第32話 命名理由

「き、貴様……」




「やぁ、お久しぶり。

 成程、貴方方は上手く逃げ切ったようだ。

 そして小さいながらも国を作ったと……素晴らしい。

 リカール共和国、か……不愉快だな、この名前は」




 サーシャは目の前が真っ暗になった。

 玄関がノックされ、扉を開けると、党に死んだと思い込んでいたかつての同級生が現れたからだ。

 それでも、彼女は名門校が誇る才女だった。

 それに今は一人の母親だった。

 勇気を振り絞り、一瞬の隙を突いて、ジークの懐に包丁を突き立てようとした。

 しかし、それはジークのまるで容赦ない彼女の腹部への蹴りによって無慈悲に蹴散らせられる。

 短い悲鳴を上げ、吐瀉物をまき散らしながら、倒れこむ。


「サーシャ――!」


 アサドがあげようとした悲痛な叫びは、エリーが彼の口の中に押し込んだサブマシンガンの銃口によって遮られる。


 誰からも見下されていた劣等生は変わった。


 見下されていた側から、幾多の死体を見下す側になった彼の目に自信のなさなど最早皆無だ。何匹もの家畜、同類を食い殺してきた百獣の王の眼光に変わっていた。



 誰からも蔑まれていた売春婦の娘は変わった。


 手を上げられる側ではなく、手を上げる側にたった彼女に目に怯えはない。逆に今の彼女の理解不明な瞳を理解してしまったものは恐怖で怯えて、発狂してしまうだろう。






 そんな奴らが戻ってきたのだ。


 遠ざかっていた死がまたやって来た。




 絶望。

 五年前に逃げ切った筈の絶望が追ってきた。

 だが、彼らにも変わったことがある。




「やめろ! 父さんと母さんを離せ!」


「……!?

 ウィル、駄目だ! 」


「おお……可愛らしいお子さんだ。

 君、何歳なんだい?」


「黙れ! 僕は母さんから、村の皆から聞いたんだ!

 お前は悪魔だ! 赤ちゃんみたいに八つ当たりしてただけの子供だ!」


「……エリー、この子賢いぞ」


「ジーク君……流石に学校中退したからって五歳ぐらいの男の子に負けるのは情けないよ」


「正義は勝つんだ! お前みたいな悪魔は僕が倒す!」


「止すんだ、ウィル! 少佐、やめてくれ!」


「いいお子さんだ。

 とてもご両親に似ている。……ご褒美だ、高い、高い」


 ジークの前に子供も、女も無い。

 片手でその子供の首を掴み上げ、壁へと押し付ける。


「止めろ! 止めてくれ!」


 今までに聞いた事のない、高飛車だったサーシャの悲鳴に似た声。

 ジークはそれに何かを感じ取ったのか、既に失神している子供を離す。




「そうだった。

 お礼を言わなくちゃならないんだ。

 この土地に敗北主義者の売国奴を集めてくれてありがとう。

 お陰で、最後の掃討作戦は楽に済みそうだ」


「……まさか、わざと泳がせていたのか……!?

 ま、待ってくれ。もう戦争は終わった! もう皆は戦争なんて――」




「俺がいるところが戦場だ。

 次は俺達の番だ。理不尽に付き合ってもらうぞ」


 そして、彼らは殆ど抵抗も出来ずに、無残にも拘束された。


 ◇




 この集落は彼らが一年近くかけて、ようやく見つけた安寧の地だ。

 途中で、ならず者たちに遭遇したり、逆に彼らが生き残る為に、彼ら自身がならず者に堕ちることもあった。


 そこまでしてようやく手にした彼らの第二の祖国が、めらめらと音を立てて燃えている。

 王子達に最後までついてきてくれた善良な民達は、バタバタとなぎ倒されている。


 たった二人に。


 アサドとその家族は十字架に括り付けられている。

 リカール古来からの伝統的な処刑方法。奇しくも父の最期と同じ状況だ。




「た、助けて!」


「なんで、なんで俺達を追い回すんだぁ!?」


「もうやめてくれ!」


「王子様、助けてください! どうにかしてください!」


戦いを忘れた、若しくは捨てた哀れな住人達に抗う術はなかった。



「……やめろ、やめろと言っている!

 こんなことして何になるんだ!?」


 手にしたものが崩れ落ちていく地獄絵図。

 そんな光景を目を覆うことすら、耳を覆うことすら許されない。

 彼らには精々言葉を発することしか出来ない。

 だが、彼らはジーク達に言葉が通じないということを誰よりも知っている。

 たとえ、声が枯れるまで泣き叫んだとしても。


 そして……阿鼻叫喚が止んだ。


「終わりか。

 エリー、全部合わせて何人ぐらい殺ってきたんだっけ?」


「うーん……20万人ぐらい? わかんないや」


「みんな、みんな……死んだのか?

 フェルナンド、アイナ……おい、誰か、聞こえないのかい……? 

 誰か、誰か、誰か――返事をしてくれ!」


「はーいっ!」


 エリーのあまりに不謹慎なおふざけを聞いて、ジークはこの死体累々の地獄絵図の中、大爆笑する。

 サーシャは恐怖を忘れ、怒りをあらわにする。




「――ふざけるな!

 何処まで殺せば済むんだ、何が少佐だ、何が大隊長だ、この殺人鬼!

 何もかも、私の全てを、やっと掴んだ幸せを…… …… ……よくもっ! よくもッォォォ!」



 ジークはそんな魂の慟哭を聞こえないかのように、ひとしきり笑った後、顔を彼女の方へと向けた。

 何かを成し遂げたような、清々しい笑みを浮かべる。




「弱者は不要。

 この機に及んでまだわからないか?

 ガキの頃の俺が鉱山で毎日餓死しかけてたのは、俺が弱かったからだ。

 理不尽に俺が前線へと送られたのは、俺が弱かったからだ。

 それを散々嘲笑われたのも、俺が弱かったからだ。

 何度も死にかけたのも、友軍から撃ち殺されかけたのも……全部俺が悪い。


 だから、強くなった。

 そして、同じようなことをした。

 俺は無敵じゃない、誰だって止めることは出来た筈だ。


 やっと、幸せをつかんだ?

 馬鹿を言え、何も終わっちゃいない。


 誰が休戦なんて言った? 


 誰が終戦だなんて言った?


 誰を殺して、何に満足するか……それは全部俺が決めることだ」


「私達はそんな世界のテーブルクロスを思い切り引っ張っただけ。

 まさか、ここまで世界がひっくり返っちゃうとは思わなかったけどね。

 でも、こんなことで大慌てする世界なんて……どうなっちゃってもいいんじゃない?」



 無茶苦茶な理論だというのは、分かっている。だがアサドも、サーシャも一切の反論が出来ない。

 こんな二人……いや、化け物の目の前では。

 アサドは、全身全霊の思いを込めて、最期にこれに賭けた。



「……子供がいるんだ、助けてくれ。

 この子に罪はない、そんなことぐらいわかるだろう?

 子供にまで手を出したら……君はもう……」




「俺がもうなんだ、何になるんだ?

  俺は地の果てまで堕ちている。

 これ以上堕ちたからなんだ?

 良心に従って人殺しをするような輩に見えるのか?


 子供がどうした?

 自分の子は助けて、か。

 わが子が愛すのは良い親だ。

 子供を前線送りにしていた王族の仰ることは身に染みる。

 まぁ、でもお宅のお子さんは未だにぐっすり眠っている、精々起きないように静かにしておくんだな。


 ……エリー!」


 エリーは唇に二本の指を当てると、音のしない口笛を吹いた。

 いや、これは犬笛だ。




「……こういう山の狼はな、寒い時期になると獲物が狩れなくなるんだ。

 腹も空かしてるし、イライラしてる。

 それに加えて、奴らは新鮮な食材を好む。

 獲物を生かして、中々死なないように数日かけてじわじわと。

 しかも、雌にも飢えている。それが違う生き物の雌であっても本能丸出しになるぐらいにはな」


「犬の餌に成れと言うのか!?

 待ってくれ! この縄を解いてくれ!

 国を作るなんて二度と言わないから、助けてくれ!」


「こんな死に方嫌だ! 嫌だ、嫌だ、嫌だ、 誰か! 嫌だ!

 あああ……ぁぁぁ……ああぁぁぁああああっ!!!」


 そんな願いも空しく、遠くから狼たちの遠吠えがハッキリと聞こえた。


 「お前たちは畜生の餌がお似合いだ。

  理不尽だろう?

  これが戦場での人の死に方だ。


  それでは、親子水入らず仲良く。さようなら」




 かくして、ジーク・アルトは5年越しの殲滅作戦を成功裏に収めた。

 それだけではない。

 彼自身、それに彼の大隊は今も、いつもどこかの戦場にいる。  




 かつて、世界の覇権を握っていた大国リカールは今や、愚かな滅亡国家として人々の記憶に残った。

 いや、今や、リカールは別の意味で知られている。




 史上最悪、暴力の権化……1000人の戦争バケモノ集団、リカール大隊として。

 彼らはリカールの命も、名誉も、名前すらも奪ってしまった。




 






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