演説
あれだけ憂鬱だったアーゼン地区が変わった。
今日も、今日とて、朝から笑い声と喧噪が絶えない。
何故なら、今日は素晴らしい朝だったからだ。
アーゼン地区に設けられた申し訳程度の貧相な公園の噴水、そこにカラスにたかられている死体が置いてあったからだ。
死体の下には、カラスのエンブレムが描かれていた。
羽根のように舞う白い書類、一人の男がそれを掴んだ。
「……ロバートソン国税局係長……?
凄いぞ、今回も大物だ! 」
「思い出したぞ、あの偉そうなデブの税金取り立ての役人か!」
「数年前の女児暴行事件の犯人だったって噂のな……。
ははは、ざまぁみろ!
神は見ている! いや、鴉たちは見ているんだ!」
アーゼン地区は、明らかに異常だった。
支配者たちが、毎晩のように死んでいく。
役人たちは恐れ、何度も本庁に異動願を出し、部屋に閉じこもった。工場を取り仕切る資本家たちも得体の知れないカラスを恐れ、威張り散らしながら、工場を歩き回ることは無くなった。
そして、人々は笑い合う。
その様子を、ジークとエミリーは遠くから見つめていた。
「姿を見せることなく、影から悪を成敗するもの……ダークヒーローって奴かな」
「しかし……皆、本当は気づいているみたいだ」
抹殺部隊カラスこと、クロウ隊は当然、市民どころか軍部にも正体を明かしていない真黒な部隊だ。
だが、市民達は此処の軍人が、カラスであるということを確信している。刑が執行されるのは、決まって夜中。夜中には外出禁止令が出され、一般労働者たちは外に出れない。
となると、日々毎晩、夜を渡り歩いていた彼らなんじゃないかと疑うのは当然だ。
「……ただ、誰もそれを国に密告したりしない。
歪んだ形ではあるが、私達を期待して、信頼してくれているんだな」
「ま、言ったところで、国は聞く耳なんてもたないだろ。なにせ、未だに何もしてこないからな、国のトップ殿は。
眠っているなら……叩き起こすだけだが。
エミリー、ポーンにしてほしいとか言ってたな」
「あ、ああ……いや、今思い返すと、な、なんというか、むず痒いな……」
「そんなことはどうでもいい。
チェスは面白い。たかが一兵のポーンであっても、敵地まで突撃しきれば、成れるんだ。
昇進おめでとう……今日からクイーンだ」
「は?」
◇
外出制限が迫る午後9時、アーゼン地区の人々は帰宅についていた。
苦しい労働、それが終わったら、狭い部屋に帰るだけ……日常が変わったと言っても、そこは変わらない。ちなみに、今日は日曜日だ。
だから普段ならば人々は、ほんの少しでも、疲れをとる為の時間を手にしようと帰路を急ぐのだが……今日はあまりに異質な光景が広がっていた為、皆、脚を止めた。
「な、なんだこりゃあ……」
アーゼン地区の物流の心臓である大通りが、軍の車両とバリケードによって、封鎖されていたからだ。
当然、こんなことは一度も無かった。
やがて、足を止めた群衆の前に、装甲車がゆっくりと現れた。本来、機関銃士がのるハッチに搭乗していたのは、麗しの姫騎士、エミリー・アイロットだった。
動揺する市民達を一瞥し、とある方向に視線を向けた後、胸に手を当て、口を開いた。
「私は、アーゼン地区の軍務を担当するエミリー・アイロット大佐だ。
そうだ、アイロット。ニムバス・アイロット宰相の娘だ」
「な、何だって……!?」
「あの娘、見たことある。まさか、宰相の娘とは……」
「ちっ、本当は、俺達を笑っていたのか」
群衆から囁きのような声が漏れる。
しかし、実はエミリーの台本としては、もっと騒ぎ立てて欲しかったのだ。
ただ、この国での政権批判は、自分のみならず家族皆死刑だ。
予想の範囲内、このまま演説を続けるしかない、そう考えたその時、静寂を切り裂いて、エミリーの聞きなれた声が飛び込んできた。
「宰相なんてクソくらえだ」
「お、おい!」
「馬鹿じゃないのか、命知らずめ!」
暗闇の何処かから聞こえてきたその声は、確かにジークの声だった。
要するに内部関係者、サクラだ。
だが、これで舞台は整った。
「……成程、どうやら此処には、宰相閣下を排泄物呼ばわりする不届きものがいるようだ。
いや、私もそう思う。
宰相閣下、いや、ニムバス・アイロットなんて……只のカスだ」
「い、今、宰相閣下のことをカスって……!?」
「そうだ、カスと言った!
無能とも言おう、ロクデナシだ、丸々と太った豚だ!
君たちが、いや、私たちがどれだけ懸命に働いても、殆どは奴の腹の贅肉になるだけだ!
それでいいのか?
私は良くない、あれだけ頑張っても、苦しみ続けている親愛なる君たちの姿をみていると、胸が張り裂けそうだ!
王都の兵達は誰一人として、此処を守りに来なかった!
全部、全部、この国のトップ、宰相の責任じゃないか、違うか!?」
「そ、そうだ!」
「宰相が何だ、あんな奴、クソくらえだ!」
群衆の中から少しづつ声が上がり始め、やがて、宰相に対する誹謗中傷の大合唱となった。
そのタイミングでエミリーは、部下に合図を送り、ある旗を掲げさせた。
「おお……カラスだ!」
「やはり、彼らがカラスだったのか!」
「万歳、俺らの救世主たちに万歳!」
「そう、我々はたかだかカラスだ。
だが、我々には鉤爪と、超えた豚には無い生き抜くための生存本能がある!
宰相、王都の貴族たちに思い知らせてやろう!
我々が家畜では無いということを、獲物を狩り取れる捕食者であるということを!
そして、我々には自由に空を飛べるための翼がある!
今こそ、この檻から大空へと羽ばたく時だ! 」
エミリーの高らかな宣言と共に、群衆たちは湧いた。
その日、エミリーたち、クロウ隊は夜間外出違反の取り締まり任務を放棄した。群衆たちも誰一人として、帰路にはつかず、日が昇るまで国の悪口や、自由への希望で大いに盛り上がった。その次の日も喧噪は鳴りやまず、アーゼン地区の無断欠勤率は98%を超えたと言う。
ここまでくれば、民衆たちがアーゼン地区の独立を目指すということになっていくというのは、何ら不自然なことではないだろう。
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