ああ、そうか、なら今日は終いだな」


 奥から出て来た老人は玄関のOPENの看板をCLOSEへと変え、カーテンを閉め切ってしまった。


「……さてと、お嬢ちゃん。

 いいえ、エリー・トスト様。喜んで仕立てさせていただきますわ」


「どうもありがとう、ミセス」


 エリー・トストは年相応にほほ笑んだ。



 

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