交渉決裂
「し、しかし、一体どうなるのです!?え」
「い、今から、退役届は……」
リストニア王国軍中央情報部は騒然としていた。
アーゼン地区で、大規模なデモが発生。
その伝えは、アリスの部下からの鳩による隠密速達便でやってきた。
だが、この時点では彼女を除く者達の反応は楽観的だった。
しかし。
「慌てふためくな……それで、被害の報告はどうなっている?」
アーゼン地区から来る筈の、船で輸出する製品が届かない。
厄介のきっかけはそうした王都の港からの通報だった。
この国、リストニアの工業製品は、壊れやすいが安い、やすかろう悪かろうの精神で、そこそこ諸外国からの人気がある。ただ、この技術・工業力が一瞬で跳ね上がるような、この無茶苦茶な世界では、一瞬の遅れが世界から取り残される原因となる。
顧客の納品に遅れが出るなど、あってはならないのだ。
いや、国の行く末なんて、此処に居るもの達はそこまで重視していない。
宰相閣下のご機嫌が怖くて仕方ないのだ。
とにかく、アリスは目の前の問題に集中する。報告によると、デモの中心は、本来デモを鎮圧する筈の軍隊らしい。そこの指揮官は……アリスに近しかった人物だ。
(アリス姉様、私も姉さまみたいな、勇ましい軍人に……!)
追想を遮って、突如、会議室の扉が乱暴に開かれた。
現れた宰相直下の士官たちは声高らかに宣言した。
「諸君、良く聞け!
宰相閣下は、この事態に酷く落胆した!」
「す、少し、弁解のお時間を!」
「ふっ、カルロス中佐、弁解など不要だ。
……我らが偉大なる宰相閣下は、既に解決策を見出された。
我が軍が誇る生粋の愛国軍人、アルフレッド大佐が率いる戦車部隊をアーゼン地区に投入し、反乱を企てた軍、そしてそれに関わった全ての者を文字通り押しつぶすのだ!
貴様らは、そこで今後の処遇を振るえて待つが良い! 」
「なっ――! 」
アリスは言葉を失った。
この際、処遇についてはどうでもいい。
自国軍が、自国民を蹴散らそうと言うのだ、そんなことあっていい筈がない。
だが、高笑いと共に去って行こうとする高官達に、異議を唱えることは出来なかった。
民衆の革命を指を咥えていると瞬く間に肥大化し、国家というものは意図も容易く崩れてしまう。
国益を守るのが自分の務め、そうなるぐらいなら、潰してしまえ――非情な諜報部の軍人としてのアリスはそう言う。
だが、その中には、自身の妹であり、宰相の娘であるエミリー。
加えて、自分を慰めてくれたシルヴィアの近衛兵のジークもいるかもしれない。
彼等を始末するのが、果たして、自分の望んだ役割なのか。
この役割を続けたところで、何かが変わるのか――激しい眩暈と共に思考が停止する。
幼い頃からの愛の無い愛国教育を受けて来たアリスは、矛盾に対しての弱点があったのだ。
◇
一方、アーゼン地区においては。
首都を中心とした本国との、連絡橋を封鎖し、完全に孤立状態になっていた。自ら望んだ離脱、所謂名誉ある孤立だ。皮肉なことに、アーゼン地区はドブネズミの住処として上層階級に嫌われ、物理的に距離が離れていたので、封鎖自体は容易だった。
けれども、これは国に対する離反、皆殺しにされても全くおかしくない。
だが、誰も恐れていない。
兵士達の士気は旺盛。民衆たちもバリケードづくりに協力したり、兵達に差し入れや激励の言葉を飛ばした。
誰もが、皆が協力して、悪に立ち向かう……そんな、昔思い描いていた夢が、現実に起こっている。エミリーは感激していた。
彼女が駐屯地で、少ない物資をやりくりしようとしている時だった。
本国司令部と、駐屯地を繋ぐ受話器がベルを鳴らした。
「……こちらはリストニア中央軍司令部だ」
「こちらは栄えあるアーゼン地区守備隊、クロウ隊だ。
そちらが散々、我々を無視してきたように、我々もそちらに話すことは無い。
以上――」
「待て、待ってくれないか。
エミリー、私だ、アリスだ」
「っ……!? 姉さ、いえ、大佐殿……」
尊敬していた人物、けれども、疎遠になってしまった姉との思いがけぬ邂逅。
エミリーは慌てて、周囲を見渡したが、運がいいのか、悪いのか、自分一人だった
「ああ、何年かぶりだな。
端的に言う、交渉がしたいんだ」
「交渉……?」
「ジーク・アルト、彼の身柄を私個人に引き渡して欲しい」
「……随分と勝手なことを言ってくれるね、姉さま」
何かをエミリーの口調で悟ったのか、受話器の向こうで息を呑む声が聞こえた。
「やはり、彼が深く関与しているようだな。
……もちろん、彼に危害を加えることは無い、宰相にも内密で行う。
今、こちらでシルヴィア陛下と付き人の方の身柄を預かっているが、ジーク少佐と共に三名にこの国を脱出してもらおうと思う。
そして、陛下には見返りとして、この国で起こっていることを世界に告発してもらおうと考えている。
正しい方法で、宰相を含めた首脳部の罪をただす。
陛下を利用してしまうのは本当に気が引けるが、陛下ならばして下さる筈。
当然、お前とその部下も保護する」
「……」
「わかった、秘密は無しだ。
公にはなっていないが、宰相は、近いうちにアーゼン地区を機甲大隊で攻め立てることを計画している。
そうなれば、大勢の命が絶えることになる。
頼む……気持ちは分かる、この国は所詮発展途上だ。
発展の為に、労働区域であるアーゼン地区の人々に苦労を強いていた。
だが、暴力の伴った革命は、リカールと同じ末路を辿るだけだ。仮に……宰相を殺め、アーゼンが独立を果たしたとしても、分断されたこの国に一人立ちできる体力なんてない、共倒れするだけだ。
今の世界は御伽噺じゃないんだ。国際世論とか、経済とか……全てが複雑に絡みあっている。
私を恨んでもいい、今まで培ってきたものはすべて捨てる、裁きは受ける。
ただ、私には国を護るという責務がある。
考え直してくれ、エミリー、賢いお前ならわかる筈だ」
「責務……姉さまはいつも、国を護る為の勉強をしていたね。
愛国心を大事にしてた」
「わかってくれたか、エミリー。なら――」
エミリーは受話器の線を、指で握りしめた。
「いや、断る。私はエミリー・アイロット少佐。
此処に、私の誇りも、愛も、正義もある。
そして、姉さまが……大佐が立っている場所に、私の憎悪と敵が居る。
御伽噺じゃないこの世界でも、力で己を押し通す人を私は見た。
彼のように、彼の為に……やってみせる、私達が陛下を救い、彼と再会させる。
覚悟はできてる」
「そんなことできるわけない!
それに、陛下と少佐を再開させるってことは――見返りなんてない、何も成就しない、お前は只のただ働きじゃないか!」
ジークとシルヴィアの関係……エミリーには、想像も付かないが、ただの護衛と君主というわけではない、そんなことはエミリーにだって分かっていた。
「エミリー……すまない、私はただ――!」
「お金を払えば何でも買える。媚を売れば上に上がれる。
見返りが成立している世界なら、そこにあるじゃないか。
ただ……姉さまがそれに納得できているようには見えないけど。
私は納得できるよ。
一瞬とはいえ、彼の横に立ててた時間は幸せだったから。
さようなら、姉さま。
……結論を言おう、アリス・アイロット大佐、我々は交渉には応じない」
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