犬
男は恐怖に支配されていた。
ラッセルを解放するためにと、幾度の試練を乗り越え、ようやく、憎き者達を地獄の窯で焼きあげる寸前まで来た時だった。
炉に大穴を開ける為、爆薬をセットし、あとは導線を仕掛けるだけだった仲間は突如、後ろから飛んできたパイプ管に胴体を貫かれて死んだ。
もう一人の仲間は銃で応戦しようとしたものの、複雑で、煙立ちこめる工場内で敵の姿を見失い、パニックになり、火気厳禁の所で発砲してしまい焼死した。
そして、自分はというと、その化け物と蒸気の霧の中で格闘戦を行っていた。
腕っぷしには実力があった男だが……。
「ぐっ! ……なんて、野郎だ。化け物め……!」
口からは吐血、腕はへし折れ、掴み上げられた髪はむしられている。
一方のジークは、返り血以外ではとくに傷はないようだ。
男は覚悟を決め、雄たけびと、ナイフと共にジークに、一矢報いる為に猪突猛進の突撃を敢行した。
が、その覚悟と強靭なナイフは、ジークのただ一つの蹴りにより、へし折られた。
「がぁ、っ!
足に何か、仕込んでいやがったな。畜生!
……いや、義足か! そうか、わかったぞ!
実在したのか、お前は、リカール大隊の少佐だな!」
「さぁ……」
「惚けるな!
俺はお前を知っている!
お前のような人間が、何故、そちら側にいる!?
狼と呼ばれた男が国の犬に成り果てるなんて、滑稽だ!
見ろ、国を無くしても尚且つ絶えぬ、我らの戦意を!
貴様に戦士としての誇りがあるなら、こちらに付け――うえっ!」
だが、男の説得はジークには届いていなかった。
話に力が入りすぎた男は、ジークがパイプ管を持ち上げたことに気づかず、一瞬で、串刺しにされてしまった。そして、そのまま、細身君のジークだが、信じられないような握力で管ごと男を持ち上げた。
「がはっ、み、見損なったぞ、少佐。
所詮、貴様も強者に尻尾を振る、い、犬……だ。
お……お前に、ほこ、り」
「誇り?
そんなものは無い。
知性すらも残されてない。
……心臓が動く限り、誰かの心臓を止める。俺はそういう存在でいい」
そして、ジークは燃え盛る炉に男を無造作に投げ込んだ。
◇
工場、一部地域の電気の遮断と、数名の兵士が重軽傷を負った。
だが、リストニアの被害は、そのぐらいだった。
アーゼン地区の住民たちには、直接的な被害は無かった。
電力の復旧も少しづつ行なわれていき、壁は修復され、日常が速やかに戻りつつあった。
しかし、変わったこともある。
とある角で、父とその息子が歩いていた。
「……全く、物騒なこともあったもんだ。
みんな、ピリピリしてる、お前も気を付けるんだぞ」
「大丈夫だよ、パパ! 悪い奴なんて、僕が全部倒してやる!
ヤーッ!」
「こら、いきなり走るんじゃない!」
走り出した少年は、父の制止を無視し、角へと飛び出した。が、直後に向こうの角から来た者達とぶつかってしまった。
「うわぁ!?」
「ほら、言わんこっちゃない
すみません、うちのバカ息子が……こ、これは兵隊さん!?」
父親は恐怖で身体を凍らせた。
自分の息子がぶつかった相手が、大柄で、覆面をしていて、しかも完全武装している軍人たちだったからだ。
この地域では、外出制限等もあり、それを取り締まる軍人と市民の間では大きな隔たりがある。日々、つらい思いをし、苛立っているのはどちらともなのだ。
此処の軍人は嫌われ者でもあるし、怖がられる存在でもある。
しかも、あれだけの騒動があった後だ。かなり気が立っている筈だ。
転んでいる息子を起こす事よりも、父親は必死に頭を下げようとしていた。
だが、覆面姿の屈強な兵士は倒れた少年に手を差し伸べた。
「走ると危ないから、気を付けるんだよ」
「あ、ありがとう」
「お父様も、直ちに危険はありませんし、我々も全力で使命を尽くしては居ます。
ですが、何があるかは分かりません。
我々は巡回を強化しています。何かあれば、直ぐに呼んでください」
「ど……どうもありがとうございます!」
覆面越しで、目元以外は見えず、声もくぐもったままだったが、確かな優しさを感じ、父親は思わず目頭を熱くした。周囲ではっらはらと見つめていた群衆にも温かな感動は伝わったようだ。
「……お父さん、僕、将来、兵隊さんになろうと思う」
「ああ、いいかもな……。
そうだ、頑張りなさい。
でも……くれぐれもああいうのにはなちゃいけないぞ」」
息子の夢を応援しながら、父親は今度は、ある方向を見つめ眉をひそめた。
その方角には、工場の責任者に唾を飛ばしながら、怒鳴りつけるでっぷりと太った役人たちが居た。
「貴様! これで今月のノルマが達成できなかったら、どうするつもりだ!
早く、工場を動かせ!」
「しかし、予想外の事態でして……みんな頑張っていますが、今すぐ復旧というのはとても……」
「うるさい、黙れ! 私は宰相閣下と面識があるのだぞ!
貴様のようなクズは、家族ごと全員打ち首にしてやる!」
「ひっ!? どうか、それだけは!」
怒鳴り散らす役人は気づいていない。
自分の背中に突き刺さる、十、百をも超える冷たい視線に。
こうして、自然な形で、人々の怒りの矛先は、ある方向へと向けられていった。
◇
「……ご苦労」
路地裏、そこにジークは一人壁にもたれて突っ立っていた。
そこにさっきの巡回部隊が通りすがったのだ。
「いえ、手馴れていますので」
「諜報部隊か、成程、女王陛下が好きそうなやり方だ」
そう、顔を目出し帽で隠した親切な彼らは、トリスタンから来た特殊工作部隊だったのだ。
突貫工事のリストニア語も、随分、様になってきたようだ。
「興味本位で聴くんだが……やっぱり、お前達からすれば、君主と馴れ馴れしい俺は厄介者なのか?
……いや、何でもない。迷惑な質問だったな」
「いえ、我らトリスタン騎士団は女王陛下の為なら、朽ちることを恐れない剣です。
同時に、戦友の為なら、喜んで死んで見せましょう」
「……そうかい。
とりあえず、計画は全て順調だ。
じゃ、
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