恩返し

「た、大佐殿……!」


「一体、どうしたんだ。アイロット大佐は……今朝から何か変だぞ」


「どうやら、昨晩、宰相閣下のところに行ったらしい。

 まぁ、触らぬがたたりなしってとこだな」


「何故、あそこまで頑張るのか……適当にやってれば、それなりの給料も、男もひっ捕らえられるだろうに」



翌朝、アリスは足早に囚われの塔の螺旋階段を上っていた。

部下たちが挨拶するのも躊躇る程、彼女の表情は、うつろで、切羽詰まり、息苦しそうだった。


「認められるため、父上の為に……シルヴィア・ヴィン・トリスタンを堕とす」


何かに囚われたように、そう呟きながら、アリスは腑抜けた顔になっている警備兵に違和感を持つことすらなく、扉を勢いよく開けた。

高位の幽閉者の為に、整えられた部屋の真ん中の丸テーブルの椅子に、シルヴィアとエリーが座っていた。

その仲睦まじい様子が、アリスの琴線に触れた。


「……アリスさん、お久しぶりです。何か、ありま――」


「シルヴィア・ヴィン・トリスタン、全ての書類にサインしろ。今すぐ」


「えっ?」


目を丸くするシルヴィアに対し、アリスは椅子に座らず、そのままシルヴィアの方を強くつかんだ。

一瞬、エリーの目つきが変わったが、シルヴィアがそれを制すというやり取りにも気づかないまま、アリスは一気に切り札を切ろうとした。


「サインをしないのなら、あの士官、ジーク・アルト少佐を、殺……。

 ジ、ジーク・アルトを……ああ……」


だが、言葉は最後まで紡がれなかった。

アリスの意識が急に遠のいた。昨晩、雨にうたれたのが響いたのか、それ以外にも傷を負った為か。

そのまま、倒れこむアリス。

だが、床に打ち付けられるという強い衝撃を感じぬまま、意識を失った。



崩れ落ちたアリスは、シルヴィアに抱き留められていた。

アリスの眼鏡は床に落ち、その隠れていた目元がはっきりと見えるようになった。

目元は腫れていた。

だが、すー、すーと寝息を立てているその姿は、


「可哀そうに、傷を負ってしまったのですね」


「シルヴィアちゃん……この人、どうするの?」


「助けてあげましょうか」


「んー、でも、その人は敵だと思うよ」


「あら、知りませんか。

 私の好きな物語に、東洋の昔話があります。

 ……罠にかかった獣を助けたら、恩を返しに来てくれるんです」


「この人が獣だったら、ね」


「はいっ」



「此処は……」


アリスは目を覚ました。

いつもの見慣れた飾りっ気のない独身将校向けのベッドでは無く、身に覚えないふかふかのベッドだった。

そして、いつもと違うことがもう一つあった。

額には濡れたタオルが掛けられており、自分の傍らには少女は居た。


「シルヴィア……陛下?」


「お目覚めになりましたか、良かったです」


「一体、これは……くっ……」


「ああ、まだ立たないで。

 どうやら、凄い熱の様でしたから。

 エリーさん、水を沸かしてください」


女王であるシルヴィアがアリスの額の汗をぬぐい、メイドのエリーがやかんでお湯を沸かしている。

何故か、自分が落とすべき相手が自分を看病している。

弱った体のせいで、事が起こる前後のこともよく思い出せないアリスに、この光景を理解するというのは難しかった。


「……何故、こんなことを」


「何故か、聞きたいのはこちらの方です。

 一体、何があったんですか?

 私とて女王です……よければ、聞かせてください」


「何が……うっ……!」


瞬間、アリスの脳裏に昨日の父の拒絶がフラッシュバックした。

そして、心配そうにのぞき込むシルヴィアの目に反射した自分の目を嫌悪した。


「こんな目さえなければ……! こんな醜い眼があるから、いつも、いつだって、私は……!」


「醜くなんてありません、綺麗です」


「陛下……?」


「貴女が相手を見据えるときの目つき……真剣そのものでした。こんな目をできる人はそういない、私はそう思います。聞かせてください、貴女のことを」


そして、アリスの中で濁流をせき止めていた、何かが崩れた。

アリスは幼少期から家庭教師に囲まれ、他の世界をみてこなかったこと。

君が無能だから父君は、君を嫌っているんだ、国の為に尽くせば父君も認めてくれると洗脳じみたことを延々と聞かされ続けたこと。

だが、それでもなお、自分を取り巻く苦しい現状をぽつりぽつりと話した。





……ここまで聞くと、美談のようにも思える。



しかしながら、アリス・アイロットは、この国の重要な地位に位置する士官。

言ってしまえば、ただの愚痴なのだが、その愚痴は国家機密レベルだ。

この国の要人たちの誰が、何を企んでいるのか、その全てを敵対する国のトップに語ってしまったのだ。


ただ、それだけの忠誠心を持てるだけの国なのだろうか、この国は。



アリスは一通り話を終えると、立ち上がった。


「申し訳ありません……残念ながら、我々の立場は変わりません、陛下。

 ……警備兵は今後、この部屋の前には置きませので、可能な限り、自由に過ごしてください。

 私も、上と陛下の待遇についてを相談させて頂きます。


 ありがとうございました……それでは」


「待ってください、これを」


「……これは?」


「幾つかの書類にサインしました。

 全部には出来ませんが……これであなたが楽になるなら……」


アリスは愕然とした表情で受け取ると、暫く硬直した。

そして、逃げるように部屋を飛び出した。





だが、直ぐに、扉の向こうから慟哭と書類を破き捨てる音がした。




「……優しさは弱さでもあるし、時には強さでもある。

 そうですよね、ジークさん」


シルヴィアは扉の方を向いたまま、微笑んだ。

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