君主の絆




アリスの腕は関節とは逆方向にくの字に折れ曲がってしまった。

 あまりに激痛に、床に倒れ込み、身体をもだえさせるアリスだったが、エリーに容赦はなかった。

 メイド服のスカートの中身が丸見えになるのも構わず、そのまま馬乗りになると、全体重を乗せアリスの首を絞めつけた。


「くぅぅっ! こ、この、放せっ!」


 平均的な女性よりも背の高いアリスは、その身体中の力を出し切ってエリーを引きはがそうとしたが、まるで駄目だった。

 アリスだってただの背の高い女性ではない、高級士官とはいえ、一応の軍人としての訓練は受けていた。

 それでも勝てないということは……今になってエリーがようやく普通のメイドではないということに気が付いた。

 アリスは助けを呼ぼうと、扉の向こうに、締め付けられる喉の奥から力を振り絞って声を出す。


「けい、警備、兵……!――!」


 だが。

 そういえば、ほかならぬアリス本人が退けたのだった。

 アリスの抵抗力がだんだんと衰えていく、それを見計らったエリーは首を抑える手を片手にし、余ったもう片方の手で袖から例の煙草を取り出した。

 下衆な男どもを、腑抜けにしたあの魔法の煙草だ。それを口に咥えると、器用に片手で取り出したライターで着火した。当然、エリーが吸おうとしているのではない。


 火をつけたそれを、アリスの口元へと近づけた。


「なんだ、それは! 何をする気なんだ!?」


「……イっちゃえ」


「やめ……むぐっ!?」


 絶対に吸い込んではならない。そうわかっていても、窒息寸前のアリスの本能は呼吸を求め、それを吸ってしまった。

 そして、彼女は暗い闇の中へと堕ちていった。


 ◇


 気が付くと、アリスは暗闇に立っていた。

 意識がはっきりしない、怖くて仕方ないのを恐れ、暗闇の中を進み始める。


 と、暗闇の中、自分に背を向けている軍服姿の男たちが現れた。

 アリスはそれに見覚えがあった。

 アリスの部下たちだった。


「……な、何をしている、お前達?

 アーゼン地区での任務はどうなったんだ?

 報告はどうした?」


 しかし、男たちは彼女の声に振り向くことなく、何処かへ駆け出して行ってしまった。


「何故だ!?

 行くな、戻って来い!」


 アリスは追いかけたが、どんなにおいかけてもその背中は遠のいていき、遂にアリスは膝に手を置いた。

 すると、今度は向こう側から別の男が現れた。


「……宰相閣下!」


 ああ、そういえば、自分はようやく認められたのだった。

 思い出したアリスは、改めて、彼の名を呼んだ。


「父上、私は此処です!

 貴方の娘、アリス・アイロットはこちらです!」


 だが、ニムバスは振り返らない。


「父上、何故、こちらを見てはくれないのです!?

 お父上、父上!」


 追いかけて、追いかけて、喉が枯れる程まで叫んで……そして、やっと、ニムバスは振り返った。


「父上・・・・・!」


「うるさいっ!

 黙れ! 役立たずの無能!


 その目が気に喰わないんだよ、生まれた時から! 」


「……!?」



 そして、ニムバスもまたアリスを残して暗闇の中へと消えた。

 この暗い闇の底に残されたのは、アリスたった一人だった。




「なんで……どうして……!?


 私は愛されたかったから、父を愛し、この国を愛したのに……! 何故、誰も私を愛してくれないんだ!?

 どうして、どうして、どうして!?


 愛されたい!

 愛されるんだったら、人形でも、犬でも何でもよかったのに!


 なんでも良いのに! 」







「なんでもいい、本当にそうなんですね?」




 ふと、誰もいない暗闇の中から声がした。

 いや、もう暗闇など無かった。

 窓から入ってくる光が眩い。それに照らされているのは、真っ白な大天使のような神々しく美しい少女、シルヴィア・ウィン・トリスタンだった。

 微笑みを浮かべたシルヴィアは、頭を抱えて蹲るアリスの肩に手を置いた。


「愛されるのなら……なんでも……」


「ならば、アリス・アイロット。

 私の犬になりなさい。

 貴女の持てる愛で私を愛するならば、私は小さじ一杯程度の愛を貴女に授けましょう」


「へ、陛下は、どうして……?」


「だって、私は皆の女王。

 貴女の女王ですから」


「陛下、陛下……! シルヴィア・ヴィン・トリスタン陛下!」




 アリスの中から宰相閣下という文字が消え去り、そして女王陛下という文字がくっきりと浮かび上がって来た。

 アリスは腕の痛みすらも忘れ、シルヴィアの前に跪いた。


「そうでございました、陛下!

 私は貴女様の犬でございます! 忠犬です!

 どうか、この犬めに、貴女様の勅令を!」


「いいでしょう。


 アリス……ニムバス・アイロットを殺しなさい」


「はっ、もちろんでございます!

 この私、アリス・アイロットが、ニムバス・アイロットの息の根を止めてごらんにいれましょう!」


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