第22話 狂気伝染

 下水道に逃げ込んだのは王子とサーシャの二人だけでは無かった。

 4、50名の人間がドブネズミの様に身を隠していた。

  下水道の中がずっと安全な筈がない。

 地上を破壊し尽くしたら、奴らは地の果てまでを破壊してくるだろう。

 だが、とりあえずは彼らは此処で身を寄せ合うことにした。


「申し訳ありませんでした殿下……取り乱してしまって……」


「いや、いいんだ。こんな状況だ。仕方が無いさ」


 王子は恐怖に身体を震わせるサーシャにそう言う。

 彼女が臆病だからという訳ではない。

 此処にいる皆は一応に恐怖で身体を震わせている。




「王子様、他の国は助けに来てくれる、そうですよね?

  東のアルタイル連邦なんかは100年前からの友好国ですし……」


「ああ、そうかもしれないね。

 でも、期待しない方……いや、何でもない」


 老紳士の希望に縋る言葉に、曖昧に頷くことしかできなかった。

 確かにその国とは戦争もしたことも無ければ、領土問題も無い。

 だが、それはリカールの軍事力があってこそだ。これほどの軍事力がある国に対抗するよりかは擦り寄っていた方が賢明だ。

 リカールの窮地は彼らにとって恩を売るチャンスでもあり――忌まわしき隣国の大国を蹴落とすチャンスでもある。

 もしかすると、自らの命も狙ってくるかもしれない。同盟国として助けに来たと目の前に現れ、安心したところで拉致されて、それで――。


 (くっ……民を安心させるのが、私の責務だというのに……!)


 以前の王子ならば、きっとそうだと頷き、直ぐに国民を励ますことが出来たのだろう。だが、彼もまたジークのもたらした疑心暗鬼に感染している。




 実際、彼の懸念は的外れでは無かった。






 ◇




 此処はリカール王国外れの辺境の村、平和でのどかな村……ではない。


「何故だ!? 止めてくれ、やめろ!

 私達は王都の一般市民だ。軍人でも、貴族でもない!」




「うるさい! てめぇらのせいでこの村で何人死んだと思っているんだ! 死んじまえ!」




 王都の脱出に成功した人々は騒ぎが収まるまで、とにかく遠くへ逃げようとしたが……彼らを待っていたのはほかならぬ王国民からのリンチだ。


 いや、王国民とは言っても最早、憎悪の対象だ。


 都市部では車が走り、夜道を明るく照らす電灯もあるというのに、この村には車は走っていない。

 それどころか老いた馬が何匹かいるだけだ。

 更に、灯りをともすための蝋燭も十分な数あるとは言えない。そんな暮らしに加え重い税、常に飢えを恐れる生活。

 同じ王国のはずなのに、これ程までに凄まじい経済格差。

 そう、ここは遥か昔、王国に吸収された小国だったのだ。


 そんなところに、裕福な暮らしをし、自分達を貧民だの嗤っていた連中がいざ死の危機に追いやれると、助けを求めに来たのだ。


 当然、こうなってしまう。




「言葉が分からないのか!?

 我々は一般市民だぞ、君たちと同じ――!」


「そんな上等な服着て何言ってんだい!?」


「ぶち殺せ! 何もかも根こそぎ奪い取ってやれ! 」


「嫌だ! 嫌だ! 死にたくない!」


「助けて、誰か! 誰か、誰か!」


「なぁ……おい」


「……どうせ、王都は今はてんてこ舞いなんだ。

 誰も来ない。

 ……それにこいつらのせいで俺達はこんな目にあってるんだ。少しぐらいの不埒、神様は見過ごしてくれるさ」


「そうよ! 私達にはその権利がある!」


「ああ、あぁぁぁ、ああああ!」


 描写する必要は無いだろう、あまりに醜い光景だ。

 自らが窮地に陥るとプライドを投げ捨てて見下していた者達のところに逃げ込もうとする王都民。自分達は虐げられてきた。

 だから、自分達には復讐の権利があると主張し好き放題する村人たち。



 正当性を伴った復讐なんてないのに。

 優劣なんてものはない、どちらとも獣だ。




 ◇




 狂気の伝染は止まらない。


 此処は王国の東、アルタイル連邦。

 王子と老紳士の話で出て来た王国の同盟国だ。

 そこの官邸ではリカールの被害状況が逐一知らされており、極秘裏にある会議が行われていた。




 同盟国を助ける為の作戦会議……ではない。


「……では、リカール王国との平和協定を破棄することをリカールの外交官に通達します。よろしいのですね? 」


「しかし……一方的な破棄など本当によろしいのでしょうか。 幾ら、彼らがパニックになったとはいえ……所詮はただのクーデターですぞ。

 解決後に何をされることか……」


「レズノフ、これは決定事項だ。

 その平和条約のお陰でどれほど我々が苦しめられていたか。

 我々アルタイル連邦は王国の属国ではない。

 今こそ、真の大国へと成り上がるチャンスだ。他人の不幸は蜜の味というだろう」


「最後の発言はともかく……軍部としても改めて賛成を表明します。

 王国の無茶のせいで何人の我が軍の兵士が王国のために死んだか……例の少佐を見習えという訳ではありませんが、我々も動くべき時かと」


 と、その時だった。会議室の上座に座る男。要するに連邦の最高指導者が口を開いた。


「いや……見習うべきだ。彼をな」


「大元帥殿?」


「身分制度が残っているような中世国家がこの世界の中心に居る時点で不愉快だったのだ。……この機を逃すな、戦争だ。

 王国でのクーデターが沈静化後、隙を与えぬうちに宣戦布告を行う。世界の覇権を取りに行く」


 やがて、この狂気は世界を飲み込む。


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