番犬

 

「……そうか。

 だが、私のやることは変わらない」


 通話を一方的に切られたアリスは、椅子に深く腰掛け、天井を見上げながらそう呟いた。

 そして、アーゼンにいる自身の部下に向け、伝書鳩を飛ばした。


 ◇


「やめろ、私は王都に帰るんだ、ここを通せ!

 よせ、やめてくれぇ!

 頼む、赦してくれ!」


 夕暮れの路上、工場の経営者らしい男が、屈強な男たちに引きづられながら連れ去られていた。

 群衆は歓声を上げる。

 そして、ジークは露店で買ったコーヒーを飲みながら、その様子を眺めていた。


 と、細い路地裏から、控えめな小さな足音が聞こえ、ジークは背後を見ずに、問いかけた。


「今日はマッチは要らないぞ」


「っ!?

 あ、あの時の兵隊さん、こんにちは。

 今日はね、マッチを売りに来たんじゃないの」


「そうかそうか、金をたかるなら、お人よしのお姉さんの方に言った方が良いぞ。

 クソ親父を惨たらしく惨殺しろって言うならやってやってもいいが」


「えっと……? 

 そうじゃないの、違うの、怪しい人たちが居るの。

 兵隊さんたち、怪しい人さがしてるみたいだから」


「ほう?」


 ジークの眼の色が変わった。

 マッチ売りの少女はその表情に怯えながらも、ジークをその者らの元へと案内した。


 何時だったか、定価の百倍でマッチを少女から購入したジーク、恩というものは、極稀に帰ってくるものだ。


 ◇


 "ジーク・アルトの身柄を拘束せよ"


 その暗号化命令文を受け取ったアリス配下のスパイは、即座に動き出した。


 路地を歩く三人組。

 誰がどう見ても、工場が稼働を停止し、暇を持て余して歩きまわっている労働者に見える、要は場になじんでいるということだ。


 だが、そんなプロの彼らも、人気のない細い路地に入った瞬間、目的の人物ジーク・アルトと傍らに幼女が居た時には内心驚きも隠せなかった。

 しかし、どんなに動揺しても立ち止まるわけにはいかない。

 偶然かもしれないし、罠かもしれない。

 例え人気のない路地だったとしても、此処でジークを捕らえるのはリスクが高い。


「ああ、それでさ……」


 三人組は気にも留めずに、世間話をしている振りをしながら、ジークの横を通り過ぎようとした。


「で、この三人の方々が怪しい人なのか?」


「そう、そうなの! 」


 だが、通り抜けられそうには無かった。

 ジークの背中に隠れるようにしている幼女がしきりに頷いていたからだ。


「成程。

 ……ある意味、一番、勘が鋭い時期っていうのは多感な幼少期ってことなのか。


 どうも、リストニア軍です、手荷物検査のご協力を」


「おお、兵隊さん、ご苦労様。 どうぞ、遠慮なく」


 しかし、スパイは内心安堵し、嘲笑した。

 手荷物の偽装なんて、お手の物だ。

 実際、彼らが持っているものは雑多な工具、工場で使っていると言えばなんら不自然ではない。


 だが、ジークは彼らが受け渡そうとした手荷物は受け取らず、こういった。


「じゃあ、青い服の方。

 右の靴下の中身を」


「……あ、ああ。不用心だからな」


 靴下の中から出てきたのは数字が書き込まれた紙切れだった。


「ジョニーの部屋は汚いからな。きっと、洗濯中に入り込んだんだ。なんだよ、この紙切れ」


「そうかもしれねぇ、なんだろう、自分でもわからねぇや。

 酔った時に賭けごとかなんかのオッズでも書いてたのかな」


「いや、違う、違うだろう?

 これは暗号を解くための鍵じゃないか。

 暗号鍵を隠すのは、頑丈な金庫じゃなくて、もっとも一番手が届く場所、それが鉄則。

 なぁ、そうだろう?」


「……は? 何を言っているのか、さっぱり、わからないんだが」


「だから……中央から飛んでくる鳩が咥えたお手紙を読み解くのに、これを使うんだろう?」


 図星だった。

 スパイは心臓を掴まれたような息苦しさを感じながら、尚も演技を続けた。


「中央って……おいおい、まさか、俺達を政府の番犬だと」


「番犬?

 中央と聞くだけで、諜報関係を思い浮かべるなんて、中々の博識じゃないか。

 なぁ、中央情報部、アリス・アイロットの諜報員さん」


 ジークは両手を上げ、そうなんだろうというジェスチャーをして見せる。


 スパイに残された手段は三つ、このまましらばっくれ続けるか――それとも。

 一人の男が困惑の表情を取り繕うのをやめ、真顔で、両手を上げた。


「……降伏する。

 陸戦条約に従い、投降した我々には人道的な扱いを求める」


「成程、そう言うことなら仕方ない。それがルールだというのならな」


 観念したかのように両手を上げた三人を拘束する為にジークが近づく。

 そう、彼らに降伏しか手が残されていない。

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